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(講話)施策の「社会が変わった」という説明を教育現場は繋げて理解していない

要点

  • 「なぜ資質・能力の育成か」「なぜアクティブ・ラーニングか」の問いへの回答は、「社会が変わった」背後で進行する、学校から仕事・社会へのトランジション課題に取り組むためである。今、学校教育の社会的機能が見直されているのである。
  • 米国では、「社会が変わった」からアクティブラーニングだ、学習パラダイムだとはいわないが、本質的には、トランジションの問題が日本と同様に起こってのものである。
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    はじめに

     前半では、最新の学習指導要領改訂に関して審議されている中央教育審議会教育課程部会の『審議のまとめ』(2016年8月26日)を参照して、表題のテーマについて考えてみる。初等中等教育の審議を参照するが、そのポイントは大学教育の関係者にも通ずるものであると思う。
     後半では、アクティブラーニングの発祥となった米国の大学教育において、意外に「社会が変わった」からアクティブラーニングだ、学習パラダイムだというロジックで説明しないことについて説明する。

     

    2030年の社会と子供たちの未来

     中央教育審議会答申をはじめとする日本の文部科学省施策では、知識基盤社会が到来したから、社会が情報化・グローバル化したから、生涯学習社会・少子高齢化社会になったから、予測困難な時代になったから、要は社会が大きく変化して昔とは違うのだから、という前置きでアクティブラーニングその他の新しい教育施策の推進意義が語られる。2016年8月に出された中央教育審議会教育課程部会の『審議のまとめ』では、「2030年の社会と子供たちの未来」という見出しで、以下の点が論じられている(pp.7-8)。

    ・知識基盤社会 新しい知識・情報・技術が、社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増している。

    予測困難な時代 知識・情報・技術をめぐる変化のはやさが加速度的になり、情報化やグローバル化といった社会的変化が、人間の予測を越えて進展している。
    第4次産業革命 進化した人工知能がさまざまな判断をおこなったり、身近なものの働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来が、社会や生活を大きく変えていくとの予測がなされている。

    多様化 経済や文化など社会のあらゆる分野でのつながりが国境や地域を越えて活性化し、多様な人びとや地域同士のつながりがますます緊密さを増している。こうしたグローバル化が進展する社会のなかでは、多様な主体が速いスピードで相互に影響し合い、一つの出来事が広範囲かつ複雑に伝播し、先を見通すことがますます難しくなってきている。 

     

     

    問題1:教育関係者は施策の「社会が変わった」という説明を繋げて理解していない

     ここで問題となる第一のことは、教育関係者が施策の「社会が変わった」という説明を自分たちの教育実践に繋げて理解していないことである。
     おそらく、「社会が変わった」を読んで聞いて、「へえ、そんなことが起こっているのか」と新鮮に驚く者は少ないだろう。多くの者は、その話を「ふんふん」と頷きそれなりに理解するに違いない。にもかかわらず、政府がこのような(予測される)社会の変化を受けて、「資質・能力の育成だ」「アクティブ・ラーニングの視点だ」「カリキュラム・マネジメントだ」等と施策を展開しようとすると、これまでおこなってきた教育観や教育方法に拘泥し、耳を貸さないということが往々に起こる。理由は多岐にわたるが、ここでは、耳を貸したくない、これまで一生懸命おこなってきたことを変えたくない、という個人的・保守的な理由を横にどけて、議論を続けよう。
     大まじめに、社会の変化と新しい教育観、教育方法との間にあるものがわからないという者は決して少なくない。彼らは、社会の変化はわかるが、それで「なぜ資質・能力だ?」「なぜアクティブ・ラーニングだ?」とたくさんクエスチョンを飛ばしているのである。筆者のこれに対する回答は、学校から仕事・社会へのトランジション課題における問題解決のためである。つまり、学校教育(高校や大学など)を終えた後の出口がかつてとは異なるかたちで深刻に問題化しているのであって、その問題から学校の社会的機能が見直されているのである。乱暴だがわかりやすくいえば、もはや大学受験を乗り越えて、良い大学に入って良い会社に入る(あるいは社会的地位の高い職に就く)、それで人生安泰という方程式は必ずしも成り立たなくなっているのである。旧来的な意味での勉強のできる者が仕事で成功したり安定した生活を送ったりしているわけでは必ずしもないのである。勉強ができ、基礎的な知識・技能を身につけることは今でも重要であるし、社会もそれを求めているが、それだけでは変化のはやい、予測不能な仕事・社会を力強く生きていくのに不十分である。もう少し何かが追加されないといけない。ここで登場するのが、2007年に学校教育法改正で規定された「学力の三要素」である。今日の初等中等教育の改革は、この学力の三要素に基づいて進められている。

    学力の三要素とは(詳しくは用語解説
    ① 基礎的な知識・技能
    ② これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等
    ③ 主体的に学習に取り組む態度

     

     トランジションの問題は、学術的にいえば、近代以降つくってきた学校教育とはいったい何のためなのか、そもそも学校の社会的役割とは何なのか、といった学校の社会的機能を問い直すものである。(予想される)社会の変化だけが問題ではない。大学・短大進学者が56.5%に達し(2015年。過年度高卒者等を含む。『文部科学統計要覧』より)、専門学校まで含めた高等教育進学者が79.8%(同様)に達している高等教育ユニバーサル化の現状までふまえて、いま学校教育の社会的機能が問い直されていると理解されねばならない。
     そして、この学校の社会的機能の問い直しのもと、教師は何のために生徒学生を教育・指導しているかと自らに問わねばならない。筆者の回答は、それは生徒学生が卒業後、力強く仕事をし社会生活を営んでいくためであるとなる。高校でいえば、決して大学受験のため、学校の進学実績を上げるためではないはずである。ここは、理想を振りかざすようであるが、真正面からきれい事をいっていかなければならないところである。
     ちなみに、文科省は「社会が変わった」から資質・能力の育成だというロジックで説明をする。これらの説明は間違えてはいないが、正確でもない。なぜなら、社会は戦後何度か大きく変化したといわれてきたのであって、何も最近になってはじめて変化したわけではないからである。たとえば、情報化社会(なるものがあるかはさて措き)の到来は1960年代、80年代でよく叫ばれたし(増田, 1985; 佐藤, 1996)、ポスト近代や近代社会の終焉は1960年代末、1980年代によく叫ばれた(佐藤, 1993; トフラー, 1980)。ヴォーゲル(1979)の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が刊行され、日本の世界経済大国への仲間入りを感じるようになった翌年に出された通商産業省産業構造審議会(1980)の「追いつき型近代化の終わり」宣言、バブル経済さなかの1989年に経済同友会から打ち出された「新しい個の育成」など(cf. 飯吉, 2008)、角度はさまざまであるが、もはやこれまでの日本や日本社会ではなく、新しい社会や時代の到来を伝えようとする議論や声明は山ほどある。きっと昨今のような大きな社会変化があっても、もし学校から仕事・社会へのトランジションが依然としてある程度成り立っていれば、ここまでの教育改革には至らなかっただろうと思う。こうして、ここまでの教育改革を断行せざるを得なくなっている根源的な理由は、トランジションが十分に成り立たなくなったと社会が問題視し始め、その上で仕事・社会とを繋ぐ学校教育を再構築せよ、として学校側に課題を突きつけているからだと考えられる。

     

    問題2:米国では「社会が変わった」からアクティブラーニングだ、学習パラダイムだとはあまりいわない

     とくに米国の論者において、社会が大きく変化したからアクティブラーニングだ、学習パラダイムだと、論文や著書のなかで主張する者があまりいないことに、説明が必要かもしれない。
     米国の論者に「なぜアクティブラーニングか」「なぜ学習パラダイムか」と問えば、その基本的な回答は、筆者の理解するところでは、大学教育の社会的機能、その説明責任が問われているからだというものとなる(Tagg, 2010)。とくに卒業後の仕事の世界は、厳しい経済状況やめまぐるしい雇用環境の変化があって、日本と同様に厳しいものとなっている。グローバル経済による影響、高齢者の労働問題とその影響、ある業種における労働力・労働人口の減少等も含めて、大学教育機関卒業生の就職難や離転職問題が、やはり日本と同様に起こっている。奨学金受給者が無職となると、多額の借金を背負うことになり、社会問題化している。 (cf. 山梨・西塚, 2013)
     しかし、これらは、論者が自覚しようがしまいが、トランジションの問題である。学習パラダイムの提唱者であるタグ(Tagg, 2010)も、学習パラダイムと社会からの外圧、とくにアクレディテーション団体との関係について深刻に議論しているが、それもトランジションが問題となる状況においてのものと理解すべきである。
     なお、アクティブラーニング、ひいては学習パラダイムの提唱に繋がる、『学習への関与』レポート(Study Group on the Conditions of Excellence in American Higher Education, 1984)であるが、この1980年代前半という時代は、近年私たちが叫ぶ知識基盤社会の到来や社会のグローバル化といった社会の変化よりも、少し前のことである。そう理解するならば、米国の大学教育は、1980年代前半から大学の大衆化、学生の多様化問題への対応を皮切りに、後に社会の変化から大学に課せられる課題を追加して、トランジションの問題をより深刻に受け止めていったと理解したほうがいいのかもしれない。
     英国出身のラムズデン(Ramsden, 2003)は、学習パラダイムへの転換を説く背景に、日本と同様に、知識基盤社会(経済)の到来を示す。そして、英国の有名なデアリングレポートを引いて、新しく、かつ高度で複雑な社会で学生が卒業後力強く仕事をし社会生活を営むために、大学教育は批判的思考をはじめとする学生の資質・能力を育てなければならない、学び方を学ばせなければならないと述べる。しかし、そんなことは実は、パブリックスクールをはじめとして、中等教育が近代化のなかで成立する150年前にもいわれていたことであるし、戦後も今日に至るまでたえずいわれてきたことである、とも述べる。だから、結局最後は、そんな外圧が問題ではないのだ、そんな外圧では教員は授業を改善していかないのだ、授業改善は学生がどう学習しているかを、教員が学習することでしかできないものなのだ、ラムズデンは最後にはそう力説するのである。学習パラダイムの提唱で有名なタグ(Tagg, 2003, 2010)も、同様のことを述べる。学習パラダイムは何も新しい見方ではないのだと。
     筆者もラムズデンやタグの考え方に賛成である。社会の変化に対応できる学生を育てようと声高に叫ぶにしても、大学や教員が現場でできることは、一部の専門職養成の学部・学科は別として、学生たちが基礎的な知識を習得し、学問をし、その過程で汎用的な資質・能力を発達させるのを手助けすることだけである。教育改革の初発の文脈は社会の変化であれトランジションであれ、最後は大学教育の内側の問題として引き取り、学生をしっかりと育てていく教育をしていく、それだけのこととなる。アクティブラーニングも、こうしたなかで推進されるものである。


     

    文献 

    飯吉弘子 (2008). 戦後日本産業界の大学教育要求-経済団体の教育言説と現代の教養論- 東信堂

    増田米二 (1985). 原典 情報社会-機会開発者の時代へ- TBSブリタニカ

    Ramsden, P. (2003). Learning to teach in higher education. Second edition. London: RoutledgeFalmer.

    佐藤俊樹 (1993). 近代・組織・資本主義-日本と西欧における近代の地平- ミネルヴァ書房

    佐藤俊樹 (1996). ノイマンの夢・近代の欲望-情報化社会を解体する-. 講談社選書メチエ

    Study Group on the Conditions of Excellence in American Higher Education (1984). Involvement in learning: Realizing the potential of American higher education. Washington, D.C.: National Institute of Education, U.S. Department of Education.

    Tagg, J. (2003). The learning paradigm college. Bolton, Massachusetts: Anker.

    Tagg, J. (2010). The learning-paradigm campus: From single-to double-loop learning. New Directions for Teaching and Learning, 123, 51-61.

    トフラー, A. (著) 徳山二郎 (監訳) 鈴木健次・桜井元雄ほか (訳) (1980). 第三の波 日本放送出版協会

    通商産業省産業構造審議会 (編) (1980). 80年代の通産政策ビジョン 財団法人通商産業調査会

    ヴォーゲル, E. F. (著). 広中和歌子・木本彰子 (訳) (1979). ジャパン・アズ・ナンバーワン-アメリカへの教訓- TBSブリタニカ

    山梨雅枝・西塚重良 (2013). アメリカの大学におけるSLO (Student Learning Outcome) 確立に関する現在の活動状況についての報告書I 仙台大学紀要, 44(2), 163-173.

     

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