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野島大輔(関西学院千里国際中・高等部)
関西学院千里国際中・高等部のウェブサイト
溝上のコメントは最後にあります
IB(International Baccalaureate 国際バカロレア)の必修のコア科目「Theory of Knowledge(知の理論)」の理念にならい、さらに、学ぶことの意義や学問の成り立ちへの根本的な理解を重視する本校の伝統的な教育方針を踏まえて、「『考える』ことを徹底的に考える」科目である。哲学論争、科学論争、論理の構造、論理的な思考方法、様々な学問の成り立ちや歴史上の大哲学者の思想など、人類の「知の世界遺産」をたどる。
本校は、1991年に「新国際学校」としての開設以来、国際バカロレア(International Baccalaureate, IB)の指導理念を目標に据えて各科目の教育を展開してきたが、IBのコア科目である「知の理論(Theory of Knowledge, TOK)」にあたる科目が日本の学習指導要領には存在せず、人類の命綱ともいえる知識のバトンリレーへの参加感の醸成や、あらゆる学問の根幹である論理的な思考・表現法の習得については、各教科内の鋭意の努力の範囲に留まっていた。しかし、コア科目を欠いたままでは、いつまで経っても学校カリキュラム全体の深化は望めない。そのため、2000年度より社会科(地歴・公民科)の中にある「学校設定科目」(自由選択)という位置づけで「知識の理論J」という科目を創設し、日本国内の学校環境に見合う形での、IBのコア科目に相当するカリキュラムの開発を行った。
<カリキュラムの基本デザイン>
図表1「世界思想史」カリキュラムの基本デザイン
2015年度より必修科目の開講授業数の確保のため、「世界史A(世界思想史)」(選択必修)と改題し、歴代の大思想家の思想の連続性の理解の段に、より焦点を当てた科目とした。しかしながら科目の目標は、IBと同様、トータルな意味での人類の知的遺産の継承の営為への入門・参加を、依然意識している。また、当校が文科省のスーパー・グローバル・ハイスクール(SGH)の指定を受けて以降は、SGHのプログラムで探究型の学習をさらに強化することとなり、それら関連科目との協働・調整を要するようになってきている。当校は上に示した通り、IBの立場に倣って、開設当初から本格的な知の営みとしての学習活動を主軸とするチャレンジを続けてきた(当初は校名をOIA=Osaka Intercultural Academyと称していた)。「世界思想史」は、制度上の位置づけは社会科(地歴・公民科)の科目であっても、探究の学習を含むすべての教科の根幹にあたる学習であるべきことを、引き続き目指している。生徒にとっては、すべての学問の基礎として通ずる論理的な思考・表現法の習得、すべての教科の成り立ちと背景にある学問の根本的な理念の理解を経て、人類の知的遺産の連続的な継承作業への、入門・参加を目指すこととなる。
今回の授業の、大思想家の思想の理解の大単元では、それまでの学習の成果を踏まえ、生徒どうしで、「ホット・シート形式」(原則として生徒一人が希望に基づいて思想家一人を担当し本人に扮しての発表を行う。また、司会・対論・記録、それに自由討論も相互にローテーションで担当して学ぶ(「アカデメイア方式」)。生徒は発表の前々日までに、教員と打ち合わせの面談を行い、プリントに掲げたチェックポイントを満たしているかを確認の上で、準備資料の原稿を提出する(見解の相違が生まれた場合は、最終的には担当生徒の考えを優先し、校閲・修正は行わず、なるべく討論の過程に委ねる。)。当日の発表の授業内での教員の役割は、原則として最後に数分でまとめのコメントをするのみとしているが、展開によっては応用的なことがらなど、討論を刺激する発言を行うこともある。
内容的にまとまりのある数個の発表群を終えた段階で、レビューの時間を設け、適宜に必要な論点の補填や不明点・修正点の明確化、内容の掘り下げ、など補完・応用のための学習を行う。
「ホット・シート形式」および「アカデメイア方式」を用いる発表の要領については、生徒向けに配布した次のプリントを示す。この他に司会・対論・記録の役割を日程順に記した、ローテーション表を配布している。
世界思想史
ホット・シートHot Seatの手順と概要(2017年度)
<<手順>>
*発表者は、担当の本人になりきって話す。(衣装・メイク・小道具も大歓迎!)
質疑応答では、本人の立場で考えたらどう答えるか、を推測して、即・反応する。
<評価基準>
<必須キーワード>
それぞれの人物について、発表の内容にすべてを必ず含むべきことがら。
【西洋編】
【東洋編】
<ホット・シートのコツ=評価のポイントの詳細>
図表2 ホット・シート形式の授業の手順と概要 (生徒全員に配布のプリント)
(このようなタイプの授業科目と、日本的な学校制度・環境との整合性の模索など、カリキュラム開発の詳細については、拙稿「『知識の理論J』の展開と事例―国際バカロレア(IB)コア科目の理念を、どう国内の教科実践としていくか―」『千里国際学園 研究紀要』13号2009年11月参照)
単元名:孔子の思想 (生徒による発表)
2018年2月実施の授業を紹介する。西洋の思想史の学びが一段落し、東洋思想の項目に入って最初の時間である。
ホット・シート担当・孔子役の生徒は高3生で、非常に安定した基本学力とスチューデント・リテラシーとを持っている。
(1) 学習のねらい
(2) 事前の面談
発表の担当者は、選んだ思想家本人になりきったつもりで(ホット・シート形式)、レジュメを用意し、授業の前半を用いて思想の説明など発表を行う役割を担っている。発表に用いるレジュメ(パワーポイントとの兼用可)は事前に教員と面談する中で、所定の要件を満たしているかどうかのチェックを予め受ける。この生徒の場合は、複数の出典の学術的なリソースに基づき、孔子の思想の基本を解りやすく図式化している。主張のところで根拠を3点挙げるところ、結論との関係を意識しておくことが助言対象となった。
*過年度までの実践の振り返りでは、必要な項目を網羅できていない、調べた資料の丸写しで解り易く自分たちのことばにできていない、などの事例があったため、授業時間と別にアポイントメントを取っての事前面談を設けている。特に、その人物の思想のうち最も重要な「主張」一つを選んで、論理的なフォームに構成する、という段にはやや困難を示す生徒があり、必要に応じて学期前半の学習の復習も行いながら、結論と根拠が噛み合った構成とするよう個別に面談を行っている。
(3) 生徒作品・発表のプリント(パワーポイント)
(4) 授業の流れと生徒の様子:
① Mさんによる発表・説明(約 20分)
司会者の紹介により、Mさんが孔子になって一人称で思想を説明。案内、パーソナル・ヒストリー、思想、キーワード、主張と定型のまま進める。性善説的、権力主義でなく愛や誠実さでの国づくり、学びの大切さ、などが思想の骨格で、キーワードは儒教思想、「徳」、『論語』の内容、「学び」の重要性、君子・聖人に学ぶこと、の5つを網羅していたが、特に「徳」「仁」の概念と、政治との関係については、当時の時代背景を踏まえながら深く取り上げていた。「徳」のところでは、ソクラテスやパスカルの思想との比較も入れることができていた。発表時間を厳格に守っていた。
*事前の面談では、あまり補うことはなく、対抗説(性悪説)との比較を通じてより孔子の思想の特徴を浮かび上がらせることを、中3年次のディベート学習(性善説VS性悪説のテーマで、荀子、ホッブズ、アナーキストなどを学んだ)の内容を、再想起してもらった。また、主張のところで、根拠が結論をより直接的に支えるものとすることについて、さらに一考を求めた。
② 発表内容に関する生徒たちからの質問と答え(約 3分)
Q:聖人と君子の違い?…A:君子は今も修行を積んでいる、聖人はもう完璧な存在。
Q:孔子自身は君子か?…A:No。文献の中ではそうなっていても。
Q:民主主義の上での為政者か?…A:一人で治めるのがよいという考え方ではある。
Q:君子はステップアップすると聖人になれる?…A:本来は別、聖人は存在しがたい。
③ 指定対論生徒による反論(約 3分)
徳治政治を行うことで人は平穏で幸せな生活を送れるようにならない。
(1) 君子だからといって、為政者になれない。
(2) 為政者であっても、人間は(善悪両面があり)信じきれない。修行を積んでも無理。
発表者による再反論
よく指摘されていること。だが私は楽観主義者で性善説。「欲」は修養で克服できる。
④ クラス全体での討論(約 20分、やりとりを大意要約)
為政者が修行中でまだ欠けているところがあると、民衆に影響するのでは?
…上に立つ人は完璧を目指すべき。
君子になるために、誰が教えるのか?
…孔子自身。弟子も伝える。孔子自身もまた学び続けていく。
もし徳治政治が正しくても、周りの大きな国にサイズや力で負けてしまう。
…うまく行かなくても「徳」の精神で正しい政治をすることが大切で、優先順位が高い。
身分の低い孔子がどうやって機会を得たのか?
…身分は中くらい。本人の力で出世していった。
孔子の考え方を採用した実例は?
…強国ではなく、少し弱い国々で学ばれたのではないか。
為政者の「徳」によって、民衆はどのように影響を受ける?
…重税や汚職がなくなり負担が下がる。よい影響が望まれる。
徳を身に付けた人が為政者となるのは時間がかかり実現しにくい?
…まず教育から変えていく必要がある。
>溝上先生も議論に参加。当番生徒が答える。
孔子の親、身分、家族らは?
…身分は高くなく貧しかった。若い時に両親を亡くし、15歳頃から苦しい仕事をしていく中で、今の政治が間違っていて改善しないといけない、と気づいた。
学校がなく、本は書き写しの時代、学問は簡単?
…父母は正式な結婚でなく、母方で育てられた。儀式を行う家との説があり、そこで学問に触れる機会があった。だがこれは説に過ぎない。
>校長も議論に参加。
本校のモットーで、校則ではなく「5リスペクト」で、学校が平穏・幸せになっている。行動指針という意味で似ている。
(生徒から)校長先生は君子ですか?
…違うが、性善説支持で、思いやりを大切にしたく思っている。
>担当教員から、さらに一考を求める。
プラトンは理想の政治をどう考えていた?
…「哲人王」の政治。しかし無理だと悟り、セカンド・ベストとして民主主義に傾いていった。政治はどうしたらよい?
(以下、生徒たちから)
…為政者が一人だと責任が重すぎる。役割を分担する。もっと人数が必要である。
…すべての人が政治に関わる?
…コンピューター部門など、専門分野に分かれる。
…すべての学問?多すぎないか。
(孔子役の生徒)やはり、トップがしっかりして世の中をよくするのがよい!
⑤ 司会生徒による本時のまとめ(約 3分)
人物像、思想・主張、討論の概要などをまとめた。
<後のレビューの時間に、本時の振り返りなどを行う。>
西洋思想編を終えて、生徒たちがこの方式に次第に習熟してきたこと、担当の生徒の準備とパフォーマンスが基本的な要件を備えており、且つ討論にふさわしい材料を提供できたこと、反論者が発表の主要な部分を理解し現実の政治に繋げるようなコメントを構成できたこと、…などが幸いして、ベーシックな部分には大きな問題のない授業となりました。
溝上先生がご指摘のように、理解に時間がかかり、メモを取ることができず討論への深い参加が十分ではない生徒が、一部ありました。
当校は帰国生徒が多く、学習経験が個々に様々なため、生徒ができるだけ好きな時期に自己の学習段階に合った授業を取れるように無学年制・自由選択制・学期完結制を採ってきましたが、近年は生徒数の増加に伴い時間割編成上の困難のため、残念ながら様々な問題が起こっています。また、授業選択のエントリーが高学年優先の早い者勝ち制(当初の抽選制より移行)であるため、希望の科目はすべて上級生で先に埋まってしまって選択できない、けれども学習指導要領の選択必修の要件を満たすには今この科目を取るしかない、として授業を選択する生徒が、社会科に限らず少なからず生じてきています。
この科目は本来、世界史の学習を一通り終えるか、特にリサーチの学習に興味が深いような、高学年生徒による選択を推奨してきましたが、近年はそうもいかなくなってきており、学校大の課題の一つとなっています。溝上先生が気に留められた生徒はまさにそのような、この科目の学習のための準備(時代背景、探究・討論スキル、抽象思考の経験知など)が必ずしも十分には伴っていない、高1生たちでした。
「世界思想史」では、そのような授業選択のアンバランスな状況が初めて生じた年度となりましたが、本来、生徒の活動や学習経験を重視するタイプの授業では、個々の生徒のレディネスに合わせて様々にやりようがあるものと信じ、学期前にいくつかの見直しと修正を施しました。例えば、発表の段ではじゅうぶんな自主学習の準備期間を取る、発表の事前面談の時間を従前の1回から原則2回に増やす、ひとまとまりの発表群の後に設けるレビューの時間と回数を増やす、などが主要な対応策です。科目の前半部でも、できるだけペースをゆっくりにし、マンガなど解りやすい教材を増やす、などの工夫を講じました。当該生徒たちは、あの場に居てノートを取り、何か自主的に質問を発するようになっただけでも、学期当初に比べると実はとても大きな進歩であり、毎日が連続的なチャレンジだったのです。また、上級生の生徒たちは状況を察して、討論の中で終始サポーティングな発言に努めるなど、とても協力的・育成的に関わったことも特筆されなければなりません。
本時の授業でも、「学び」のあり方についてディスカッションで発言した学校長からは、ご自身の言語学での授業経験を踏まえて、高度な学習であっても工夫次第でより低学年の生徒にも理解させることができるはず、との指導を受けましたし、ブルーナーにも類似の主張があります。(私も国際政治を扱う別の科目では、2年間の休職・大学院での研究・留学の末に、なんとか高校生向けの形になりうるカリキュラムの開発を行っています。)
しかし思想史のような、全体として非常に高度に抽象的な内容を、対話的な読書や自問自答の思索の経験が未だ少ない生徒に教授することは、発達段階上、非常に困難です。海外の研究者の実践や諸文献には、子どもと学べる哲学、のような図書もありますが、例えば「わたしたちはなぜ生きているのだろう」「考えるってなんだろう」のような問いを各自なりに深める段階に留まっていて、個別大思想家の思想の全体像の理解はそれらの学習案の中核には位置づけられておらず、場面に応じて部分的・便宜的に引用されている段階、という印象です。また、この科目の後半は、学習指導要領上は「倫理・社会」にも該当する学習項目でもあり、科目間の統合・整理も当然に必要ですが、担当経験のある教員が「倫理・社会」の一部の単元のみを取り出す独自科目に専心するなどして協議は進まず、結果として当校の社会科(地歴・公民科)は約二十年間にわたって、残念ながら「倫理・社会」がそもそも開講できていない状態です。
以上のような状況の中にはありますが、IBのコア科目に匹敵するような科目のカリキュラム開発を目指す以上、周辺事情のせいにしたくはないので、諸学会に参加し、様々な文献を調べ、知人に助言を求めるなど、何か手がかりがないか、と模索を続けているところです。そしてその模索の中で、哲学・思想のような高度に抽象事項を扱う学びにおいても、深いアクティヴ・ラーニングは、よりよい理解・上達の鍵となりうると思っています。
溝上先生のご来校・ご指導に感謝致します。
文献
〇Friedmann, Wolfgang “Legal Theory” Columbia University Press, 1967
〇Lantis, Jeffrey, S; Kuzma, Lynn,M; and Boehrer, John (eds) "The New International Studies Classroom-Active Teaching, Active Learning" Lynne Rienner Publishers, London, 2000
〇安彦 忠彦(編)『学校知の転換―カリキュラム開発をどう進めるか―』ぎょうせい 1998年
〇小野田 博一『論理的に話す方法―説得力が倍増するワークブック』日本実業出版社 1996年
〇ガードナー、マーチン(野崎 監訳)『The Paradox Box―逆説の思考』日経サイエンス社 1979年
〇ゴルデル、ヨースタイン『ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙(上)(下)』(池田・須田 訳)日本放送出版協会 1997年
〇野島 大輔「SIS社会科での、教科と授業づくりの工夫点」『千里国際学園研究紀要』No.12, 2007年
〇野島 大輔「『知識の理論 J』の展開と事例―国際バカロレア(IB)コア科目の理念を、どう国 内の教科実践としていくか―」『千里国際学園 研究紀要』No.13, 2009 年
〇ブルーナー、ジェローム(鈴木・佐藤 訳)『教育の過程』岩波書店 1963年
〇ヨンパルト、ホセ『一般法哲学―法哲学問題の歴史的・体系的考察』成文堂 1986年
*この他に、各社発刊の「倫理・社会」検定教科書、およびそれらに準じた副教材などを参照している。(授業論・カリキュラム開発論やIB論、哲学者・思想家個人の思想に関する文献や資料は多岐にわたるため、省略している。)
謝辞(資料入手・助言など=所属肩書は当時のもの、(資料入手・助言などお力添えをくださった先生方=所属・肩書は当時のもの)順不同)
・ 野島 大輔(のじま だいすけ)@関西学院千里国際中・高等部