このページは、溝上の学術的な論考サイトです。考えとサイトポリシーをご了解の上お読みください。 溝上慎一のホームページ
アクティブラーニングが講義一辺倒の授業を脱却するという文脈で誕生し、「聴く」という受動的な学習を乗り越えて、学生自身のアウトプットの活動(書く・話す・発表するなど)として提起されたこと(詳しくは「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)にさほどの疑問はないだろう。再び、「優れた教育実践のための7つの原則」で有名なチッカリングとギャムソンの言葉から、学習におけるアウトプットの活動の意義を確認しよう。
(Chickering & Gamson, 1987, p.5)
アクティブラーニングは、本質的に、「書く」「話す」「発表する」などの学生自身のアウトプットの活動を強調する学習である。ところが、世の中でアクティブラーニングといえば、「話す」「発表する」といったグループワークやプレゼンテーションのことだと、話が矮小化して説明されることが多くなる。これをどう理解すればいいかというのが、ここでの問いである。
何度も述べるように、アクティブラーニングの本質は「書く」「話す」「発表する」などのアウトプットの活動にある。「話す」(ex. グループワーク)、「発表する」(ex. プレゼンテーション)は、アウトプットの活動の一部であってすべてではない。その意味において、「アクティブラーニング=グループワーク、プレゼンテーションだ」という説明は間違いである。
ところが、そのような強調がなされてしまうには理由がある。それは、「書く」はこれまでの学習のなかでも授業に多かれ少なかれ組み込まれてきたが、「話す」「発表する」は十分に組み込まれてこなかったからである。「話す」「発表する」は、単なるアウトプットの活動というだけでなく、他者との対話的・協働的な学びをも指し、「書く」よりもはるかに難易度が上がるからである。こうして、アクティブラーニング改革において新たに目指すべきポイントは、「話す」「発表する」の活動、すなわち他者との対話的・協働的な学びを組み込むことである、という強調的な説明がなされることになる。
次なる問いは、それではなぜアウトプットの活動を「書く」だけでなく、「話す」「発表する」まで拡張しなければならないのか、ということである。
これを理解する鍵は、アクティブラーニングが学習パラダイムへの転換と相まって発展していることにある(詳しくは「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)。すなわち、はじめは、伝統的な講義を十分に聴くことができない、大衆化した学生への対応から始まったアクティブラーニングであったが、徐々にそれだけでなく、学習に積極的な意義を付加して、あるいは学習論の発展をふまえて学習を考えていこうという動きへと発展していく。アクティブラーニングを最初に概念化したとされるボンウェルとアイソン(Bonwell & Eison, 1991)の論では、アクティブラーニングの具体的なポイントが5つ示されており(下記)、もはやアクティブラーニングが講義一辺倒の授業を脱却するだけの学習ではなくなっていることが、容易に見て取れる。
いったんこのモードに入れば、「書く」だけの活動で、とくに(2)~(5)のポイントを実現できると考える論者はいない。協同学習、2つのPBL(問題解決学習・プロジェクト学習)、ピアインストラクションなど、さまざまなアクティブラーニングと見なされる技法や戦略があるが、そのなかで「書く」だけで論がつくられているものなど皆無に近いといっても言い過ぎではない。「書く」「話す」「発表する」などの、さまざまなアウトプットの活動が組み合わされて、授業をデザインする技法・戦略として考えられているのである。
Chickering, A. W., & Gamson, Z. F. (1987). Seven principles for good practice in undergraduate education. AAHE Bulletin, 39(7), 2-6.