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①単元単位でアクティブラーニング型授業を構成する
②講義ノートを改編する
③板書を最小限にする
④網羅主義から脱却する
⑤反転授業をおこなう
多くの教員がアクティブラーニング型授業をおこなうにあたってつまずいている大きな問題の一つに、授業進度がある。
アクティブラーニングの重要性や意義を理解しても、アクティブラーニングをおこなっていては、教えなければならない範囲を期間内に終えることができないというのである。体系だった教科書で教える中学校や高等学校の、とくに数学や理科、
社会の教科でこの傾向が強く見られるようである。すべてを教えないと、出口の入試に対応できなという考え方も相まって、状況を難しくしている。大学でも、理系の専門(基礎)科目に同様の傾向が見られる。
他方で、期間内に授業内容を進め、すべてを終わらせることができたとして、その授業内容を果たして生徒学生が(深く)理解したのかという問題がある。
教師が自分に課せられた範囲を消化して自己満足しているだけではないのか。生徒学生を大学に、仕事・社会に送り出して、彼らが力強く学び成長していく基礎的な知識を身につけさせ、資質・能力を育てたといえるのか。問題は尽きない。
だからといって、授業進度を気にしなくていい、生徒学生の深い学習を促せればそれで良い、と乱暴なことをいいたいわけでもない。現実的な落としどころは、これらの間にあるのだろう。
以下では、学校現場から聞いてきた授業進度の改善法を5点にまとめて紹介しようと思う。もちろん、これらですべてではないだろうから、あくまでたたき台としての紹介である。さらに良い改善法が見つかれば、随時更新して紹介していきたい。
単元全体の中で2~3割の時間を、アクティブラーニングに充てると考えることである。
毎授業でアクティブラーニングを組み込もうとすると、講義や説明に必要な時間が十分にとれなくなる。また、アクティブラーニングそれ自体も、短い時間で中途半端なものとなってしまう。
ある授業では講義ばかり、アクティブラーニングばかりでもいい。単元全体を見たときに、少なくとも2~3割の時間、アクティブラーニングが入っていればいいと考える。もちろん、割合は一つの目安である。
これまで作ってきた自作の「講義ノート」なるものを改編することである。
「講義ノート」といっても、便宜上そう呼んでいるだけで、紙のノートである必要はない。PC上でワープロや表計算等のソフトを用いて作成したデータとしてのノートでいい。また、講義以外の演習や実験で用いる資料やデータ、
発展・応用・活用の問題、課題等もこれに含めて考える。
授業時間が増えるわけではない中で、これまで作って更新してきた自身の講義ノートをそのまま用いる、しかもアクティブラーニングとしての書く・話す・発表する等の活動も加えて授業をおこなうというのでは、
時間が足りなくなるのは当然のことである。
どの説明や問題も必要だから、どれも削れないと聞く。わからないわけではないが、限られた時間の中で、これまで説明してきたこと、与えてきた演習問題等をすべて同じように扱うことは不可能である。
絶対外せないという説明と問題等を厳選して、場合によっては、より短い時間で扱えるように講義ノートを改編することが必要不可欠な作業になる。
教科や単元にもよるが、できるだけ板書をやめて、その時間をアクティブラーニングに充てることである。
板書をできるだけやめている教師の多くは、パワーポイント等でスライドを作成して、スクリーンや電子黒板に投影するなど、ICTを利用している。
アクティブラーニングのためだけでなく、これだけICTが発達している今、あるいはこれだけ深い学習や資質・能力の育成が謳われている今、教師が板書をして、生徒がそれを深く考えることもなくノートに写すという旧時代的な教授学習スタイルを
見直すべきである。
教科書に記されている問題をわざわざ板書して、演習させる授業を見ると、「それはほんとうに必要か」「その時間をアクティブラーニングに」とどうしても思ってしまう。板書が必要なのかを徹底的に考えて、
それでも必要だと思われる部分だけを板書するということにしたい。
予算が十分になく、プロジェクターや電子黒板を整備できない学校や県はまだまだ少なくない。しかし、それらがない場合でも、工夫すればICTを利用する活動に相当するものを作り出せる。
たとえばある公立中学校では、教師は板書内容をプリントにして配り、それを受け取った生徒は、(グループ机の真ん中にいつも置かれている)はさみとのりを使って、ノートに貼り付けるという作業をしていた。
結果、板書をできるだけしないで授業を進めるという教授学習スタイルが実現し、それはICTを利用したものとまったく同じものになっていた。しかも、その中学校の生徒の多くは、教師の話を聞きながらノートの空いたところにメモもしていたから、
ただスクリーンを眺めている生徒よりもはるかに有意義な学習をしていたように見えた。
プロジェクターや電子黒板がなくても、この工夫があればまったく問題がない。設備があるにこしたことはないが、ないのなら、不満や愚痴を述べる前にできる工夫をしたいものである。
マクタイら(McTighe & Wiggins, 2004)が説くように、網羅主義を脱却することである。
「教師がすべてを教えないと生徒は理解できない」と思っている間は、たとえ講義ノートを抜本的に改編してもICTを利用しても、授業進度の問題は解決されないだろう。生徒学生に授業外学習(家庭学習)を求め、 またそれができるような予習教材やプリントを作るのである。
中学校や高等学校であれば、学年やクラスで学修記録や学習習慣をつけていく取り組みも必要であろう。
大学では、アメリカの大学教育改革を後追いしてきた経緯があるが、アメリカの大学教育ではおなじみのリーディングアサインメント(読書課題)を予習として取り込んでこなかった経緯が問題視されている(玉, 2017)。
教科書を整備し、授業で扱う章や単元を読んできていることを前提にするだけでも、授業進度の問題はずいぶん解決するに違いない。
生徒学生は授業外では学習しないと端から決めつけている教員に多く出会うが、どのようにして生徒学生に授業外学習をするように動機づけるかを考えるのも、プロフェッショナルとしての教師の力量であるだろう。
(授業外の)ひとりの時間で予復習をする、問題を解く、課題に取り組むことは、生涯にわたって必要となるものである。授業進度の問題を解決するためだけでなく、生徒学生の生涯にわたっての学習力を育てていくためにも授業外学習を促したい。
大学の理系の専門(基礎)科目を担当する教員の中には、反転授業を導入することで、この問題を解決しようとする人が増えてきている。
反転授業とは、従来教室の中でおこなわれていた授業学習と、演習や課題など宿題として課される授業外学習とを入れ替えた教授学習の様式である。
一般的には、講義部分をオンライン教材として作成し授業外学習で予習させ、対面の教室、すなわち授業学習では、予習した知識・理解の確認やその定着、活用・探究を協同学習などを含めたアクティブラーニングでおこなう
(理系科目の反転授業も含めて、詳しくは森・溝上, 2017a, 2017bを参照)。
授業の冒頭では、学生の予習による理解をさっと確認する。多くの学生が理解していない箇所があれば、その部分だけを教師が説明する。これだけで授業進度の問題はずいぶん解消するはずである。授業の残りの時間は、
演習問題や課題を与えてのアクティブラーニングをおこない、教え合いや問題解決、議論や発表を通して学習を深めることに時間を充てればよい。
学生が予習をしっかりしてくるように、さまざまな方向から促し、支援をすることが求められるが、それをクリアすれば反転授業は授業進度の問題を解決するのみならず、豊かなアクティブラーニング型授業を実現することにもなり一石二鳥となる
(溝上, 2014, 2017)。
高等学校でも、進学校や進学コースでは反転授業をおこなってみるとよい。このレベルの生徒は予習をしてくるから、大学でのものと同じ効用が期待される。
もっとも、反転授業はもともと低学力の高校生や大学生を対象になされ、成功を収めてきた教授学習法でもある(バーグマン・サムズ, 2014)。ここでは、授業進度の問題を解決するための改善策として反転授業を紹介しているが、
もともとはこのような流れで反転授業が注目を集めてきたことは補足しておく。
「アクティブラーニングを入れろというなら、授業時間を増やしてくれ」と主張する教員がいる。増やせるものなら増やしてあげたいが、現実には不可能である。この時間の問題は、もはやアクティブラーニングだけのものではないことが、
この問題を理解するうえで重要なポイントである。
教えなければならない知識の絶対量が、世の中でうなぎ登りに増加している。学問は絶えず進歩しているのだから、教えたい知識量が増える一方であることは必然である。
たとえ中学校や高等学校で教える知識が、限られた時間数のもと厳選されたとしても、それで将来必要となる知識が十分に提供されることにはならない。
大学から見ると、中学校や高等学校で教えられる知識が厳選され、数学の行列のように高等学校の教科書から外されると、それは大学のカリキュラムで補填されることになる。
高等学校では教科書で教えることになっていても、受験科目になかったり文理選択で学んでこなかったりして、大学のカリキュラムに新たに組み込むか、授業の中で未履修者の理解を確認しながら授業を進めるということも起こっている。
初年次教育やキャリア教育、地域連携やプロジェクト学習など、かつては存在しなかった、しかし学士課程教育で扱わねばならないと考えられる科目が、新たに、しかもかなりの数で増設されている。中学校・高等学校と同様である。
この状況は、初年次教育やキャリア教育などが入り始めた20年近く前にはすでに起こっていたことである。
知識基盤社会、情報化社会の到来のもと、知識量だけでなく、知識を学ぶことの社会的意義が変わっている。知識の活用はその代表例である。この学習においては、知識は習得するにとどまらず、
習得した知識を社会的場面や新しい文脈に活用して使えるものにまですることが求められる。
新学習指導要領で求められる種々の探究科目や総合的な探究の時間等の探究的な学習、SSHやSGH、地域連携などの問題解決・プロジェクト学習も、知識を学ぶことの新しい社会的意義を訴えている。そこでは、
知識は教科書等で提供されるものだけでなく、ある問題や課題に取り組む中で収集したり発見したりするものにまで拡張している。
トランジションをにらんで、他者や集団と協働して、知識を習得・活用・探究することも求められている。知識の社会的構成と呼ばれたりもする。
定められた量の知識を頭に詰め込むだけでなく、無い知識を創り出すこと、他(者)の知識と繋げて知識世界を構成・再構成することまで、学習は求められるようになっている。
以上のすべての問題を授業時間の増加で対処することは、100%不可能である。しかし、授業時間を増やせないから、できないというのでは、生徒学生のトランジションが十分に果たせない。授業時間の問題は、
全国の教員が考え出した上記の①~⑤の方法を参考にしつつ、最後は自分で解決していくしかない。このようにしかいうことができない現実がある。
生徒学生には、探究的な学習を通して、社会における困難な課題に立ち向かう問題解決力を育てようとしている。教員に突きつけられている授業進度の問題も、また同様に社会の課題であり問題解決の対象ではないか。
探究的な学習を指導する教員が、端から問題解決を諦めているようでは示しがつかない。
精いっぱい立ち向かってほしい。
バーグマン, J.・サムズ, A. (著) 山内祐平・大浦弘樹 (監修) 上原裕美子 (訳) (2014) 反転授業 オデッセイコミュニケーションズ
McTighe, J., & Wiggins, G. (2004) Understanding by design: Professional development workbook. Virginia: ASCD.
溝上慎一 (2014). アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換 東信堂
溝上慎一 (編) (2017). 改訂版 高等学校におけるアクティブラーニング [理論編](アクティブラーニング・シリーズ第4巻) 東信堂
森朋子・溝上慎一 (編) (2017a). アクティブラーニング型授業としての反転授業 [理論編] ナカニシヤ出版
森朋子・溝上慎一 (編) (2017b). アクティブラーニング型授業としての反転授業 [実践編] ナカニシヤ出版
玉真之介 (2017). なぜ「大学教育と読書」をテーマとするのか? 全国大学生活協同組合連合会教職員委員会 (監修) 玉真之介 (編)
大学教育と読書-大学生協からの問題提起- 大学教育出版 pp.2-9.