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(講話)エージェンシーとして理解される二つのライフ-OECDの「学習者のエージェンシー」をふまえて-

要点

 

 

はじめに

OECD(経済協力開発機構)では、2015年から「Education 2030プロジェクト(The Future of Education and Skills 2030 project)」に取り組んでおり、その中間報告に当たるポジションペーパー(以下、ペーパー)が2018年に出された(注1)。このプロジェクトは、2030年という近未来において子どもたちに求められるカリキュラムや教授法、学習評価などについて検討しているものである。

本稿では、ペーパーの中で扱われる「学習者のエージェンシー(learner agency)」を紹介し、私が論じてきた「主体的な学習」論と関連付ける。その上で、私が長らく紹介してきた「二つのライフ」の概念がOECDの「学習者のエージェンシー」に近似することを提示する。

 

 

第1節 学習者のエージェンシーとは

(1) ペーパーの説明

学習者のエージェンシーがいかなるものか、ペーパーの中で明確に定義されていないが、ペーパーの言葉をできるだけ拾って説明すると次のようになる。

学習者のエージェンシーとは、学習者(生徒学生)が複雑で不確かな世界を歩んでいく力のことであり、自らの教育や生活全体、社会参画を通じて、人びとや物事、環境がより良いものとなるように影響を与える力である。このためには2つの力を必要とする。

 

図表1はEducation 2030プロジェクトの全容が描かれた「学びの羅針盤」である。そこでは、DeSeCo(コンピテンシーの定義と選択)プロジェクトで定義したキー・コンピテンシーに立脚して、さらに①新たな価値を創造する力、②対立やジレンマを克服する力、③責任ある行動をとる力の3つのコンピテンシー要素を設定し、それらを「変革を起こす力のあるコンピテンシー」とひとまとめにしている。それぞれの要素は、若者の①革新性、②責任性、③自覚に対応しているとされる。

 


図表1 OECD Education 2030「学びの羅針盤」
* OECD“Education 2030: The Future of Education and Skills”Figure 1(p.4)を一部改編。日本語訳は仮訳版を用いている。

 

エージェンシーがこの図のどこに位置するものかはペーパーで明記されていないが、おそらく変革を起こす力のあるコンピテンシーからウェルビーイングに向かう矢印の部分を指すと考えられる。知識・スキル・態度及び価値の基礎的なコンピテンシーに立脚し、それに変革を起こす力のあるコンピテンシーを加えて、ウェルビーイング(注2)に向かうための推進力を指すと考えられるのである。

ペーパーでは、エージェンシーが単に学習者の個性の発揮のみならず、教師や仲間たち、家族、コミュニティなど、彼らの学習に影響を及ぼしているさまざまな人びととの双方向的で互恵的な協力関係を持つこと(co-agency)まで含める概念であると強調されている。多様な価値観が衝突し、対立やジレンマを生みだしている社会を生きていくために、他者やコミュニティに開かれていない個性ではまったくもって不十分である。さまざまな人びとと協同的に学び合いながら個性を発揮させていくエージェンシーが求められているのであって、それを自らの教育や生活全体、社会参画を通じて発展させていくことが「学習者のエージェンシー」の育成として謳われているのである。

 

 

第2節 「学習者のエージェンシー」はどのような点でエージェンシー論なのか?

エージェンシー(agency)は学術的には「行為主体性」と訳されるもので、自己を起点とした行為、あるいは主体の対象(客体)に対するすすんだ働きかけ、主体の対象(客体)に働きかける優勢性を強調するときに用いられることが多い(注3)。

 

この観点をふまえるとき、OECDの「学習者のエージェンシー」がエージェンシー論たり得るためには、それがどのような対象に対しての主体の優位性を謳っているかを明らかにする必要がある。この対象がなければ、ペーパーにおいて「エージェンシー」という用語を用いる必然性はまったくない。

OECDが学習者に立ちはだかる巨大な対象として設定するのは、問題解決が多く予測困難な「来る社会」である。この「来る社会」を対象とすることで、「学習者のエージェンシー」はエージェンシー論たり得ている。ペーパーの序文では、この「来る社会」を想定して、そこに積極的に働きかけていく学習者のエージェンシーの必要性を論じている。やや長いが、引用しよう。

 

 

 

第3節 エージェンシーとして理解される「二つのライフ」

第1節で、学習者のエージェンシーの基礎となる2つの力(下記)を紹介した。

 

この2つの力は、私が長年扱ってきた「二つのライフ」の測定概念に近いものである。

二つのライフとは、将来と現在の二つのライフの組み合わせを問うものである。調査では、「あなたは、自分の将来についての見通し(将来こういう風でありたい)をもっていますか」という将来の見通しの有無(=future life)をまず尋ね、“もっている”と回答した人には引き続き、「あなたはその見通しの実現に向かって、いま自分が何をすべきなのかわかっていますか。またそれを実行していますか」という、将来の見通しの実現に向かって日々何をしたらいいか、それを行動に移せているかの理解実行(=present life)を尋ねる。分析では、“見通しあり・理解実行”“見通しあり・理解不実行”“見通しあり・不理解”“見通しなし”というように組み合わせをつくり、二つのライフのステイタスを一括表示している。

二つのライフはキャリア意識としての概念であるが、測定されるそのステイタスは、キャリア意識の枠内にとどまらず、学習態度や資質・能力などの、今日文部科学省施策で育成が求められる態度や能力などとも高い関連性を示すことが明らかとなっている(詳しい説明やデータの紹介は溝上, 2018を参照)。これまで二つのライフは、生徒学生の学びと成長を促す「自律のエンジン」の一つとも説明してきたが、OECDの「学習者のエージェンシー」論をふまえると、二つのライフは「エージェンシー」と読み替えて理解する方がより適切であるかもしれない。少なくともキャリア意識以上の概念であることは確かである。

 

 

文献

溝上慎一 (責任編集) 京都大学高等教育研究開発推進センター・河合塾 (編) (2018). 高大接続の本質―「学校と社会をつなぐ調査」から見えてきた課題- 学事出版

 

 

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