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森朋子のコメントは最後にあります。
世の中には○○法といったような呼び名でさまざまな勉強法が流布していても、ある1つの方法だけが他を押しのけて、スタンダードにはなっていないことからわかるように学ぶスキルというのは個人的なもので、ある人がうまくいっているから他の人も同じようにうまくいくものではない。しかし、他者の学びのスキルを通して、自分のスキルを磨くこともよくあることだから、大学では自分のスキルを確立するためには他者を参考にすることが大切になる(協調学習の導入)。
さらに大学では高校までと違って、確立した学問を学ぶわけではないから、現在進行中の課題を解決する方法だけでなく、そのための学び方も自分で開拓しなければならない。例えば、微分積分学とか相対性理論はとても難しいにしても、確立された学問だから、多くの学生にはふさわしい学び方がすでに確立している。一方で、現代の農業問題という課題はそれに必要な学問が微分積分学などに比べて、はるかにやさしいものであるにしても、現在進行中の課題であるがゆえに、その解決方法をみつけるのに必要となる学び方はたとえあったにしても、だれもまだみつけてはいないはずで、自分で探すしかない。
さらに実際に社会に出れば、高校のようにプロの先生から学ぶことはほとんどなく、教えるのはプロではない専門家から学ぶことになり、教えるスキルを十分に持たない専門家から知識を吸収し、さらに質問することによって、自分が必要な知識を引き出す能力が必要になる。大学入学したばかりの学生は、「板書をていねいにして、どこがポイントかわかるような授業をしてください」という。しかし、高校のような授業からしか知識を得られないようであれば、本当のところ困るのである。社会に出て、そのような教え方をできる人などほとんどいない。分かりやすい授業だけでなく、よくわからない授業も(といっても大切なことを教えているらしいことは学生に伝わらないといけない)必要だと思う。大切なことが述べられているのに、よくわからない。。。これを解決しようと自分なりに模索するようになれば、もはや学ぶスキルは自分で探すようになるだろう。 わたしの授業の経験でも「わかったつもり」にさせると授業評価は高いけれども、学生は結局、何も学んでいない。これではいけない。
以上の3つから、大学では高校と同じような姿勢で学んでいてはいけないと個人的には考えて、初年次教育としての農業生産基礎セミナーの授業を企画した。しかし、学生にどうやって学び方は自分で考えて、探しなさいと伝えることができるだろうか?協調学習で学生同士で議論させるのはよい。しかし、いきなりそんなことを授業でいったところで、高校生での学び方がもっとも理想的と思っているから、もとより問題意識がなく、学生は議論しない。あらかじめ議論すべき内容を考えさせてはどうだろう。しかし、どうやって考えさせる。そこで反転学習を組み込んで、授業前に問題点を示して、考えさせてから、授業に臨めば、議論も深まるかもと考えて、協調学習と反転授業を組み合わせたアクティブラーニングを構想した。
これとは別に、学生に対するメリットではないが、授業前の学生の予習によって、協調学習を実施するときの教員の負担が減らせるのではないかと考えた。
授業では専門書の読み方、グラフの見方のような理系に特化した内容も含んでいる。今回の報告では授業への取り組み方、大学4年間のスケジュール管理という大学生全員に共通する内容2つと農業生産学教育コースに特化した屋上緑化での野菜栽培を通した活動の3つを取り上げる。
授業はMoodleを使って、予習動画教材を視聴する予習、グループディスカッションなどの協調学習を取り込んだ授業の2部構成である。
1. 授業に参加するにはどうすればよいか?(ノートの取り方を含む)
予習では、1回だけニュースを聞いて、メモし、このメモをみて、ニュースの要点をまとめるということからはじめた。1回だけでメモを作り、これをもとに報告するということは実社会ではよくあることだ。ここでノートテークについて意識させる(ノートし終わるまで存在し続ける板書がいいのだといくら学生が要望したって、1回きりで消えてしまう音声や画像だけから報告書を作るためのノートを作れなきゃ困る)。そのあと、大学と高校の授業の違い、どうしたら質問できるようになるのかを尋ねた。そして、模擬授業をノートさせて、ノートのとり方を考えさせて、予習は終わり。
授業では大学と高校の授業の違いを予習をもとに学生に発表させ、大学の授業の特徴を講義した。教科書の有無、パワーポイント型か板書型かなど先生によってタイプはさまざまであり、それぞれに対応しないといけない。高校と大きく違うのは板書したからそれが大事とは限らないこと。口頭での説明こそが大切で、耳を傾けないといけない。次に質問の意義を述べた。はやりのネット授業でわかったつもりはいいけれど、質問することで初めて自分がほんとにわかっているのか、ほんとはわかっていないのかが認識できる。授業は受けるのではなく、参加するのである。大学の授業を活かすも殺すも学生の質問次第だ。次になぜ大学生はさっぱり質問しないのか?これをグループディスカッションさせた。
学生のいろいろな質問のためのアイデアを発表させた後、質問はなぜすべきかを講義した。ここで就活とも絡めて、就活の場で質問しなかったら、企業からやる気があるのか?積極性なしと判断されるぞと述べ、質問しないのは「全部わかりました。あなたの説明は完璧です」という意思表示ではなく、「聞いていません、あなたの発表になんか関心ありません」という意思表示に取られると説明した。質問しない、いい子は高校まで。
最後に模擬授業とノートのとり方を取り扱った。学生にはどうやってノートを取ったらよいかを議論させた。現代では画像や音声を記録することもできる。そのような現代の道具も活用できることを紹介し、写真や動画撮影は先生の許可を取ることを教えた。ノートテークは技術革命でも変わるのだから、先輩のやり方がベストとは限らないのだ。
授業後の感想をとりあげると、「大学の授業が(ママ)速さに入学してから今まで慣れることができませんでした。なぜなら高校では、授業の準備をほとんど先生がやっていてくれていたので、それに慣れ切ってしまっていたからです。だから予習と準備が前提条件となる大学の授業に対して大きな不安を抱いていました。でも今回の講義で少しだけ不安を取り払えたような気がしています。そして同時に質問することの大切さにも気が付きました。僕は、今まで質問するのに億劫になっていました。しかし、質問することは、相手に失礼なのでわ(ママ)なく逆に相手の話に興味をもっていることの証明になるという話を聞いてこれからは、もっとたくさん質問していこうとおもいました。」というように予習、質問の必要性だけは学生に意識させたようだ。
2.活動日誌を含めたスケジュール管理の方法では、予習でお金の貯め方と時間を有効利用する方法を尋ね、お金と時間の共通点と相違点を聞いた。このあとスケジュール管理と大学4年間の長期目標を尋ねた。授業では、お金と時間の有効法、共通点と相違点を質問した後、家計簿の話をした。お金を貯める学生の考えの多くはケチることに尽きる。安いものを買う、がまんする、食費を削るなどなど、しかしお金は使うためにあるのであり、ため込んでもしょうがない。だから何にお金を使ったのかを把握しなければならない。時間も同じで、何に時間を使ったのかを把握しなければならない。それが日誌をつけるということ。自分が何に時間を使ったかを知らなくて、時間を有効利用できるようにはならない。こうして、時間が余ったから、このようなことに使おうという発想から、このようなことをしたい(長期目標)からその実現のための時間がいくらいる、だから時間を空けて、そこに重要度の低いスケジュールを入れないという発想へと変わることを期待した。こうしてスケジュール管理と長期目標という一見くっつかないと学生が思った予習の内容がくっついた。
スケジュール管理について学生同士で議論させた。意外と今でも多いのが手帳だ。ネットスケジューラーの便利さも説明し、スケジュール管理は個人的なもので人それぞれなので、ネットスケジューラーが向く学生もいるので、試したらよいだろうと説明した。学生によっては、「記憶するだけ」、「手に書く」、「メモする」、「手帳」、「スマホのスケジュール管理ソフト」、「ネットのスケジューラー」とさまざまであり学生同士の議論はそれなりに活発になった。
このあと、スケジュール管理で大切なことは予定を入れすぎないことだと述べた。学生に聞くと、スケジュールを埋めるのが大好きな学生とあまりスケジュールを詰めない学生がいる。これは個性だと認めた上で、スケジュールを詰め込む学生は、目先の予定にとらわれすぎて、長期目標を達成するための何かをする時間を失いがちなことを述べた。バイトばかり予定表に入れて、気づいたら4年間、ずっとバイトしてた。。。というのはまじめな学生が陥りがちな罠である。だから卒業時までに達成したい大きな目標があれば、それを達成するためにスケジュール管理すべき、つまり予定が入ったらそこに予定を入れるスケジュール管理から、自分を目標へ導くためのスケジュール管理にしようということである。
とはいうものの学生の抱負を入学時に話させると、「4年で卒業する」、「単位をきちんととる」というような達成してもうれしいのかどうかわからないようなレベルを抱負として堂々と語る。目標は大きければよいというわけでもない。学生は、高校の先生は不可能なくらいの大きな夢を持てといいましたというが(注2)、大きすぎる夢は達成できないから努力しない。努力を引き出すレベルの目標を持つ方がよいかもしれない。
学生の感想から抜き出すと、「私はスケジュール管理を手帳で行い、毎日日記をつけていて、家計簿もつけていているので、自分はけっこうしっかりしていると思っていました。しかし、意外とどうでもいいことを優先して、今やるべきことをついつい後回しにしているということに気づき、自分はまだまだ甘いじゃないかと思いました。実際に先週、○○学の課題提出があり、締め切りはまだまだ先じゃないかと思っていたらいつの間にか締め切り日になっていました。(中略)確かに人間は目先のことばかりを優先する傾向がありますが、○○学の痛い思い出を忘れないように、物事の優先順位をつけて行動するように心掛けます。」
3.屋上緑化での野菜栽培を通して、グループ活動、観察記録、報告、ポスターによるプレゼンテーションと質疑応答を行った。
(1) グループ活動、協力することの意味
屋上緑化での野菜栽培では班ごとに学生を分けて、協力して農作業や観察を行うことを期待した。学生にグループ活動の印象を尋ねると、一定数の学生に否定的な答えが来る。自分の好きなようにできない、自分が足手まといになりそうだ、逆にだれかがよけいなことをするからいやだなど。予習の動画では大きなカブという民話を題材にとった。大きなカブは最後に小さなネズミが引っ張ると抜けるという話で、協力の大切さを語っているように思ったからである(注3)。この民話にはバリエーションがあり、ネズミがかじると抜けたというのもあるそうだ。そこで予習では協力することの意味として、1)小さな力も合わせると大きくなる、2)それぞれに特技があり、異なる特技を組み合わせると大きな力となると述べた。そのあと、過去の学生の発言がもとになった別の見方を付け加えた。もしおじいさん、おばあさんたちが一生懸命カブをひっぱっているのに小さなネズミが「どうせぼくみたいな非力なネズミが引っ張っても抜けやしないよ」と無視して通り過ぎたらどうか?「非力だけど、ぼくも協力する」としたらどうか?前者の場合、おじいさん、おばあさんたちは気力を失うかもしれないし、後者なら、もう少しがんばろうと励まされるだろう。非力であっても協力することによって、気持ちを高めるという効果もあるのかもしれない。めったにそんなことはないけれども、教師が啓発される授業は楽しいものだ。
このあと、協力することの大切さはわかっても、現実問題、人間はなかなか力を合わせようとはしない。その理由としてただ乗り問題を取り上げた。現代社会では避けては通れない問題だ。そして、リーダーとチームプレーについて質問して予習は終わり。このときのアンケートでは学生はリーダーには向かないが、協調性は高いという答えが多い。つまり、リーダーのいうことはしっかり聞くので、リーダーにはさせないでください。それでチームプレーが成り立つのかという問題、それだけでなく、実はだれだって程度の差はあれ、リーダーになるのである。一生、組織のいちばん末端にいつづける人間はほとんどいない。
授業では人が協力しない理由を学生から聞いた。自分の好きなようにしたい、自分あるいは誰かが足手まといになる、自分だけ得しようとする人(フリーライダー)が出る、人間関係、コミュニケーションがむずかしい、役割が把握できないなどがあがった。ここでただのり君という人物を出して、フリーライダーは得するのかを聞いてみた。ただのり君という人物は以下のような賢い人物だ。
協力すると一人一人でできることよりも大きな成果が得られる。ここで5人(AからE君)がいて、一人一人では1ずつ、合計では5しかできないところ、協力して20できたとする(以下の図表)。ここへただのり君が来て、ただのり君はいただけで何もしないのに、「ぼくがいたおかげで20-5=15も成果が増えた。増えた15はみなぼくのおかげだから、当然ぼくのものだけど10だけもらって5は君たちにあげるよ ぼくは気前いいのだ」といったら・・・・どうする? 協力なんてばからしい・・・
学生はただのり君と聞いてあきれかえる。しかし、消極的ただ乗りだってあると説明を追加する。「自分は何もできないので、何かすると邪魔だから」といって何もしない、「自分よりできる人にやらせる方がいいでしょう」という人は多い。これもしかし、ただのりには違いないのだ。実のところ、みんなで協力して何かをした結果の利益は得ているのだから。現代社会のただのり君はかくもやっかいだ。これに対処する万能の答えはないことを学生に伝え、つねにこういうことをかんがえなきゃいけないのだと説明した。
次にリーダーとチームワークについて学生に議論させた。これはかなり難しい議論で学生も戸惑ったようだ。チームプレーが大切だということを説明した。すなわち、やるべきときにやるべきことをすることがチームへの貢献で、それがチームプレーだ。いたずらにぼくはできない人だからと謙虚ぶるのもだめ、逆におれはできるとできないのにかき乱すのもだめである。だから小さなネズミも必要なのである。自分の役割を認識して、自分で考えてそれを実行するのがチームプレーだ。だから大切なのは自分の能力を正確に知ること、自分がやるべきときは、謙虚ぶらずにやらなければならない。チームの目的をしっかり把握し、やるべきときに行動する。
授業後の学生の感想の例をあげる。「多くの学生は自分はリーダーには向いていないが、協調性は高いと自己評価している。この評価をみるとしっかりしたリーダーがいればグループ活動はうまくいくと考えているようにも取れるが、実際にチームプレーで大事なのは個人個人がやるべき時にやるべきことをするということだと分かった。自分はできないからと謙虚ぶるのではなく、自分の能力を正確に知り、できることを確実にすることがチームへの貢献につながると感じた。また、チームの目的をしっかり把握することも重要である。」
あとは実行あるのみ。。。とはいえ、4年後の学生を見る限り、実行できるようになったとはあまり実感できないので、アクティブラーニングとは実践の場を現実のどこかに設けないと、授業の中のシミュレーションだけでは身につかない泡みたいなだめなものかもしれない。
(2) 屋上で栽培した野菜の観察とポスター発表
農業生産学教育コースには推薦入試など多様な入試を通して、多様な学生が入っている。農業高校などからきた学生は農業関連の知識は強い一方、普通科出身学生ほど文章力、基礎的な学力がない部分がある。逆に普通科の学生は栽培に関する知識はまだまだだ。多様な背景を持つ学生を班別で農作業と観察をしていくことによって、学びが深まることを期待した。
学生一人一人に野菜を使って、何らかのテーマを考えて調査させた。水をやるのとやらないのとでトマトの甘みがどう変わるかなど、簡単なテーマを考えさせた。毎週、Moodle上に観察記録を提出させた。継続的な観察の重要性を教える効果を狙った。
最後にポスター発表を行い、学生を4つに分けて、交代で発表させ、残りの学生に質問をさせた。ポスターは発表の前日までに廊下に掲示して、あらかじめ全部を読み、採点させた。学生には自分が評価を高くつけたポスターを選び、それへの質問を考えるようにさせた。質問が多い発表こそ優れた発表で、質問がない発表は評価が低い発表だと学生には伝えた。単に学生に質問を義務づけるだけだと、つまらない発表のあら探しに終始し、どうでもいい質問しか出てこない。
あらかじめ質問を考えておいたこともあり、学生はポスター前で質問をしっかりしていた。質問しない理由の1つは心理的バリヤーだから、質問することは質問する能力を育てることにもなる。
発表後の学生の感想の一例を挙げる。「この前期の最後のセミナーでは、自分たちが屋上で育てた野菜のプレゼンテーションと質疑応答を行いました。反省点としては、質疑応答の時にしっかりとした根拠で答えることができず曖昧な答えになってしまったことです。また、実験内容もやっておいたほうがよかったと思うことが後から出てきたりと最初からよく考えて実験をするべきだったと思います。また、緊張して前を見れなかったりと反省点だらけでした。次このような機会がもしあればそれまでに自信をつけていきたいと思います。」
はじめにに書いたような「これを解決しようと自分なりに模索するようになれば、もはや学ぶスキルは自分で探すようになるだろう。」という学生は結局のところ一人として生まれたような気はしないので、これらの授業の試みは学生にとっては失敗に終わったといえるのかもしれない。さらに大学の改組でこのような授業は2017年度が最後となった。ここまでやってきたので、希望する学生にはMoodleで受講できるようにする予定である。なぜなら、このような取り組みによって学生の学びが深化したとはちっとも思えないが、自分自身の学びへの考えは深まったと思ったからである。学びを教えるようにしないと学びを考えるようにはならないのであれば、学生に教える立場にさせるのが実は最高の学びの道かもしれない。 どちらにしてもアクティブラーニングを単に授業に取り入れたとしても、実践の場をどこかに設けないと、授業の中のシミュレーションで終わってしまうという印象がある。現実の場にどれだけ学生を引き入れるかを考えた授業も今後は考えていく必要があるだろう。
注1。授業という漢字が、授ける、授かるという意味があるのがよくないのかもしれない。授業ということばを変えることはできないのだろうか?
注2。残酷すぎる成功法則―9割がまちがえる「その常識」を科学する(バーガー著、飛鳥新社)によると、夢だけ思い描いても、それを達成するチャンスをむしろ遠ざけるそうである。
注3。Wikipediaによる(https://ja。wikipedia。org/wiki/おおきなかぶ)
小林先生の授業では,専門教育に触れる初年度の教育のあり方を本当に考えさせられます。特に全学的な一般の初年次教育をデザインする立場にある私にとってはとても勉強になりました。小林先生は非常にシャイな方なので,学生に向かって熱く語ったり自らの理念を強く示したりはなさらないのですが,その授業のデザインには,自らの学問分野の入り口に立った学生への配慮に溢れており,学生に常に自律した学び手としての意識を喚起しようとしています。出身高校の違いから,農業に関する知識の差が大きいのが小林先生の悩みでもありましたが,かえって屋上緑化での野菜栽培では,その差を利用して共同という意識を芽生えさせようとしています。野菜が大きくなってくるに合わせて,トラブルも仲間意識も盛りだくさんにはなるのですが,それらを細やかにサポートされている点が印象的でした。
小林先生はご専門の研究者であると同時に,常に「よい授業」のあり方を考えている,まさに自律した教育者でもあります。私が小林先生の授業を参観したのは,すでに6年も前であり(前任校時代),きっと今はさらにバージョンアップされておられることでしょう。年々変化がある学生層に合わせて授業をリ・デザインされていることこそ,メタ教授の賜物です。
小林 和広(こばやし かずひろ)@島根大学生物資源科学部 准教授