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(理論)アクティブラーニングと評価について v2

要点

  • あらゆる教育活動の起点は目標にある。アクティブラーニングは、あくまで学習目標を達成するための学習法に過ぎず、その善し悪し、出来は学習目標に照らして見定められるべきものである。目標のないところでアクティブラーニングだけを取り出して、その善し悪しや出来を見定めようとすることはナンセンスである。
  • アクティブラーニングの評価として焦点が当てられるべきは形成的評価である。形成的評価は、これまで説かれてきた、一授業内の教授学習活動結果を次の授業に繋げて改善するメゾレベルの形成的評価だけでなく、もっと時間スパンが短い学習プロセスを対象とするミクロレベルの形成的評価まで含まれる。
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    本稿では、アクティブラーニングと評価について筆者の考えをまとめておく。なお、いつものお約束ごとであるが、高校以下の教育関係者には、以下の「アクティブラーニング」を「主体的・対話的で深い学び」と都合よく置き換えてお読みいただきたい。

     

     

    第1節 学習評価とは

    アクティブラーニングの評価を問う前に、教科レベルにおける学習評価の基本的な考え方を確認しておく。

    (1)基本的な考え方

    学習評価とは、学習目標(めあて)に基づく学習プロセスや学習成果としての達成を見定める活動である。学習目標に基づく学習プロセスが「形成的評価(formative assessment)」と呼ばれ、学習成果としての達成が「総括的評価(summative assessment)」と呼ばれていることは、教育関係者にとっての基礎知識であろう。

    あらゆる教育活動の起点は目標にある。教育と呼ぶ以上は、目標が活動に先立たなければならない。J. デューイ(2000)の考えを用いて言うならば、教育とは、相互作用と連続性の観点から子どもの経験や認識世界を拡げていく目的的営みである。学習課題や環境との相互作用を経て子どもにどのような経験をさせるのか、どのような知識を授けるのか、その経験や知識によって子どもをどのような未来に誘うのか(連続性)が、教育を考える上での基本的視座である。

    目標がすべての教育活動の始まりと言ってよい。アクティブラーニングは、あくまで学習目標を達成するための学習法に過ぎず、その善し悪し、出来は学習目標に照らして見定められるべきものである。目標のないところでアクティブラーニングだけを取り出して、その善し悪しや出来を見定めようとすることはナンセンスである。

    (2)留意事項

    評価活動における留意点を3点述べておく。

    ①評価=評定ではない

    「評価」は、学習目標に基づく学習プロセスの善し悪しや達成の程度を数値化、可視化して、情報化する営みである。「指導と評価の一体化」が謳われており、評価を指導の確認や改善に結びつけることが求められている。それに対して「評定」は、評価を通じて得られた情報の核となる部分をもとに、成績づけや外部への証明、選抜の資料となる判定をおこなうことである。評価=評定(成績づけ)ではない。

    ②質的な学習プロセスや達成も評価の対象となる

    プロセス評価であれプロダクト評価(評定を含む)であれ、そこでの評価は量的に数値化されるばかりではなく、文章記述などによる質的な学習結果でもいいということである。とくにプロセス評価では、振り返りシートやワークシートに書かれた記述はもちろんのこと、シンキングツール、イメージ化などによって理解や思考が可視化された質的な学習結果も、十分な評価資料となる。それを用いて、学習目標(めあて)に照らした生徒の学習プロセスの善し悪しを評価し、授業や指導の改善、確認をおこなうのである。

    もちろん、理解した個別の知識や技能の定着があってこそ、次の学習がより深く、発展的に進むというものである。そのために、伝統的になされてきた客観テスト(小テストを含む)や実技テストなどの量的な結果も重要な評価資料となる。

    ③ルーブリックを用いたパフォーマンス評価やポートフォリオ評価

    単元末のプロダクトとしての学習結果やより高次の資質・能力を測定するときには、ルーブリックを用いたパフォーマンス評価やポートフォリオ評価が有効である。ルーブリックには、期待されるパフォーマンスの特徴が観点ごとに、レベル別に記載されており(記述語)、それを用いることで、パフォーマンス課題やポートフォリオによる質的な結果を量的に評価することができる。詳しくは参考文献を参照してほしい。

     

     

    第2節 外化を対象としたミクロ・メゾレベルの形成的評価

    講演会でしばしば、「アクティブラーニングの評価をどのように考えればいいのでしょうか」と質問されることがある。まずは、アクティブラーニングそれ自体の評価を考えることはナンセンスであり、第1節で説いたように、学習目標に基づいた形成的評価・総括的評価を考えるべきだと回答しておく。その上で、アクティブラーニングがうまくいっているかどうかをチェックしたいという話ならば、それは形成的評価の一つとしてなされればいいだろうという回答になる。
     形成的評価を、メゾレベルだけでなくミクロレベルの学習プロセスまで拡げて、アクティブラーニングの評価論として説こう。「(講話)アクティブラーニングも主体的・対話的で深い学びも、ポイントは外化にあり」に繋げて、アクティブラーニングの評価は“外化”の姿にありと説きたい。
     図表1は、私が大学で留学生を対象に教えていた授業におけるワークシートのふり返り部分である。まずは、分量の問題を指摘する。多くの学生は左に示される分量で書いてくる。私は、「(ワークシートのふり返りの)空欄が埋まるようにふり返りを書きなさい。その時間もとります」と指示しているからである。それでも右の例に示すような学生の記述が必ず出てくる。改善を促す。
     また、内容の問題がある。「おもしろかった」「考えさせられた」とだけ書き、「何がおもしろかったのか」「何を考えさせられたのか」がまったくわからない記述が少なからずある。「何が」「何を」をしっかり書かないと、学習の質を高めるふり返りにならない。その中で全体で共有しておくべき誤った理解や考え方があれば、次の授業でフィードバックしたり、もう一度説明し直したり別の課題に取り組んだりすればよい。これらは、多くの教員がこれまでもおこなってきた定番の形成的評価であり、メゾレベルの形成的評価と呼べるものである。
     他方で、外化する際の態度や姿勢を即座にアセスメントするという、メゾレベルの形成的評価よりも時間スパンが短いミクロレベルの形成的評価がある。アクティブラーニングを導入しながらも生徒がしっかり取り組まない授業、しばしば「活動あって学びなし」と揶揄される授業は、このミクロレベルの形成的評価が十分でない授業であることが多い。
     図表2は、(山形県)庄内総合高校の井上鉄也教諭のアクティブラーニング型授業の場面である。グループワークをおこない、あるグループの生徒がその結果について発表しているところである。左の写真は、3年前のアクティブラーニング型授業を始めた頃のものである。発表する生徒は声が小さく、意欲が見られなかった。あからさまに聴いていない生徒も見られた。しかし、教師は「声を大きく」「みんなに聞こえるように」「人の発表をしっかり聴く」などの指示や注意もしなかった。発表が終わり、教師は「皆さん、拍手」と言った。しらけた拍手が教室に響いた。
     右は、同教師の1年後の授業である。生徒は大きな声で一生懸命発表をおこない、聴く側は傾聴姿勢をとって発表を聴いた。教師もそのような生徒の姿勢や態度を年度はじめから指導していた。「人の話をしっかり聴く」と抽象的に言ってもわからない生徒に、身体を発表者側に向けて(これを「傾聴姿勢」と呼ぶ)、聴くことを指導する。聴くという活動を外化を通して指導するのである。毎回、毎回うるさく指導する必要はないが、学期はじめの1,2回や中だるみしてくる頃に、傾聴姿勢の指導を入れると効果的である(庄内総合高校の事例や傾聴姿勢について詳しくは溝上 [2018] を参照のこと)。

     

      
    図表1 ふり返りの2例
    * 筆者の留学生対象の英語講義(“Universities and University Students in Today’s Japan”)より

     

      
    図表2 アクティブラーニング型授業 [左] 1年目 [右] 2年目
    *井上鉄也教諭@(山形県)庄内総合高等学校(いずれも数学I 高校1年生)
    *溝上(2018)、図表6(p.15)、図表7(p.20)より

     

    アクティブラーニングの基本である“書く”“話す”“発表する”等の「外化」の活動をさせると、生徒は何を学んだか、何を理解したか、考えたか、さらには課題や授業に取り組む姿勢や意欲はどのようなものであるかが可視化される。新指導要領の資質・能力の三つの柱に基づけば、「何を知っているか、何ができるか(個別の知識・技能)」「知っていること、できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力等)」「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生をどう過ごすか(学びに向かう力、人間性等)」を可視化させることとも言える。外化なしに資質・能力を育てることは不可能である。
     アクティブラーニングそれ自体を評価の対象とする時には、生徒の外化したミクロレベルの姿を形成的評価の対象として、授業改善や指導をおこなっていくというのが、私の主張である。ここでの外化には、“書く”“話す”“発表する”等のあらゆるアクティブラーニングの活動が対象となる。(2)の事例で示したように、“書く”ものの分量や学びの質や深さを指導する。“話す”“発表する”の意欲や姿勢、内容を指導する。“書く”ものは提出されたものを見ないとわからないことが多いが、“話す”“発表する”の姿勢や態度はその場で指導することができる。もちろん、学期はじめや活動前に期待される“話す”“発表する”がガイドされているだろうから、外化の姿が期待通りのものにならないなら、それこそが形成的評価の対象となり、改善が求められる。

    それにしても、外化したとくにミクロレベルの生徒の意欲や態度をここまで評価の対象とすべきなのだろうか。私は、「生徒の様子や授業全体の雰囲気を考慮して」と、緩やかに制約を付けて、必要なことだと考える。と言うのも、外化した生徒の姿が、授業一回性の姿でとどまらず、大学進学後、さらには学校卒業後の仕事の仕方や社会生活の過ごし方に影響を及ぼすと考えられるからである。ここに、新学習指導要領で前面に出てきている資質・能力(とくに思考力・判断力・表現力等)の育成課題が絡む。それを支持するデータも次々と上がってきている。さらには、その姿が高校生の終わりや大学生にもなると大きくは変わりにくいというデータも上がってきている(溝上慎一責任編集, 2018他、「(データ)高校2年生から大学4年生まで生徒はどう変わったか?-『10年トランジション調査』中間報告」を参照)。

    何のためのアクティブラーニングか。それは、変わる社会をにらんだ学校教育の社会的機能の見直し、学校から仕事・社会へのトランジションを円滑に促すためだと答えてきた。生徒は何のために学校で学ぶのか。将来、大人になって仕事・社会に出て、力強く生きていくためではないのか。それに、外化した姿が関連していると理解されるならば、(2)で示した事例のような、ミクロ・メゾレベルの外化された学習プロセスでの指導や介入が重要となる。一瞬一瞬が勝負なのである。

     

     

    文献 

    デューイ, J. 河村望 (訳) (2000). 学校と社会・経験と教育 (デューイ=ミード著作集7) 人間の科学社
    溝上慎一 (2018). アクティブラーニング型授業の基本形と生徒の身体性 東信堂
    溝上慎一 (責任編集) 京都大学高等教育研究開発推進センター・河合塾 (編) (2018). 高大接続の本質―「学校と社会をつなぐ調査」から見えてきた課題- 学事出版

     

     

    参考文献 

    松下佳代・石井英真 (編) (2016). アクティブラーニングの評価 (アクティブラーニング・シリーズ第3巻) 東信堂
    西岡加名恵・石井英真・田中耕治 (編) (2015). 新しい教育評価入門-人を育てる評価のために-有斐閣コンパクト
    石井英真 (2020). 授業のづくりの深め方-「よい授業」をデザインするための5つのツボ- ミネルヴァ書房

     

    ※本稿は、『教育科学 国語教育』連載第10~11回(No.829-830)(2019年1~2月)の「アクティブラーニングの評価」「アクティブラーニング評価論の第一はミクロレベルの形成的評価」をもとに加筆・修正したものです。

     

     

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