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(講話)外化としてのアクティブラーニング-

外化なしの学習は思考力育成を放棄しているに等しい- v2

要点

  • 深い学び、思考力等の資質・能力を育てるために、外化としてのアクティブラーニングがないことは考えられない。外化プロセスをイメージできることで、アクティブラーニングの意義をより深く理解できる。
  • 充実した学習を実現するために、外化としてのアクティブラーニングだけで不十分なのはいうまでもなく、内化と外化のカップリング、内化-外化-内化の往還が重要である。
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    第1節 外化のプロセスからアクティブラーニングの意義を理解する

     アクティブラーニングの「外化」(「(用語集)内化・外化」を参照)を参照)のイメージをもう少しもてるようにしよう。 このイメージをまさに内化して、外化の意義を理解できるようになれば、きっと外化なしで深い学びを実現したり思考力を育てたりすることが不可能だと思われてくるに違いない。
     アクティブラーニングに批判的な者にはたくさん出会ってきたが、浅い学習(知識の棒暗記のこと。詳しくは「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び」の深い学びに関する説明を参照)で十分だ、思考力育成など必要ないのだ、と主張する人には出会ったことがない。アクティブラーニングと深い学び、思考力育成は密接にして不可分な関係であることを、外化のプロセスから説明したい。
      図1の左は、基礎的な知識や考えを習得する学びにおける外化プロセスを示す図である。
     まず教師は、ある概念の説明や問題を与えて、正解とされる正しい知識や考えの理解に向けた説明を論理的におこなう(正解に一直線に至る●と太い矢印)。
    しかしながら、人の頭というのは、外(教師)から与えられた説明の筋道を、同じように直線的に理解するようにはなっていない。ワークシートで外化させるとすぐわかるように、一人ひとりの頭のなかには、関連する知識や考え、疑問が遠近さまざまに存在する(矢印の周辺にある○)。関連して思うことを徹底的に外化する作業が必要である。
     一人では外化できないことでも、他者や集団とのグループワークのなかで「そういうこともあるな」「これはどうだろう」と新たに気づいて外化されることがある(矢印から離れた点線の○)。ここに、個人の学習では及ばない対話的・協働的な学びの意義がある。両者のバランスが重要である。
    関連する遠近存在する知識や考え(点線・実線の○)を繋いで自らの筋道をつくり、外化(表現)する。そのたどり着く先が教師の期待する正解であるならば、それが正しい理解のプロセス(筋道)となる。このプロセスにおいて、正解に至るために必要な知識(●)が欠落していると十分な理解ではないといわれ、必要な知識や根拠(●)を飛ばすと、論理が破綻している、論理的思考が弱いといわれる。私たちが育てたい論理的・問題解決的思考というのは、この筋道のつくり方、つくるプロセスに表れるものである。創造的思考というのも、このプロセスのなかで新たに気づく「ああ、そういうことがあるか」「これもあるんじゃないか?」といったことを原体験とするものである(点線の○で「発見・創造(イノベーション)」と書かれている部分)。このように理解できるならば、(論理的・問題解決的・創造的)思考力を育てたいと思うとき、外化なしの学習などあり得ないことがわかるはずである。左図の上級編としては、「(左上の)○(知識や考え)を加えて筋道をつくりたいが、説明が冗長になるからやめよう(点線の矢印)」といったこともある。結果として説明に加えなくても、頭のどこかでこのことを表象して、この○をスキップする。上級編としての思考力・表現力を著す場面であるが、それも外化の活動があってこそ育つものである。
     右図の、解が複数あるような実社会・実生活への活用型学習、探究的な学習についても同様である。この場合でも、まず関連して思うことを徹底的に外化し、解に至る筋道を自らの論理でつくることが重要である。
     必要な知識を外化することができない場合には、情報収集する、調べ学習をする、という作業が、活用型学習・探究的な学習では重要である。他者や集団でのグループワークのなかで、新たに気づいて外化すること(対話的・協働的な学び)ももちろん重要である。実社会・実生活の課題に正解はないといわれることがあるが、筋道をつくるプロセスで正しい知識をできるだけ用いるように指導すれば、解はそれほど多くはならない。
     時間が無限にあるなら、すべての問題や課題に対してこのような外化の活動をおこない、生徒学生の頭のなかにある知識や考え、疑問などを徹底的に出させるほうが望ましい。そこに他者や集団との対話・協働的な学びはできるだけあったほうがいい。この外化プロセスを内容を押さえながらしっかりおこなえば深い学びに繋がり、このプロセスを通して思考力や判断力、表現力等も育つ。
     授業時数は限られているので、理想と現実の「間」が模索される。アクティブラーニングの実践的難しさに直面する瞬間である。生徒学生の未来への成長を見据えて、できるだけ外化の機会を与えてあげてほしい。

     

     

    図1 アクティブラーニングに見られる「外化」のプロセス

     

    第2節 内化-外化-内化の学習サイクルとして捉え直す

     いうまでもなく、外化の意義がアクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びとして新たに主張されるからといって、インプットとしての「内化」(「(用語集)内化・外化」を参照)が蔑ろにされるわけではない。むしろ、内化と外化とのバランスあるカップリングが重要である。
     内化-外化-内化の学習サイクルを提起する一人は、森(2017)である。森は、アクティブラーニング型授業の多くは、十分に思考する間もなく外化が求められ、形だけのアクティブラーニング(外化)になってしまっていると指摘する。内化を十分におこなった上での外化が重要である。また、外化をおこなって「わかったつもり」となる問題点も指摘している。「わかったつもり」から、既有知識の修正や新しい理解をふり返り等で確認し、「わかった」にする外化から内化のプロセスも重要である。こうして、内化-外化-内化を往還させる学習サイクルが提起される。
     松下(2015)も内化と外化の往還・学習サイクルの重要性を説き、次のように述べる。
    「“外化のない内化”がうまく機能しないのと同じように、“内化のない外化”もうまく機能しない。内化なき外化は盲目であり、外化なき内化は空虚である」(9頁)。

     

     

    文献 

    松下佳代 (2015). ディープ・アクティブラーニングへの誘い 松下佳代・京都大学高等教育研究開発推進センター (編) ディープ・アクティブラーニング-大学授業を深化させるために- 勁草書房 pp.1-27.

    森朋子(2017)「わかったつもり」を「わかった」へ導く反転授業の学び 森朋子・溝上慎一(編)アクティブラーニング型授業としての反転授業 [理論編] ナカニシヤ出版 pp.19-35.

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