さよなら餘部鉄橋-寝台特急「出雲」「サンライズ出雲」
2010年8月6日
山陰本線の餘部鉄橋が、98年の歴史に幕を閉じてコンクリート橋に掛け替えられる。学生の頃から何度も行った、全国でもベスト10に入る撮影の名所。。高校の時(1986年)には、この橋から新型のお座敷列車(宮原局の「みやび」)が落ちて、大惨事となった。5月のゴールデンウィークに行ってお別れをしてきた(写真7-12)。
もう一つ、餘部鉄橋と言えば、今は亡き寝台特急列車「出雲」だ。太陽を背にして出雲市に向かう「出雲」をどこで撮るかは、当時鉄ちゃんのあいだでよく議論したテーマの一つだ。餘部では、太陽を背にしてわたってくるので、正面逆光となるが(写真5)、絶景がそれをカバーする。1998年、2本あるうちの1本(出雲2・3号)を伯備線経由の「サンライズ出雲」にバトンを渡し(写真1-4)、山陰本線・京都経由の「出雲」は2006年に廃止。
<写真2>伯備線根雨-黒坂 285系寝台特急「サンライズ出雲」 2010年5月
<写真3>山陰本線宍道駅 285系寝台特急「サンライズ出雲」 2010年5月
*あと少しで、終点出雲市駅。
<写真4>山陰本線宍道駅 285系寝台特急「サンライズ出雲」 2010年5月
<写真5>山陰本線餘部-鎧 DD51重連牽引+14系客車、寝台特急「出雲」 1994年5月
*当時(回送を交えての)重連運転が頻繁にあり、話題になった。1986年のみやび転落事故の前には、側面ガードはこんなになかった。
<写真6>山陰本線餘部駅 キハ47普通列車 2010年5月
*ワンマンカーキハ40へと改造が進むなか、キハ47は希少化している。
<写真7>餘部駅 2010年5月
*私と同様、お別れをしにきている人がたくさんいた。ほとんど年配の人たちだったなあ。
<写真8>餘部駅 2010年5月
*右が新・コンクリート橋。右が完成したら、左を解体して、スライドさせる方式。(2010年)7/16に最終列車がわたった後、8/11まで香住-浜坂間は列車運休にして橋の最終工事を進める。8/12より新鉄橋で運転再開。
<写真9>餘部駅 2010年5月
*駅から道路に降りる階段には、「さようなら餘部鉄橋」「ありがとう餘部鉄橋」の旗が立っていた。
<写真10>餘部駅 2010年5月
*新鉄橋側から見上げて。
<写真11>餘部駅 2010年5月
*旧鉄橋側から見上げて。高さ41.5m。1912年開通。
<写真12>餘部駅 2010年5月
*駅に掲示してあったポスター。「新餘部橋梁 22年夏完成!」