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(用語集)非認知能力

第1節 非認知能力が叫ばれるようになった背景

1960年代から日本が学歴社会へと転換する中で、学力に代表される認知能力が子ども・若者の将来の成功を決めると、人びとの間で理解されるようになった。偏差値や受験競争、良い大学、良い会社に入れば人生安泰といった方程式も、認知能力を基礎とする学力、さらには学歴社会に関連づけて叫ばれてきたものである。

ところが近年、学力に代表される認知能力だけで人の将来の成功が決まるわけではなく、非認知能力の重要性が盛んに叫ばれるようになった。その火付け役となったのはアメリカのノーベル経済学賞受賞者のヘックマン(2015)の研究である(注1)。簡単に言えば、子どもの人生の成功には学力に代表される認知能力だけでなく、非認知能力(肉体的・精神的健康や忍耐強さ、注意深さ、意欲、自信など)が大きく影響していて、その育成に幼児期の教育環境が重要であるという主張である。

ミッシェル(2017)の「マシュマロテスト」も、この文脈でよく紹介されるものである。マシュマロテストは、与えられたマシュマロをすぐ食べないでじっと我慢できる忍耐強さを示す実験であるが、そこでも将来を見据えてセルフコントロールを働かせられる非認知能力が、人生の成功を導く重要な基礎になると主張されている。

(注1)ヘックマンは「非認知スキル(non-cognitive skills)」と呼んでいるが、ここでは世の中の使用に合わせて「非認知能力」と呼んでいく。

 

 

第2節 非認知能力とは

(1)概念的特徴と定義

多くの場合、非認知能力は「認知能力以外のあらゆる能力」と定義されて用いられているが、ここでの「認知能力」は従来の(教科)学力に相当するものであることに注意する必要がある(注2)。その上で無藤(2016)は、非認知の具体的な能力を「目標や意欲、興味・関心をもち、粘り強く、仲間と協調して取り組む力や姿勢」(p.18)と例示している。一般的に非認知能力と言われる場合、まずはこのようなものと理解すればいいのではないか。

(注2)「認知」を主対象として研究する認知心理学では、認知とは知覚・記憶・言語・思考(論理的/批判的/創造的思考、推論、判断、意思決定、問題解決など)といった心的表象としての情報処理プロセスを指す(cf. 楠見, 2010)。このような頭の中で起こる情報処理プロセスを「認知」と見なす立場では、教育経済学の学者らが定義する非認知能力のほとんどは「認知(能力)」と見なされることになる。

 

(2)基盤的な学力としての非認知能力

無藤(2016)は、非認知能力が「学びに向かう力・人間性等」に相当すると説いている。学びに向かう力・人間性等は、学力の三要素に対応させて新学習指導要領の「資質・能力の三つの柱」の一つとして提示されているものであり(注3)図表1の氷山モデルで見れば、海面下深層に位置する資質・能力として理解されるものである。海面上の知識・技能(見える学力)や海面下表層の思考力・判断力・表現力等(見えにくい学力)を「認知能力」と見なし、海面下深層の学びに向かう力・人間性等(見えない学力)を「非認知能力」と見なして理解することができる。

(注2)詳しくは「(用語集)学力の三要素」を参照。

 


図表1 氷山モデルから見る学力の三要素

 

(3)OECDの社会情緒的スキルとしての非認知能力

非認知能力は多義的な概念なので、実践的・調査等研究においては、いくつか次元に分けたうちのどのような次元の非認知能力を扱うかを明確にしなければならない。

OECD(2015)は、『社会的進展のためのスキル』と題するレポートの中で、非認知能力に相当する力を「社会情緒的スキル(social and emotional skills)」と呼び、①目標達成、②他者との協働、③感情処理の3つの側面に関する思考・感情・行動の一貫したパターンとして表れるスキルであると説いている。

 


図表2 認知・非認知(社会情緒的)スキルの枠組み

*OECD (2015), Figure 2.3, p.34より翻訳・作成

 

OECDレポートでは、9つの国々の青少年を対象にした研究結果をもとに、非認知能力(社会情緒的スキル)が認知能力の向上に影響を及ぼす効果は認められても、認知能力が非認知能力に影響を及ぼす効果は認められなかったと述べられている。この結果は、学力の三要素をたとえた氷山モデルにおいて、非認知能力(学びに向かう力・人間性等)が海面上と海面下表層にある認知能力(知識・技能、思考力・判断力・表現力等)を海面下深層から支えているという無藤(2016)の考えを支持するものである。

仕事や社会で力強く生きていく上で、表立って必要とされるのは認知能力であるかもしれない。しかしながら、非認知能力が基盤的な学力として下支えしてこそ、その認知能力は向上するというものである。非認知能力の機能をこのように理解したい。

(4) 発達心理学の立場からの批判――非「認知能力」としての非認知能力

第1節で紹介したように、非認知能力が幼児教育や学校教育の世界でこれだけ謳われるようになったきっかけに、ノーベル経済学賞受賞者のヘックマン(2015)の提唱がある。しかし、発達心理学の専門的立場から見れば、用語は違いながらも、「非認知能力」に相当するものの研究は100年近くにわたって膨大になされてきたと言える(遠藤, 2017)。何を今更というような印象を受けるのは正直なところである。

しかも、非認知能力として示されるものの中身は、「目標や意欲、興味・関心をもち、粘り強く、仲間と協調して取り組む力や姿勢」といったように、能力と見なせないパーソナリティや態度、構えのようなものまで含まれている。遠藤(2017)は、「非認知能力」というのは、認知能力以外のあらゆる能力という意味での非認知「能力」ではなく、認知能力以外の心の性質(認識・意識・理解・信念・知識・特性・一部の能力など)すべてを含む非「認知能力」ではないかと批判する。

 

 

第3節 実践的な理解に向けて――提案

以上の議論を踏まえて、次のように「非認知能力」を扱っていくことを提案する。箇条書きでまとめておく。

 

 

第4節 その後の著書・文献(補足)

 

 

文献 

遠藤利彦 (2017). 「非認知」なるものの発達と教育-その亜可能性と陥穽を探る- 遠藤利彦 (研究代表者) (2017). 非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書 国立教育政策研究所平成27年度プロジェクト研究報告書 pp.15-27

ヘックマン, J. J. (著) 大竹文雄 (解説) 古草秀子 (訳) (2015). 幼児教育の経済学 東洋経済新報社

楠見孝 (編) (2010). 思考と言語 北大路書房

ミシェル, W. (著) 柴田裕之 (訳) (2017). マシュマロ・テスト-成功する子・しない子- 早川書房

溝上慎一 (2020). 社会に生きる個性―自己と他者・拡張的パーソナリティ・エージェンシー- 東信堂

森口祐介 (2019). 自分をコントロールする力-非認知スキルの心理学- 講談社現代新書

無藤隆 (2016). 支援の「発想」を転換すれば日常の遊びや生活の中で十分に育つ (特集『生涯の学びを支える「非認知能力」をどう育てるか』) これからの幼児教育 (ベネッセ教育総合研究所), 2016, 18-21.

OECD (2015). Skills for social progress: The power of social and emotional skills. OECD Skills Studies.

小塩真司 (編) (2021). 非認知能力-概念・測定と教育の可能性- 北大路書房

 

 

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