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一蝶 亮(桐蔭学園)
私は桐蔭学園の卒業生である。私が桐蔭学園に入学したのは20年ほど前の話だが、当時から「学校の授業だけで難関大学に合格できる進学校」と定評のある学校だった。
生活指導の厳しさはさることながら、学習指導の厳しさも有名であり、地元では「大学実績を上げるために教室の座席を成績順にしている」であるとか、
「下足箱も成績順になっている」といった根も葉もない噂が立つほどであった。
そんな桐蔭学園に転機が訪れる。それは2014年、創立50周年という節目のことであった。これまでの「生徒を叱咤激励し、勉強させて難関大学に合格させる」という教育理念を見直し、
「自ら考え判断し行動できる子どもたちの育成」を新たな教育ビジョンとして掲げ、大学進学後も学び続け、多様化する社会に出てからも活躍できる人材を育成しようと方向転換を図ったのである。
いわば、「大学に合格させることが桐蔭学園の教員の使命である」という価値観からの転換、パラダイムシフトである。
新しい教育ビジョンが掲げられたとき、現場の教員の中からは「これまでのやり方で何が悪いのか」という声があがった。特に多く聞かれたのは「これまで輩出してきた卒業生の多くは、
立派に社会で活躍している」という声である。―なるほど、そうかもしれない。難関大学に進学し、世間で名の通った企業に就職し、それなりのポストに就いている卒業生も少なくないであろう。
しかし、これまでの卒業生が立派に社会で活躍しているということが、これからの教育を変えなくてよいと主張する根拠にはなり得ない。社会は我々が考えている以上のスピードで変化しているのであり、
激動の社会の中で自らの信念を持ち、先を見通しながら道を切り拓いていくことのできる人材を育てることこそが、社会からの要請なのである。「大学に合格するための学力は徹底して育てるが、
それ以降のことは一切関係ない」と考えるのは、教員として無責任であるとしか言い様がない。
かくして桐蔭学園は2015年を「改革元年」と位置づけ、全学園的な教育改革に乗り出した。改革の三本柱として「AL型授業」「キャリア教育」「探究的な授業」を据え、
改革初年度は「AL型授業」の導入、2年目から「キャリア教育」の整備、そして4年目である今年度から「探究的な授業」の実践がスタートした。
「キャリア教育」という言葉で多くの教員が頭に思い浮かべるのは「進路指導」や「職業教育」ではなかろうか。確かに、自身の進路を考えること、世の中にある職業について調べてライフキャリアについて考えることは非常に大切なことである。 しかし、この2つに言及するだけでは「キャリア教育」を包括的に述べたことにはならない。文部科学省は「キャリア教育」を以下のように定義している。
また、中央教育審議会答申「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」において、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる能力として「基礎的・汎用的能力」が示された。 なお、「基礎的・汎用的能力」については下記のように整理されて示されている(図表1)。
目の前の生徒たちが将来的に社会的・職業的自立を果たせるよう、学校生活の中で「基礎的・汎用的能力」を育成することが社会の要請である。 我々教員はこのことを念頭に置いて学校生活における様々な取り組みを整理し、考え直さなければならない。
(1) 活動日誌の記録とペアシェア
桐蔭学園では伝統的に「学習時間カード」というツールが存在する。昨日一日の諸活動を記録し、授業外学習にどのくらい時間を充てたかを可視化するためのカードである。年に数回「学習時間調査週」なる期間が設定されており、その期間にのみ登場するツールである。もちろん、授業外学習をどのくらい行うかは大切なことであるが、私はこれを「生活そのものの振り返りのツール」として使えないかと考え、名称を「活動日誌」(図表2)と変えて生徒に毎日書いてもらうことにした。更に、カードに書いたことや書いている中で考えたことを「外化」することでメタ認知力を育みたいと考え、 ペアで書いた内容や考えたことをシェアする「ペアトーク」の時間を設けた(図表3)。自己を客観視し、日々を自覚的に生きる力の育成に繋げることが狙いである。
(2) 1分間スピーチ
多くのクラスで実践されているのが、この1分間スピーチである(図表4)。 全国的にも朝のスピーチ活動は実践されているであろうが、桐蔭学園では今後の成長に繋がる「二つのライフ」(溝上,2018)を意識したテーマ設定にすることで、 「将来への見通しを持ち、現在の自分を見つめる」機会としている。したがって、この場ではスピーチの上手下手は一切不問であり、どれほどたどたどしいスピーチであったにせよ、 自分の将来への見通しを語り、それに向けて今何をすべきか、そしてそれがどのくらい実行できているかを他者に向けて語れることが重要なのである。「外化」することによってメタ認知力を高め、 より自分の人生を主体的に捉えて生きていく力を育むことを目指している。また、一方で聴衆たる生徒たちに関しては「傾聴し、承認する」という姿勢の重要性を説明し、 よき聴衆であることを求めている。具体的には、話し手の目を見、頷きながら聴き、最後には承認の拍手を送るといったところであろうか。なお、承認メッセージを届けるツールとして「メッセージカード」 (図表5)も活用している。
(3) LHRを利用した「キャリア教育」の授業
週に1時間設定されているLHRを利用し、月に1回程度のペースでキャリアデザインやソーシャルスキルの授業を実施している。高校1年次の1学期はソーシャルスキルやストレスマネージメントを中心に扱い、それ以降は「社会人として求められる能力」や「働くことと学ぶことの接点」などキャリアデザインに関わる内容を扱っている。教材や教案は全て筆者が作成し、事前に担任に配付して予習してもらっている。 LHRは学年集会や学校行事のための話し合いの時間として使われることが多く、当初の予定通りにカリキュラムが進まないという課題が残っている。
「私のAL型授業はキャリア教育である」
これは私が必ず学期初めに生徒に向けて伝えていることである。私がAL型授業をキャリア教育であると言い切るのは、次の2点からである。
まず①について。生徒が大学進学後に向き合う「学問」においては「唯一解」など存在しない。自ら課題を発見し、
仮説を立てて他者と協働しながら「最適解」を模索することが学問の場では求められる。いや、学問の場だけではない。生徒がいずれ飛び立つ実社会においても同じことが言える。
社会で遭遇する課題には「唯一解」など存在せず、他者と協働しながら、その状況における「最適解」を導くことが求められるのだ。社会においては、誰も教科書に載っているような「唯一解」を
提示してはくれない。その点において、自身の持つ知識をフルに活用して課題に取り組み、その後、他者と協働しながら与えられた条件に合う「最適解」を導こうとするAL型授業は、
まさに大学、社会へと通ずる課題解決の力を育むものである。
次に②について。我々桐蔭学園の教員がAL型授業の研修に取り組む中で、最も大切にしてきたのが「活用Ⅱの課題」の設定である。 「活用Ⅱの課題」とは、その教科での学びを生徒の実世界(実社会、実生活、自己)に結びつける課題のことであるが、これに取り組む中で「なぜその教科を学ぶのか」「その教科が実世界にどのように 繋がっているのか」について生徒自身が考え、気付くきっかけになる。教科を介して生徒と社会が繋がる学びの場であると言えよう。
桐蔭学園におけるキャリアイベントの目玉は次の2つである。
本校ではキャリアイベントの展開を「社会と繋がり、学問と繋がる」としている。すなわち、高校1年次に社会との接点を設け、社会で働くことや社会貢献をすることについて考察し、
自身のワークキャリアを考えてから具体的な大学や学問について調べて進路を考えていく、という流れにしているのである。
ジョブシャドウイングとは、半日から一日程度組織内で働く社会人に密着し、業務の観察などを経て職業観や勤労観を養うことを目的としたキャリア教育プログラムである。 本校では2年前の高校1年生から導入した。受け入れに際しては主として卒業生に協力を仰いでおり、今年度は23社の協力を得て実施した。本来は「観察し、気付く」ということに重きを置いたプログラムだが、 多くの企業ではPBL型のプログラムを実施したり、業務の一部を体験して実際に働いたり、社会人と「職業を選択すること」「労働を通じて社会貢献すること」や「高校や大学で学ぶ意義」について ディスカッションをしたりとプログラムの内容が充実してきている。
当日の学びや気づきが深まるように、基本的に事前学習は2回実施している。1回目は参加者全員を集めて企画の主旨説明をした後、
メンバー同士で「何を学びたいか」「ジョブシャドウイングを終えて、どうなっていたいか」を共有してもらい、マインドセットを行う。また、個別に事前アンケートも実施し、
ほぼ同じ内容のアンケートを事後にも実施することで、ジョブシャドウイングを経てどの程度意識に差が生まれたかを見ている。2回目の事前研修までの間に企業研究を宿題とし、
それを持ち寄って「企業研究シート」をメンバーで作成、その上で「社会人に訊きたいことリスト」を作成してもらう。「社会人に訊きたいことリスト」はジョブシャドウイング当日社会人に投げかける質問であるが、
「訊けばいいや」と思うのではなく、ジョブシャドウイングをする中で自分なりの「解」を持てるように意識することが大切であると指導している。
事後指導では「振り返り」を大切にしている。当日の内容を振り返ることはもちろん、事前指導時の自分とどのような点で意識の変化があったかということを言語化することに重点を置いている。 「働くこと」に対するイメージの変化はもちろん、将来のワークキャリアに関する意識変化を自分の言葉で語り、将来像を持てるようになることを一つの目標としている。また、その将来像の実現に向け、 これから何をすべきかを言語化することで「二つのライフ」を意識して今後の高校生活を送れるように意図している。
また、高校2年次には大学の研究室に一日訪問し、様々な大学での研究に触れる「研究室シャドウイング」を昨年度よりスタートした。大学によっては大学生や大学院生と共に一つのテーマについて学び、議論するというゼミ体験も行われている。 ただ、受け入れ大学の数も少なく、実施事例が少ないため、今後実施事例を増やしいずれ報告したいと考えている。
学校現場が変わろうとしている。特に難関大学合格に向けて様々な教育活動に注力してきた「進学校」ほど、パラダイムシフトが求められている。
「難関大学に進学すること」ばかりを第一義とする教育観を捨て、我々は生徒の一生涯に関わる教育に携わっているのだという自覚を持たねばならない。
そう、発達段階を鑑みても、我々教員は生徒の一生涯を左右する最も重要な時期に関わる存在なのだ。生徒の一生涯に関わる基礎的・汎用的能力を育むためになにができるのかを真剣に考え、
学校全体の教育活動を見直す必要があるのではないか。
最後に一つ生徒の書いた文章を紹介しておきたい。彼は中学校時代の失敗が原因で級友と上手くいかなくなり、自己肯定感が極めて低い状態で本校に入学してきた生徒である。
他者と接することに恐怖を覚え、「俺は駄目な人間だから……」という言葉が口癖になっていたほどである。筆者が3年間担任をしてきた生徒だが、徐々に他人に心を開くようになり、
遂に「教員になりたい」と自分の目標を笑顔で語れるまでになった。筆者のクラスでは進路面談を実施するに際して「志望理由書」を書かせているのだが、いつも暗い顔をして下を向いていた彼が
このような文章を書き、笑顔で自分の進路を語れるようになったとき、筆者は涙が出るほど嬉しかったのである。
✔担任の先生は「傾聴と承認」、つまり相手の意見を尊重し相手を認めることをクラスのスローガンとして提示しました。その上で、自分の将来についてクラスメイトと意見交換をしながら考える、アクティブラーニング的キャリア教育授業を展開しました。その際に出たどんな発言も認め、
私たちの将来を誰よりも一番真剣に考えて下さった先生の生徒に対する姿勢を見て、私もこのような教員になりたいと思いました。
一蝶 亮(いっちょう りょう)@桐蔭学園(国語・キャリア教育主任)