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by 川妻篤史(国語)
これらは、私が担当した授業クラスの生徒たちが年度末に書いた感想である(2015年度「国語総合」の授業)。私は、2015年度からアクティブラーニング型授業を実践するようになった。これにより、私の授業は劇的に変化し、生徒たちの反応もこれまでに経験したことがないものとなった。
アクティブラーニングをとり入れる以前の授業は、講義一辺倒で、知識・技能をいかに教え込むかに主眼を置いていた。大学受験で少しでも多く得点できるようにという発想で授業を組み立てていたため、生徒に意見や主張を発表させるといった機会を設けることはなかった。眠そうな生徒がいれば、すかさず「なんで眠くなるんだ!やる気が足りんからだ!」と喝を入れる。生徒たちの集中度が落ちれば、「ここはテストに出るぞ」「ここはテストに出すぞ」と脅すようにして、生徒たちを注目させていた。
しかし、アクティブラーニング型授業を実践するようになって、授業は生徒たちの学びを促すものへと変わっていった。まず授業中に「寝るな!」「テストに出すぞ!」などと連呼する必要がなくなった。こんなセリフを連呼せずとも、生徒たちが頭を使って考える授業になったのだ。私の授業を「楽しい」とコメントする生徒まで出てきたのは驚きだった。生徒の感想を見ると、周りの意見を聞くことを楽しみ、自分の意見を表明することに喜びを感じているのがわかる。
寄せられた感想に次のようなものもあった。
これらの感想からわかる通り、生徒たちはアクティブラーニング型授業を通じて成長できたと実感できている。なかでも次の感想がもっとも印象に残るものであった。
この一年間の実践を通じて、アクティブラーニングが生徒たちの学びと成長を促す大きな力になると私は確信を持てるようになった。
安彦忠彦(2016)は次のように述べている。
「『習得型』『活用型』『探究型』の三つの学習のうち、後の二者とくに『活用型』の学習について主に語ってきたが、それは、従来の高校教育が『習得型』の学習に偏していて、『探究型』の学習が理論的には重要とされていたのに、大学入試などを理由として実践上は軽視されてきたからである。そこで、後者の効果的な実践のために、両者の間にこれらをつなぐ『活用型』学習の導入が考えられたが、実は、大学の方はもうすでに、『アクティブラーニング』の導入により、かなり『習得』から『活用』や『探究』へと、大学教育の重点を変えつつある。もっとも、まだ十分とは言えない上、実際の『アクティブラーニング』が効果的な形でおこなわれているのか、その成果が明確に出ているわけではないので、今後の実践次第と見る必要もあるが、方向としては『活用』や『探究』に重点化していくことは疑いない。
そうだとすれば、このような動きを高校以下にもおよぼし、『活用』や『探究』を実現する『アクティブラーニング』を初等中等教育にも広く浸透させることは妥当である。それにも関わらず、高校教育に『活用型』学習や『探究型』学習が具体化しない状況が変わらないようでは、『アクティブラーニング』の普及浸透は難しい。」
さらに、次のようにも述べている。
「『活用力』は、先述のように、『活用型』学習でも『探究型』の学習でも育つものであるが、教科学習における『活用型』学習の中で、やや低次の質の『活用力』をつけることを通して、『探究型』学習における質の高い『活用力』の確実な育成に努めてほしい。それをせずに、『習得』から一気に『探究』へ引き入れようとしても、すでにそれが非常に困難だったことは、旧学習指導要領において明らかになっている。『アクティブラーニング』の高校へのスムーズな普及浸透のためにも、『活用型』学習を実際の授業の中に明確に具体化していく必要がある。」
授業に「活用型」の学習を入れるべきだとする安彦氏のこの提案は、アクティブラーニング型授業を内実の伴ったものへと高めていくうえで非常に参考になった。
安彦氏は、「活用型」学習を次の二つに分けて考える必要があると提案している。一つは「習得型」学習に関連する「活用型」学習(活用Ⅰ)、もう一つは「探究型」学習に関連する「活用型」学習(活用Ⅱ)である(図1を参照)。
図1 溝上慎一(校内研修資料より)
安彦氏はそれぞれの特徴を次のように記している。
[活用Ⅰ]
①教科学習で習得した知識・技能の内、活用させておく方がよいものを教師が選んで活用させる。
②教科学習の時間内に、その一部として、教師主導で誘導的におこなってよい活動である。
③その知識・技能の文脈は、子どもにもすぐ分かるような、開けた既存の文脈で活用させる。(直前・事前に学習した知識・技能が中心)
④原則として、子ども全員に、共通に経験させ、達成させる。(活用する経験自体が狙い)
⑤一部の基礎的な知識・技能の場合は、習得・習熟を強化する性格がある。
[活用Ⅱ](活用Ⅰより一段上のレベルのもの)
①教科学習で習得した知識・技能のうち、一部の重要なものを教師が選んで活用させる。
②教科学習の一部として、教師と子どもとが半々に関わる(ヒントを含む、半誘導的なもの)(←→総合的な学習=「探究型」の学習の場合は、すべて子どもの側の自発的なもの)
③その活用の基礎にある文脈自体も、子どもには新しいもの(教科の発展として、生活上の、教科を越えるもの)
④全員共通に経験させるが、個々の子どもによってその達成度は異なってよいもの。
⑤子どもによっては、「活用Ⅰ」を省いて、このレベルから活動させてもよい。
私たちは、安彦氏が示すこれらの特徴を参考にしながら、教科学習の授業において活用Ⅱをどのようにとり入れていけるか、研究・研修を進めることとなった。研究・研修を進めるなかでわかってきたのは、実世界(実社会・実生活・自己)につながる課題をいかに設定できるかが大事になるということだ。この課題設定は、あらかじめ教えるべき内容が定まっている習得型学習と違い、非常に難しい。まずは教師の側が、扱う教材について本質的なところをしっかりと理解できていなければならない。そして、その教材の本質的なところを生徒たちの世界(実社会・実生活・自己)へとつなげていく問いかけを考えなければならない。つまり、教材研究と発問研究が肝要であるということだ。教材研究と発問研究は、日本の教育においてこれまでもきわめて重視されてきたものである。なんのことはない。高校教育にあってアクティブラーニング導入という新しい取り組みを進めてわかってきたのは、教材研究・発問研究という原点に戻らなければならないということだ。新しい取り組みを進めれば進めるほど原点回帰が求められるという皮肉な事態は、学びと成長を見据えた教育という点からいえば、戻るべきところに戻っているにすぎないということかもしれない。
ここで、活用Ⅱの課題をとり入れた私自身の授業実践を紹介したい。高校1年生の国語総合(現代文分野)の授業で、教材は内山節の評論文「自然と人間の関係をとおして考える」である。ここで紹介するのは、段落内容を把握して要約する、対比関係を把握して筆者の主張を読み取る、といった評論文読解の基本的な学習を終えた後の単元中盤(6時間目)の授業である。
「単元の学習到達目標と評価規準」「単元の指導計画」は以下の通りである。
【単元の学習到達目標と評価規準】
A=基礎的な知識・技能 B=思考力・判断力・表現力 C=主体性・多様性・協働性
写真1 ワークをおこなう生徒の様子
※使用している「授業ワークシート」(ふり返りの欄も設けている)
【単元の指導計画】 評論文:内山節「自然と人間の関係をとおして考える」
内山節は本文で次のように述べている。「このような近代的価値基準のいずれもが、自然に対しては対立的だったのである」。この一節に関する活用Ⅱの課題として、「近代科学は自然に対して対立的か」という問いを生徒たちに出した。この問いを提示するにあたり、次のような説明も加えた。
「君たちにとって、この問いは他人事として無視できないものだ。この先、君たちは大学に進学するだろう。大学は近代科学を学ぶところである。大学はまさに、内山節氏が自然に対して対立的と述べている近代的価値基準であふれている。さあ、どう考える?」
と。まずは個人で考える時間を確保し、その後にグループで意見を出し合う時間をとった。そして、最後に個人の意見を表明するよう求めた。ふり返りシートには、どうしてそのような意見になったのかその理由も書くよう指示した。
最終的なクラスの回答は、「対立的」が8人、「対立的ではない」が29人という結果になった。「対立的」と答えた生徒のふり返りのコメントに、次のようなものがあった。
このコメントからもわかる通り、活用Ⅱの課題を自分の問題として真剣に考えており、ひとまず「対立的」という結論は出しているものの、今後も考え続けていく必要があると考えているのがうかがえる。
「対立的ではない」とした生徒のコメントには、次のようなものがあった。
私はその次の回の授業でこうしたコメントをとり上げて、「科学」と「技術」を分けて考えてみることも必要だということ、「技術」をどう使うかを考えるのも「科学」といえないかなどといったことを講義した。
活用Ⅱを授業にとり入れるようになって、授業のふり返りに変化が見られるようになった。私は毎回の授業でふり返りとして、疑問点や気づいた点を書くよう指示している。活用Ⅱをとり入れるまでは、「~の言葉の意味がわかりません」といった質問の類しか出てこなかった。しかし、それが自分の意見を踏まえての疑問や気づきに変わっていった。疑問や気づきが、実世界(実社会・実生活)につながるものが多くなったのだ。
以下、内山節の文章を扱った授業で出てきた疑問や気づきを記しておく。
これらの疑問や気づきは、まさに探究型の学習につながるものばかりである。安彦氏は次のように述べていた。
「教科学習における『活用型』学習の中で、やや低次の質の『活用力』をつけることを通して、『探究型』学習における質の高い『活用力』の確実な育成に努めてほしい。」
アクティブラーニング型授業に活用Ⅱの課題を入れることで、安彦氏が期待している形の学習が実現できているといっていいのではないだろうか。
年度末のふり返りで、どのような学力がついたと思うか自由にコメントを書くよう指示した。集約してみると、授業が学力の三要素を踏まえたものになっていたのがよくわかる。以下、そのときの生徒たちのコメントである。なお、生徒たちには学力の三要素を踏まえて書くようになどとは指示していない。《 》は筆者(川妻)による分類である。
注目すべきは、学力の三要素がバランスよく含まれているという点だけではない。知識技能の習得において、「今後に大きくかかわってくる」「将来大人になり」といった「活用」への言及がある点にも注目したい。知識・技能の習得が、それらの活用を前提にしたものになっているということだ。アクティブラーニング型授業により、社会へつなぐ形で学力が育成されているということがわかる。
安彦忠彦 (2016).「習得から活用・探究へ」溝上慎一(編著)『高等学校におけるアクティブラーニング 理論編』東信堂, 62-93.
(文責:川妻篤史)
川妻篤史(かわつま あつし)
・学校法人桐蔭学園 国語科教諭。教務部次長。AL推進委員企画チーム(運営担当)。
・一言: 「授業に学ぶ楽しさと成長できる喜びを」をモットーに、AL型授業推進に取り組んでいます。アクティブラーニング型授業推進を通して最近感じるのは、教員が教師としての原点を見直すことの大切さです。“ALをALする”ことで、教員自身も学び、成長していかなければならないと思っています。