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(講話)溝上の主体的学習論は独我論的?(リプライ)
    -主体的な学習をスペクトラムで理解し、人の環境に対自的に挑む深さを見よ-

要点

 

 

第1節 問題意識

(理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」まで」で、主体的な学習のいわゆるそもそも論を論じた。もちろん、私が考えるそもそも論なので、さまざまな立場から論じられる主体的な学習論があっていい。あって然るべきである。

学術的に重要なのは、さまざまな立場からの論や考え方と関係づけていく作業である。学術論文の作法として、先行研究としての文献レビューやその参照(引用)が求められるのは、自身の論が他の論とどのような関係にあって、どのような相違があるのかを示すためである。この作業によって、自身の論の新規性や独自性が示されることになる。私はここはとても重要な学術的作業だと徹底的に教えられてきた。

ここで問題としたいのは、私の主体的な学習論について「独我論的」だと時々批判されることに対し、私がどのようにリプライするかということである。哲学における独我論を厳密に議論したいわけではないので、ここでは次のように問題設定する。すなわち、私の主体的な学習論は他者や事物など外界との関係に開かれていない、自身(自己)の世界だけで完結している世界観のもとでの、いわゆる「独我論的」な論ではないか、という批判があり、そのリプライである。

 

 

第2節 リプライ

(1) 「主体的」「主体的な学習」とは(確認)

私の主体的な学習論の詳細は上述のページをお読みいただくとして、ここでは必要最低限の説明をしておく。

私は「主体的(agentic)」を、「行為者(主体)が対象(客体)にすすんで働きかけるさま」のことと定義した(図表1を参照)。

 


図表1 「主体」「主体的」とは
*「(理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」の図1より再掲

 

対象(たとえば学習)に働きかける行為には、その行為の起点となる行為者の存在がある。行為の起点としての行為者を「主体」と呼び、行為の終点としての対象を「客体」と呼べば、ここに主体と客体との関係性が生じる。「主体的」とは、この主体と客体の関係性において、主体(行為者)から客体(対象)への働きかけが優勢である状態を指す。客体(対象)のないところに「主体」は存在せず(飯島, 1992)、結果「主体的」という状態も起こりえない。主体は客体との関係においてはじめて「主体」となるのであり、「主体的」は主体と客体との関係性において主体の客体に対する優位性を記述する用語なのである。

その上で「主体的な学習(agentic learning)」は、「行為者(主体)が課題(客体)にすすんで働きかけて取り組まれる学習」のことと定義された。すなわち、主体的な学習とは、対象を学習課題としたときに生じる主体(学習者)から客体(学習課題)への優勢な状態を指すものである。

 

(2) 「対象」の環境への拡がりを読み取ってほしい(リプライ1)

どのような状況を想定して私の論が「独我論的」と批判されるのかよくわからないが、もし私の論が「独我論的」であるとするなら、それは行為が自己内対話として、自己の中で完結している状況を指すはずである。たとえば、自己を対象化(客体化)して、「自分はこういうふうに頑張ればうまくいくことが多かったから、こうしよう」のようなものがそうである。図表2に示すように、自己は外界としての環境に開かれておらず、自己の中に存在するさまざまな私や自己内に内面化された(取り込まれた)他者や事物との関係性だけで、行為(自己内対話)をおこなっている(「自己内対話」の理論的な説明は、溝上, 2008を参照のこと)。

 


図表2 自己と環境の関係

 

学校教育において学習を考えるときには、その対象の多くは、生徒学生にとっての外界としての環境(教科の授業、HR、行事、地域活動など)から教師や大人によって与えられる。自己は環境に開かれている。近年の探究的な学習に代表的に見られるように、生徒学生の中から見出されて取り組まれる課題もあるが、それは学校教育の課題としての主流ではない。そして、生徒学生が環境から与えられる課題に取り組み、そこに主体(行為者としての生徒学生)が客体(学習課題)に対して働きかける優勢な状態が読み取れれば、それは「主体的(な学習)」と呼ばれていいものとなる。

主体的な学習の対象を大きく敷衍して、課外活動をはじめさまざまな日常の活動まで含めてもよい。人の主体的な学習や行為の目的となる「対象」はごまんとあるからである。クラブ活動の中であるプレーや技術習得のために練習をする、アルバイトの中で接客をする、そうした一つ一つの対象への取り組み方に、主体(行為者)と客体(プレー、技術、接客)の関係性は生じている。そこで主体が客体に対して働きかける優勢な状態が認められれば、それらはすべて主体的な学習と呼ばれていい。もっとも、ここでの「学習」の対象は、学校教育(とくに正課カリキュラム)の中で与えられるものを最大限敷衍してのものであることに留意は必要であるが。

 

(3) 主体的な学習をスペクトラムで理解し、人の環境に対自的に挑む深さを見よ(リプライ2)

図表3は、主体的な学習を「課題依存型」「自己調整型」「人生型」の三層から成るスペクトラムとして発展的に説明したものである。主体が客体に対して働きかける優勢な状態というものが、少なくともこの3種類には分けて理解されなければならないということである。

そして、梶田(1996)がサルトルをふまえて用いた「即自的」「対自的」の観点を用いて、私は主体的な学習を「課題依存型」から「自己調整型」「人生型」へ深まっていくものと見た。「即自的」とは、自分自身の存在(あること)に対する気づきや反省を欠いた、ただ自身があるという存在のしかたを指す。これに対して「対自的」とは、自分自身の存在に気づき、自分自身と対話し、ときには自分自身に背くような反省的な存在のしかたである。ここには、外界の対象に対する即自的な反応(おもしろさ)としての主体から客体への優勢から、対象を対自的にコントロールするという主体から客体への優勢への移動が、人間としての深い育ち、成長発達に至る学習であるという学習観が込められている。

 


図表3 主体的な学習スペクトラム
*「(理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」の図3より再掲

 


学習課題(対象)が高校、大学へと進むにつれて、より高度に複雑になっていく。それにしたがって、課題(対象)一つ一つの見た目のおもしろさ(好奇心、興味・関心)だけでは学習動機が成り立たない状況が出てくる。このようなときに、対象にすすんで働きかけるための自己の観点が必要である。図表3では、自己の観点に2種類を設けている。一つは、学習目標や学習方略、メタ認知などを駆使して、直接的に課題をコントロールする「自己調整型」であり、もう一つは、中長期的な人生の目標やアイデンティティ形成、ウェルビーイングを目指して課題にすすんで取り組む「人生型」である。

主体的な学習を、このような対自的(自己調整型・人生型)な深まりとして理解することで、学習が単に知識を理解したり習得したりする活動にとどまらず、人の発達や自己形成をも促す、人生形成のための活動であるとも理解することができるのである。

 

 

文献

飯島宗享 (1992). 自己について 未知谷
梶田叡一 (1996). <自己>を育てる-真の主体性の確立- 金子書房
溝上慎一 (2008). 自己形成の心理学-他者の森をかけ抜けて自己になる- 世界思想社

 

 

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