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(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは

要点

  • アクティブラーニングは、「一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う」と学術的に定義される。
  • アクティブラーニングは、講義一辺倒の授業を脱却すること、学習を社会化することに大きなポイントがある。
  • 伝統的な講義型・講義中心型授業に対して位置づけられるアクティブラーニング型授業は、「講義+AL型」「AL中心型」に類型化される。教育改革のターゲットは、講義型あるいは講義中心型授業を「講義+AL型」授業へと転換させることである。
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    第1節 アクティブラーニングの定義

    (1) 学術的な定義
     アクティブラーニングは、米国の高等教育において1980年代に提起され、1990年代に入ってボンウェルとアイソン(Bonwell & Eison, 1991)によって定義化された学習概念であるとされる(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)。ボンウェルらの定義は多くの研究者に引用され、アクティブラーニング論の基礎となっているが、筆者はこれをふまえてアクティブラーニングを下記のとおり定義している(注1)。これが筆者の学術的な定義である。

    一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセス(*)の外化を伴う。

    *認知プロセスとは、知覚・記憶・言語・思考(論理的 / 批判的 / 創造的思考、推論、判断、意思決定、問題解決など)といった心的表象としての情報処理プロセスのことである。

     

    (注1)アクティブラーニングに関するBonwell & Eison(1991)の定義と筆者の定義の相違に関心のある者は、溝上, (2014)を参照のこと。

     

     他方で、日本でアクティブラーニングがはじめて文部科学省の施策用語として登場したのは、いわゆる質的転換答申(中央教育審議会『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて(答申)』(2012年8月28日)であった(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)。その用語集では、「アクティブ・ラーニング」(注2)は次のように説明されている。

    教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等によっても取り入れられる(注3)

     

    (注2)筆者の学術的な流れ・定義に基づくものを「アクティブラーニング」とし、文部科学省や中央教育審議会で使用される施策用語を「アクティブ・ラーニング」として区別していく。中黒「・」が入るか入らないかの違いをつけている。

    (注3)文面に見られるとおり、学習は「学修」と表記されている。質的転換答申以降、単位制(大学設置基準第21条)に基づく大学の正課の授業に関する学習は、原則として「学修」であるとして表記統一がはかられている。中学校高校まで含めてアクティブラーニング/アクティブ・ラーニングを論じていく本ページでは、「学習」「学修」の分別はさほど大きな意味をもたないので、以下の文章では、引用や抜粋以外は「学習」に表記し直して使用する。

     

    (2) 質的転換答申のアクティブ・ラーニングとの共通点
     どちらも、授業に書く・話す・発表するなどの活動を伴う学習形態を導入して、講義一辺倒の授業を脱却せよ、と主張している点では共通している。とりわけ、学習を個人的なものから他者や集団を組み込み、協働的(注4)なもの、社会的なものへと拡張していく点(=学習の社会化)は、これまでの学習が個人の知識・技能の習得を中心としたものであったことをふまえて、最大のポイントとなっている。

     字面だけを見て、アクティブラーニングをただ「アクティブ」なラーニングなのだと理解する者が見られるが、これらの者は、講義一辺倒の授業の脱却、学習の社会化の意義を外していることが多い。アクティブラーニングであろうとアクティブ・ラーニングであろうと、両者は本質的に、学校から仕事・社会へのトランジションを背景として、学習と成長パラダイム(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)に基づいて体系立てられている学習論である。アクティブラーニングが学習論として体系立てる学習概念であることを外すと、それは個人がただ積極的に学習課題に関与するという、いわゆる「主体的な学習」と同義になってしまう。アクティブラーニング/アクティブ・ラーニングは、主体的な学習よりかなり文脈を特化した、そして体系立てられた学習論である。


    (注4)最近の中央教育審議会答申をはじめとする文部科学省の施策説明では、「協働」が用いられている。筆者もこれにならい、「協働」を用いることとする。そのうえで、「協同学習(cooperative learning)」などの学習を論ずる場合には「協同」を用いることとする。

     

    (3) 質的転換答申のアクティブ・ラーニングとの相違点
     二点相違点が見られる。一つは目的の相違である。
     質的転換答申では、要は、資質・能力を育てることを目的としてアクティブ・ラーニングを導入せよ、と主張している。「学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」という説明がこれに該当する。そして、「発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等」といった活動への関与が、資質・能力育成のための手段だと見なされている。
     これに対して筆者は、トランジション課題の問題を解決することを目的として、成長指標(目標)を学習と成長パラダイムに基づいて設定し、その実現のためにアクティブラーニングを導入せよ、と主張している(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)。質的転換答申のアクティブ・ラーニングの目指す先は資質・能力の育成にあるが、筆者のアクティブラーニングの目指す先はトランジション課題の問題解決をはかった学生の成長にある。
     筆者のいう成長指標のなかに、資質・能力の習得(育成)は含まれているし、それは大きなものである。しかし、フィンク(Fink, 2003)が挙げるような、「人間の次元」や「関心を向ける」「学び方を学ぶ」といった、資質・能力以外のものもある。さらには、たとえば医療系の「患者の良きパートナーとしての医者の育成」、女子大学の「社会のなかで活躍する女性を育てる」、地方大学の「地域の人材育成」といった大学・学部の個性的な組織的成長指標として設定されるものもある。これらは、「(理論)アクティブラーニング論の背景」でまとめたように、学習と成長パラダイムに基づく個性的な成長指標として設定されるものである。
     このように筆者は、資質・能力の育成につながるものがアクティブラーニングだという定義ではなく、資質・能力の育成を含めたより広範な成長を実現するために、活動への関与と認知プロセスの外化を構成要素として、アクティブラーニングを定義している。
     二点目は、定義や説明に見られる構成要素の相違についてである。
     質的転換答申では、アクティブ・ラーニングとは、学生を「発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等」といった活動へ関与させることと説明されている。構成要素は、活動への関与だけである。しかし、ただ学生を活動に関与させればいいと説明しているわけではなく、「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力」が育つような成果ベース(outcomes-based)の活動と説明されている。ここには留意すべきである。
     これに対して筆者は、(書く・話す・発表するなどの)活動への関与と認知プロセスの外化をセットにしてアクティブラーニングを定義している。そこでは、資質・能力の育成を含めた、より広範な成長を実現するための要件として、認知プロセスの外化を加えている。構成要素は、活動への関与と認知プロセスの外化の2点である。資質・能力の習得を含めた学生の成長が実現するときには、両者が十分に協奏したときの結果であると見なされる。
     しかし、いずれの定義や説明であっても、アクティブラーニング/アクティブ・ラーニングが、ただ活動だけが豊かで頭のなかが十分に働いていない、いわゆる「活動あって学びなし」とよく揶揄されるようなものでないことは、繰り返し述べておきたい。筆者の定義には認知プロセスの外化があり、活動への関与に伴って、頭のなかを働かせていることが定義のなかに含み込まれている。活動への関与だけでアクティブラーニングと定義されていないことは、明白である。また、質的転換答申の説明でも、資質・能力が育つような活動にするという成果ベースの説明になっていることから、やはり活動だけが豊かであるようなアクティブ・ラーニングが唱えられているわけではない。

     

    (4) 認知プロセスの「外化」について
     最初に定義をおこなったとされるボンウェルら(Bonwell & Eison, 1991)のアクティブラーニングにおいても、認知機能の一部である「高次の思考(分析や統合・評価)を働かせる」(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)が、アクティブラーニングのポイントとして挙げられている。定義に含み込まれる、アクティブラーニングの構成要素の一つとして理解していい。その意味では、アクティブラーニングの定義で、活動への関与に認知機能まで含み込むのは、なにも筆者のオリジナルではない。ボンウェルらが古く定義したものにその原型があるといえる。
     ちなみに、ボンウェルらが用いる「高次の思考」とは、ブルーム・タキソノミーの認知過程(知識-理解-活用-分析-総合-評価)のなかで、「評価」により近い認知を指しているようである(松下, 2015)。筆者は、高次の思考だけではなく「思考」を、思考だけでなく、他の認知機能である知覚や記憶、言語をも含めて、上位概念の「認知」を用いようと考え(注5)、あらゆる認知機能を働かせることをポイントとしたアクティブラーニングになるように定義をした。ここまでは、これまでの確認である。

     

    (注5)この理由に関心のある者は、溝上(2014)を参照のこと。

     

     さて、「思考」であろうが「認知」であろうが、要は活動だけでなく、それに伴って頭も働かせることをアクティブラーニングのポイントとするわけだが、筆者の定義には、それに(認知プロセスの)「外化」という言葉を加えて、筆者固有の定義に仕上げている。理由はさほど複雑なものではなく、書く・話す・発表するなどの活動を、認知の側から外化として併せて説明しただけのことである。書く・話す・発表するなどの活動をおこなうことは、頭のなかで考えたこと(認知プロセス)を外化させることに他ならない。両者は同じ行為の異なる観点からの説明である。その上で、活動と認知の二重表現による、両者の十分な協奏こそが、充実したアクティブラーニングを作ると考えたのである。
     この意味では、筆者にとってのアクティブラーニングは、認知を十分に働かせた「表現」活動といえるものでもある。単に知覚・記憶・言語・思考といった認知能力――それが社会から求められる資質・能力の育成に繋がるわけであるが――を育成するためのアクティブラーニングではなく、表現の結果の一つが資質・能力を育成させ、その他の個性的・組織的指標(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)に基づく成長を促すもの、それがアクティブラーニングだと考えてきたのである。
     表現された結果を見て、それが授業者の期待する質や成果となっていなければ、活動と認知のどこか、あるいはその手前に問題があったと考えればよい。活動をさせるために提示した課題の内容が問題だったのかもしれないし、その課題に取り組ませる手前の学習状況が問題だったのかもしれない。一生懸命頭を働かせていたように見えても、どこか人任せのところがあったのかもしれないし、精いっぱい既有知識や資料等を駆使して思考した結果だとはいえないものだったのかもしれない。
     表現されたものを通してアクティブラーニングのプロセス、その前後をアセスメントしていけばいいと考えていけば、アクティブラーニングの成果の話は、アクティブラーニング型授業 (次節を参照) の問題へと接続していく。つまり、学習成果をもとにしたアクティブラーニングの質の検討は、アクティブラーニング型授業の問題としてなされればいいのである。アクティブラーニングの活動と認知の学習形態だけで、あれもこれもと学習成果が得られると期待する方がおかしい。アクティブラーニングの定義に「外化」を加えたのは、活動と認知の協奏をもって表現活動をより充実したものとすること、そして、この授業論へと接続させていくことを意図していたからに他ならない(注6)


    (注6)このページでは、高等教育におけるアクティブラーニングを論じており、初等中等教育の施策に下ろされたアクティブ・ラーニングの説明とは異なるものである。次期学習指導要領改訂に関わる中央教育審議会教育課程部会『審議のまとめ』(2016年8月26日)では、アクティブ・ラーニングの視点に基づく授業改善というかたちで説明がなされており、その視点として「主体的・対話的で深い学び」が提示されている。詳しくは「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点-」を参照のこと。

     


    第2節 アクティブラーニング型授業へ 

    (1) 講義科目と演習科目という科目区分自体が時代遅れではないか
     講義科目や演習科目、実験科目といった科目区分をもつ日本の大学教育において、演習や実験科目、卒業研究は実質的に、書く・話す・発表する等の活動と認知プロセスの外化と定義するアクティブラーニングの形式を採る。この点をふまえれば、大学教育の改善において目指されるべきは、4年間(6年間)のなかで多くの時間を費やす講義科目において、講義一辺倒の授業を脱却することにある。アクティブラーニング論が講義科目だけを対象としているわけではもちろんないが、講義科目が学士課程教育の多くの時間を占める現状を鑑みて、そして大学教育が資質・能力の育成を含めた学びと成長の機会を提供するものとなるために、講義科目におけるアクティブラーニングの導入を主唱することは、筆者は避けられない流れだと考えている。
     この流れをふまえていま求められるのは、あらゆる授業を、知識を習得する時間(講義パート)と、それをふまえた書く・話す・発表するなどの活動の時間(アクティブラーニング・パート)とを組み合わせた「アクティブラーニング型授業」(講義+アクティブラーニング)にすることとまとめられる。もはや、知識を習得する時間は講義科目、知識を活用・理解を表現する科目は演習科目といった峻別自体が旧時代的であるといえるかもしれない。知識の習得と同時に、知識の活用、理解の表現、問題解決もおこなう。この組み合わせこそがいま求められる学習形態である。
     このような考え方のもとでは、講義科目は、たとえば講義8+アクティブラーニング2といったように、講義パートの比重が大きい授業として理解されることになる。演習科目は、たとえば講義2+アクティブラーニング8といったように、演習パートの比重が大きい授業として理解されることになる。演習科目でも、質の高い演習にしようと思えば、課題に合わせての知識の習得(講義パート)は多少なりとも必要であるし、実際に良い演習の授業ではそういうことがなされている。講義科目も演習科目も、この比重を見定めたアクティブラーニング型授業としてとらえ直されるべきである。

    (2) アクティブラーニング型授業の位置づけと類型
     アクティブラーニング型授業は、図1のように位置づけて、類型化される。
    講義型授業 アクティブラーニング型授業は、一方向的な知識伝達型講義を聴くという「受動的」学習だけで構成される授業に相対するものである。その意味で、アクティブラーニング型授業の類型の前に、相対する「講義型」授業を設定しておく必要がある。
     「講義型」は教師主導の伝統的な授業であり、教師から学生への一方向的な知識伝達型講義のことである。

    講義中心型授業 教師主導の伝統的な講義中心の授業であるが、授業の最後にコメントシートを配り、その日の授業で考えたことや感想を書かせる。教師によってはそれに一言コメントをして返す、あるいは授業アンケートをとって学生が授業をどのように受けているかを知り授業を改善する。そういう形での双方向的な、しかし学生の話す、発表するといった活動までには踏み込まない参加型授業と呼ばれてきたものである。1990年代半ば頃より紹介されはじめ、今日ではかなり一般的に普及した授業形態となっている。
     この参加型授業を、図1では「講義中心型」授業と称している。問題は、これをアクティブラーニング型授業だと見なすか否かである。定義に基づく限り、この授業類型をアクティブラーニング型授業でないとはいえない。「書く」という活動もアクティブラーニングの一つだからであり、「聴く」だけの講義型授業をたしかに乗り越えているからである。
     しかし、「(理論)アクティブラーニング論の背景」で述べたように、いまやアクティブラーニング論は、大学の大衆化や学生の多様化といった、大学の内側の問題に対処する学習論にとどまるものではなくなっている。大学の外側の論理にも依拠して、さまざまな観点から学生の成長を促すべく、学習と成長パラダイムに基づく学習論として発展している(注7)。とくに、資質・能力の育成は、専門分野を越えて一般的に求められている成長指標である。近年の知識基盤社会の到来、社会の情報化・グローバル化に伴って、知識や情報の操作が高度化・複雑化し、また異質な他者との出会い、異文化での仕事や交流が頻繁に起こるようになっていて、新たに、あるいはより高度に資質・能力の育成が社会から求められているのである。

     

    (注7)溝上(2014)で、アクティブラーニングの構図Aから構図Bへの移行としても説明しているものである。

     

     このような学校と仕事・社会とを繋ぐトランジションが課題となっているなかで、コメントシートを導入する程度の参加型授業で、学生のさまざまな観点からの成長を促せるとはとうてい考えられない。「書く」はたしかにアクティブラーニングの一つではあっても、それだけを講義に導入する「講義中心型」授業を、いま私たちが目指すアクティブラーニング型授業の一つに加えるわけにはいかない。「書く」活動については、考え方として、アクティブラーニングの独立した一つの活動と理解するよりも、「話す」「発表する」とセットとなる活動として理解する必要がある。
     このように考えて、図1では、「講義中心型」授業を伝統的授業の一つと見なし、以下二つの「講義+AL型」「AL中心型」授業を、いま私たちが目指すアクティブラーニング型授業の類型と見なす。そして、アクティブラーニング論が、「講義一辺倒の授業を脱却する」というときの「講義一辺倒の授業」とは、図1でいうところの「講義型」「講義中心型」の授業を指すものとする。
    講義+AL(アクティブラーニング)型授業 どちらかといえば教師主導であるが、講義だけでなく、学生の書く・話す・発表するなどの活動もあるアクティブラーニング型授業である。次で述べるAL中心型は、大学でけっこう充実して展開しているので、その意味ではいま、「講義型」「講義中心型」授業から「講義+AL型」への転換がもっとも求められているといえよう。
     講義を中心としながら、クリッカーを用いたペアワーク(ディスカッション)を導入する「ピアインストラクション」(Mazur, 1997)も、この「講義+AL型」授業に属する。
    AL(アクティブラーニング)中心型 徹底的に学習パラダイム(「学習は学生中心」「学習を産み出すこと」「知識は構成され、創造され、獲得されるもの」、「(理論)アクティブラーニング論の背景」の表1を参照)に基づいた学生主導の授業を指す。
     アクティブラーニングが中心となる演習やプロジェクト学習は、もちろんこの「AL中心型」授業に属するが、アクティブラーニングを中心としながら知識習得を目指す「問題解決学習(PBL:Problem-based Learing)」や「LTD話し合い学習法(Learning Through Discussion)」(安永・須藤, 2014) も、この「AL中心型」授業に属すると考えられる。



    図1 アクティブラーニング型授業の位置づけと類型

    *ALは「アクティブラーニング」を指す。


    文献 

    Bonwell, C. C., & Eison, J. A. (1991). Active learning: Creating excitement in the classroom. ASHE-ERIC Higher Education Report No.1.

    Fink, L. D. (2003). Creating significant learning experiences: An integrated approach to designing college courses.. San Francisco, CA: Jossey-Bass.

    松下佳代 (2015). ディープ・アクティブラーニングへの誘い 松下佳代・京都大学高等教育研究開発推進センター (編) ディープ・アクティブラーニング-大学授業を深化させるために- 勁草書房 pp.1-27.

    Mazur, E. (1997). Peer instruction: A user’s manual. New Jersey: Prentice Hall.

    溝上慎一 (2014). アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換 東信堂

    安永悟・須藤文 (2014). LTD話し合い学習法 ナカニシヤ出版

     

     

    このページは東信堂より承諾の上

    溝上慎一 (2014). アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換 東信堂

    溝上慎一 (2016). 大学教育におけるアクティブラーニングとは 溝上慎一 (編) 高等学校におけるアクティブラーニング:理論編 東信堂 pp.28-41.

    をもとに修正して掲載しています。

      

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