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2021年1月26日に、中央教育審議会から『令和の「日本型学校教育」の構築を目指して-すべての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと協働的な学びの実現-(答申)』(以下、「答申」あるいは「令和の日本型学校教育答申」と呼ぶ)が答申された。新学習指導要領実施に向けて、学校における働き方改革、GIGAスクール構想(児童生徒向けの1人1台端末と、高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備すること)の推進が別途検討されてきた。答申は、それらを踏まえてのものとなっている。教学面では、新学習指導要領を着実に実施して、「個別最適な学び」「協働的な学び」を実現していくことが新たに謳われている。
それにしても、ちょうど同じ年、新学習指導要領が小学校より実施され始めたばかりである。常識的に考えれば、いま新学習指導要領で求められている「主体的・対話的で深い学び」を着実に実施する、とするだけで十分な時期であるが、田村(2021)も述べるように、そこに間髪入れずに新しい学び「個別最適な学び」「協働的な学び」が求められるわけである。いったいなぜだろうか。答申でも丁寧に説明はなされているが、本稿では私自身の理解を通して説明していこうと思う。
提言の内容を、私なりの理解で最大限簡潔にまとめると次のようなものになる。
答申では次のように述べられている。
第2期,第3期の教育振興基本計画で掲げられた「自立」、「協働」、「創造」の3つの方向性を実現させるための生涯学習社会の構築を目指すという理念を踏まえ、学校教育においては, 2.(3)で挙げた子供たちの多様化、教師の長時間、勤務による疲弊、情報化の加速度的な進展、少子高齢化・人口減少、感染症等の直面する課題を乗り越え、(令和の日本型学校教育の実現に向けて)1.で述べたように Society5.0 時代を見据えた取組を進める必要がある。
(『令和の日本型学校教育答申』p.15。括弧内、下線部は筆者による)
なお、Society5.0は科学技術基本法に基づいて策定された科学技術基本計画第5期(2016-2020年)のキャッチフレーズであり、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会を指すものである。それまでの「Society 1.0(狩猟社会)」「Society 2.0(農耕社会)」「Society 3.0(工業社会)」「Society 4.0(情報社会)」に対応して、さらに進化した社会をSociety5.0としている。
新学習指導要領に向けたいわゆる「平成28年答申」(注1)にはSociety5.0の流れはまだ記述されていないが、「第4次産業革命」が次のように紹介されている。
○とりわけ最近では、第4次産業革命ともいわれる、進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来が、社会や生活を大きく変えていくとの予測がなされている。“人工知能の急速な進化が、人間の職業を奪うのではないか”“今学校で教えていることは時代が変化したら通用しなくなるのではないか”といった不安の声もあり、それを裏付けるような未来予測も多く発表されている。
(『平成28年答申』p.9)
(注1)中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)」
つまり、令和の日本型学校教育の提起において大きく謳われたSociety5.0への対応は、実質的には平成28年答申ですでに提起されている。第4次産業革命はもとよりAIやIoTといった技術革新の到来が、平成28年答申で再三説明されているわけである。したがって、これを差し引くと、令和の日本型学校教育を提起する新たな動機は、
となる。しかも、単にGIGAスクール構想を踏まえてICT活用をハード面で改善するだけではなく、Society5.0と連動させて「個別最適な学び」の推進としてICT活用のソフト面を提起したいと考えた。しかし、すでに新学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」の実施を求めているので、それに加えての「個別最適な学び」であると釘を刺しておく。「個別最適な学び」は日本の学校教育が長年取り組んできた「個に応じた指導」にも対応するものであり(注2)、それ自体は決して新しい学びの提起ではないと説明される。そして、個別最適な学びが孤立した学びに陥らないよう「協働的な学び」が加えられ、連動するべきものとされる。まとめると、次のようになる。
以上を、日本がとくに戦後重視してきた、児童生徒の知・徳・体を一体で全人的に教育する「日本型学校教育」の中で捉え直し、それにSociety5.0に対応した「個別最適な学び」、そして「協働的な学び」を令和時代の発展型として位置づけ、大きく提起することにする。
さらに日本型学校教育の強みは、「全人格的な発達・成長の保障、居場所・セーフティネットとしての福祉的な役割」(『令和の日本型学校教育答申』p.7)である。それを踏まえて、これまで課題となっていて十分に取り組めていない問題(下記)を加えて、すべての子供たちの学習機会と学力を保障する役割を担っていくのが「令和の日本型学校教育」であるとする。この「すべての子供たち」を対象とするという表現は、GIGAスクール構想の実施が決まったときに(2019年12月)、その目的で掲げた「誰一人取り残さない、公正に(個別最適化された学びの実現)」を発展させたものに対応すると考えられている(稲垣, 2020)。令和の日本型学校教育が、GIGAスクール構想やICT活用の脆弱さの改善を第一義に考えられたことが、この表現からも理解されるのである。
(『令和の日本型学校教育答申』【概要】スライド1)
やや乱暴なまとめとなっているかもしれないが、これが私の理解する「令和の日本型学校教育」のポイントである。
(注2)「個別最適な学び」という呼称は横に措き、「個に応じた指導」を踏まえた児童生徒の「個別化」「個性化」を促す教育実践は、日本において古くから認められる。『令和の日本型学校教育答申』では、「我が国の教師は、子供たちの主体的な学びや、学級やグループの中での協働的な学びを展開することによって、自立した個人の育成に尽力してきた」(p.8)と述べられる。学習指導要領においても、古くより「個人差に留意して指導し、それぞれの児童(生徒)の個性や能力をできるだけ伸ばすようにすること」(1958年学習指導要領)、「個性を生かす教育の充実」(1989年学習指導要領)といったように、「個に応じた指導」に関する規定を行ってきた。(『令和の日本型学校教育答申』, p.8)。学術的には、現在日本個性化学会の会長である加藤幸次が、1980年代初めより「個別化・個性化教育」について提起してきた流れも押さえておくべきである(cf. 加藤, 1982; 加藤・安藤, 1985)。
2点補足する。
コロナ禍以前から、日本の子どもの学習におけるICT活用の脆弱さが問題視されていたことは、「令和の日本型学校教育」を理解する上で非常に重要な文脈である。
図表1に示すように、OECDのPISA調査の結果からは、日本の子どもはゲームやSNSなどではスマホなどのデジタルデバイス(ICT機器)を多く利用するものの、教室内外での学びではデジタルデバイスをほとんど利用していない、OECD諸国の中で最低の順位であると報告されていた(注3)。2020年4月から始動した「GIGAスクール構想」は、このような経緯で予算化・施策化されたものであった。承知のように、2020年3月から5月にかけてコロナの感染拡大が進み、多くの学校が臨時休業を余儀なくされた。このため、もともと5年計画で進める予定であったGIGAスクール構想は、巨額な補正予算をつけて1年で実現されることとなった。このことも答申に影響があっただろうと推測される。GIGAスクール構想はあくまでICTに関するハード面の整備であるから、ソフト面の施策を『令和の日本型学校教育答申』で示そうとしたのである。
(注3)文部科学省・国立教育政策研究所「OECD 生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント」(2019年12月3日)
もう1つの補足は、答申に向けての審議で、当初「個別最適な学び」は「個別最適化された学び」として検討されていたことである。承知の通り、「個別最適化学習」は、AI(人工知能)を搭載した「adaptive learning(アダプティブ・ラーニング)」の訳語である。過去の履歴やネットワーク上の膨大なデータから成るビッグデータを用いて最適解を導き出し、個々人の最適化された学習プランや問題などを提供する学習システムを指す。なぜ「個別最適化」ではなく「個別最適な」学びになったのかは後で述べるとして、最終的に答申で示された「個別最適な学び」という用語が、ICT活用と関連づけて扱われたと考えられることは知っておいていい。
令和の日本型学校教育の中核概念は「個別最適な学び」である。「個に応じた指導」を学習者の視点から整理した用語とされる。しかし、単なる「個に応じた指導」ではなく、現代課題としてのGIGAスクール構想を踏まえたICT活用を加え、かつ、家庭の経済事情の考慮などの課題にも併せて取り組む「個に応じた指導」、児童生徒の「個別最適な学び」の充実が求められている。そのために、不十分ではあっても1学級40人の上限人数を35人に引き下げる少人数学級化(2020年12月22日)なども併せて進める。
答申では次のように説明されている。
個別最適な学び
○「個に応じた指導」(指導の個別化と学習の個性化)を学習者の視点から整理した概念。
○新学習指導要領では、「個に応じた指導」を一層重視し、指導方法や指導体制の工夫改善により、「個に応じた指導」の充実を図るとともに、コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を活用するために必要な環境を整えることが示されており、これらを適切に活用した学習活動の充実を図ることが必要。
○GIGA スクール構想の実現による新たな ICT 環境の活用、少人数によるきめ細かな指導体制の整備を進め、「個に応じた指導」を充実していくことが重要。
○その際、「主体的・対話的で深い学び」を実現し、学びの動機付けや幅広い資質・能力の育成に向けた効果的な取組を展開し、個々の家庭の経済事情等に左右されることなく、子供たちに必要な力を育む。
(『令和の日本型学校教育答申』、【概要】スライド2)
1点補足である。
第1節で述べたように、「個別最適な学び」はもともとAIにおける「個別最適化」概念を参照しており、審議過程の前半では「個別最適化された学び」と称して議論されていた。しかし、AIの「個別最適化」は、言い換えれば、確率計算で自動的に算出される最適解のことを指す。その意味では、「個別最適化された(児童生徒の)学び」が、たとえばAIドリルを用いて、自動的に個々人への最適な学びへと促されるようなイメージのみで受け取られてはいけない。そのようなAIドリルの学習もあっていいが本質的には、児童生徒が自己調整をして、自身に合った「個別最適な学び」を自分で作り出していくことが重要である。そのような自律的な学習者へと育つように、教師は「個に応じた指導」を行うことが求められている。「個別最適化された学び」から「個別最適な学び」へと修正された流れは、このようなことであったと理解される。
なお、平成28年答申で示された資質・能力の三つの柱の一つである「学びに向かう力・人間性等」の中には、「主体的に学習に取り組む態度」が含まれている。主体的に学習に取り組む態度は、「学習に関する自己調整を行いながら、粘り強く知識・技能を獲得したり思考・判断・表現しようとしているかどうか」(『令和の日本型学校教育答申』, p.17)を捉えて、評価していくものとされており、観点別評価の視点ともなっている(注4)。「個別最適な学び」は、この「主体的に学習に取り組む態度」の推進とも密接に関連していることも付け加えておく。
(注4)国立教育政策研究所『学習評価の在り方ハンドブック(高等学校編)』(2019年6月14日)
新学習指導要領で「対話的な学び」がすでに提起されているにもかかわらず、『令和の日本型学校教育答申』では「協働的な学び」が提起された。両者は果たしてどのように異なるものなのか。答申で説明されている箇所をそれぞれ示す。
対話的な学び
○子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める学び。
○身に付けた知識や技能を定着させるとともに、物事の多面的で深い理解に至るためには、多様な表現を通じて、教職員と子供や、子供同士が対話し、それによって思考を広げ深めていくことが求められる。
(『平成28年答申』p.50。下線部は筆者による)
協働的な学び
○さらに、「個別最適な学び」が「孤立した学び」に陥らないよう、これまでも「日本型学校教育」において重視されてきた、探究的な学習や体験活動などを通じ、子供同士で、あるいは地域の方々をはじめ多様な他者と協働しながら、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、様々な社会的な変化を乗り越え、持続可能な社会の創り手となることができるよう、必要な資質・能力を育成する「協働的な学び」を充実することも重要である。
○「協働的な学び」においては、集団の中で個が埋没してしまうことがないよう、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善につなげ、子供一人一人のよい点や可能性を生かすことで、異なる考え方が組み合わさり、よりよい学びを生み出していくようにすることが大切である。「協働的な学び」において、同じ空間で時間を共にすることで、お互いの感性や考え方等に触れ刺激し合うことの重要性について改めて認識する必要がある。人間同士のリアルな関係づくりは社会を形成していく上で不可欠であり、(以下省略)
(『令和の日本型学校教育答申』p.18。下線部は筆者による)
両説明を見比べて思うことは、どのような対話の質を目指すかという点ではほとんど同じだということである。はっきり読み取れることは次の2点である。
①『令和の日本型学校教育答申』において、「対話的な学び」と「協働的な学び」は同じものであるとも異なるものであるとも、何も説明はされていないこと。
②『令和の日本型学校教育答申』では、「対話的な学び」は独立して扱われておらず、「主体的・対話的で深い学び」として扱われ、「協働的な学び」は「主体的・対話的で深い学び」に繋げて取り組まれるものと説明されていること。
ここからは筆者の理解である。参考程度に記しておく。
おそらく「協働的な学び」の指す範囲は「対話的な学び」をより社会や人生に繋げて発展させる学びを指すものではないか。つまり、協働的な学びにおいて、教室での学びはもちろん大きな前提としているのだが、それにとどまらず、時に児童生徒の地域や社会との関係、キャリアや人生形成にまで繋げて取り組まれるものと考えられているように思われる。
そもそも『令和の日本型学校教育答申』はコロナ禍の影響を強く受けて提起されており、『平成28年答申』よりもはるかに予測困難な社会、Society5.0を前面に出して児童生徒の学びが説かれている。「主体的・対話的で深い学び」は、どちらかと言えば、教師にとっては授業の工夫・改善のため(『平成28年答申』p.49)、児童生徒にとっては授業の中での学びの視点であった。たとえ対話的な学びの中に「地域の人との対話」や「先哲の考え方」が含まれていようとも、それは主として授業や教育活動の一環としてのものであったと考えられる。それに対して「個別最適な学び」「協働的な学び」は、そのような授業や教育活動の一環としての学びを前提としつつも、学びの場や対象を家庭、地域、社会、キャリア、人生形成へと最大限に拡げている。答申でも「協働的な学び」の具体的な活動例は「探究的な学習や体験活動など」とされている。
以上を踏まえて、「対話的な学び」「協働的な学び」の関係を図表2のように理解してみてはどうか。つまり、「対話的な学び」は、授業やそれに関連する学習を中心としつつ、教育活動全般における他者や集団との対話・対人関係を総合的に指すものである。それに対して「協働的な学び」は、「対話的な学び」を基礎としつつ、その中でも教室の空間を越えたより社会、より人生に開かれた活動における対話・対人関係を指すものである。
英語で「対話的な学び」を表現すれば、cooperative learningが近いと考えられる。児童生徒個々人の「協同性(cooperation)」を高めることが、他者の考えに開かれて自身の考えや理解を発展させることに繋がり、さらには対人関係やコミュニケーション力を培うことにもなる。実質的に「対話的な学び」で求められるのはそのようなものである。他方で「協働的な学び」の英語は、collaborative learningに近いと考えられる。異なる考えを持つ個人同士がチームやプロジェクトを組んで、一つの課題に取り組んで仕上げていく。そのようなチームやプロジェクトでの仕事や作業は、今社会で強く求められている。個々人の「協同」としての対話力を基礎として、チームやプロジェクトにおける課題を「協働」で取り組んでいく、問題解決していく、そこに「協働的な学び」の「対話的な学び」では表しきれない対話・対人関係があるのではないか。
稲垣忠 (2020). PC1人1台時代の「個別最適化」-子どもが授業以外で学べる環境整備を- 総合教育技術, 2020年6月号 https://kyoiku.sho.jp/51024/(2021年7月31日アクセス)
加藤幸次 (1982). 個別化教育入門 教育開発研究所
加藤幸次・安藤慧 (1985). 個別化・個性化教育の理論 黎明書房
京都大学大学院教育学研究科教育実践コラボレーションセンター (監修) 南部広孝 (編) (2021). 検証 日本の教育改革-激動の2010年代を振り返る- 学事出版
田村学 (2021). 令和の日本型学校教育における協働的な学び 『教育展望』第67巻第4号, pp.11-17.