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✔ 「教える」の部分では,教材,教具,操作活動などを工夫したわかりやすい教え方を心がける。また,教師主導で説明するにしても,子どもたちと対話したり,ときおり発言や挙手を通じて理解状態をモニターしたりする姿勢をもつ。
✔ 「考えさせる」の第1ステップとして,「教科書や教師の説明内容が理解できているか」を確認するため,子ども同士の説明活動や教えあい活動を入れる。これは,必ずしも問題を解いているわけではなくとも,考える活動として重視する。
✔ 「考えさせる」の第2ステップとして,いわゆる問題解決部分があるが,ここは,「理解深化課題」として,多くの子どもが誤解していそうな問題や,教えられたことを使って考えさせる発展的な課題を用意する。小グループによる協働的問題解決により,参加意識を高め,コミュニケーションを促したい。
✔ 「考えさせる」の第3ステップとして,「授業でわかったこと」「まだよくわからないこと」を記述させたり,「質問カード」によって,疑問を提出することを促す。子どものメタ認知を促すとともに,教師が授業をどう展開していくかを考えるのに活用する。
しかも,注意してほしいのは,これを,あくまでも日常的な「習得の授業」として入れるということである。「習得と探究」というのは,学習の基本的なあり方の枠組みとして,私が提案してきたものだが,その後中教審の議論の中で,「活用」が出てきて,2008年の中教審答申,学習指導要領において,「習得・活用・探究」というキーワードになっている。あらためて,「習得」とは,基礎基本となる知識や技能を身に付ける学習,「探究」とは,学習者が興味関心にそって課題を設定してそれを追究するような学習である。
図1は,「教えて考えさせる授業」が習得の授業であることを示したものであり,けっしてすべての授業をこのスタイルでやろうという提案ではないことがおわかりいただけるはずである。探究の授業では,教えて考えさせるという順序性にこだわる必要はなく,むしろ,「考えさせながら教える」という展開が普通だろう。よくある誤解として,「習得で教えて,探究で考えさせるということなのか」「1時間の授業に習得と探究を入れるというのか」というものがあるが,そうではないことは,この図を見て,習得と探究の意味に立ち返っていただければわかるであろう。しかも,習得においてさえも,すべてを「教えて考えさせる」というスタイルでするということではなく,あくまでも「オーソドックスな授業展開」であるといっている。当然ながら,習得の中でもじっくり問題解決にとりくむ授業や,ドリル中心になる授業もあってよいわけである。
下村文部科学省大臣が中教審に対して学習指導要領の次期改訂を諮問した2014年11月以降,中教審ならびに文部科学省は,あわただしいペースで検討を重ねてきた。実は,それ以前から,キー・コンピテンシー,21世紀型スキルなどの用語がとびかう中で,次期改訂はこれからの社会に向けての資質・能力の育成が大きな柱になることが議論されていた。これは世界的な動向でもある。そこに,諮問文の中でも多用された「アクティブ・ラーニング」が,資質・能力の育成方法の1つとして浮上したわけである。
アクティブ・ラーニングは,もともと1990年代のアメリカの大学教育でいわれたものであり,講義形式の授業を聞いてテストやレポートで評価されるという受動的な学習から,グループワーク,討論,発表などの積極的な表現活動や学習者相互作用を取り入れた学習形態をさすものであった。これが,中教審でも,まずは高等教育部会,続いて初等中等教育部会で提起されたことになる。この方向性はもっともであるが,ブームのような活況を呈することになったため,アクティブ・ラーニングをどのようなものととらえ,学校にどのような授業を期待するのかについては,中教審でも慎重な議論を要した。
私自身は,委員の一人として,多くの発言をしてきたし,アクティブ・ラーニングを取り入れた習得の授業の1つとして「教えて考えさせる授業」についてプレゼンする機会も与えられた。委員や文科省事務局の間では,非常に好意的に受け止められたといってよいと思う。というのは,アクティブ・ラーニングを探究的学習だけと考えたり,教師が教えることを排除して子どもの活動だけで授業をするかのような論が,一般にはかなり多かったからである。その中にあって,「教えて考えさせる授業」の理論と実践を聞いて「ほっとした」とか,とくに高校関係者からは,「福音である」という声さえあった。それだけ,偏ったアクティブ・ラーニング像に翻弄されていたということであろう。
最終的に2016年12月21日に出された答申では,「主体的・対話的で深い学び」を「アクティブ・ラーニングの視点」として,その趣旨やねらいを示している。そして,特定の型を普及させるというものではないことも,あらためて強調されている。これは,そう思わせてしまうような情報がかなり出回っていたためである。答申の中でも配慮されているのは,「習得・活用・探究という学習の過程全体について考えるべきであること」と,「教師の教授行動は依然として大切なものであること」が述べられていることである。