このページは、溝上の学術的な論考サイトです。考えサイトポリシーをご了解の上お読みください。         溝上慎一のホームページ

 

 

(講話)外化なしの学習は思考力育成を放棄しているに等しい

-外化としてのアクティブラーニングの意義

要点

  • 内化(=インプット)とは、読む・聴くなどを通して知識を習得したり、活動(外化)後のふり返りやまとめを通して気づきや理解を得たりすることである。外化(=アウトプット)とは、書く・話す・発表するなどの活動を通して、知識の理解や頭の中で思考したことなど(認知プロセス)を表現することである。アクティブラーニングは外化を強調するものである。
  • 充実した学習を実現するために、外化としてのアクティブラーニングだけで不十分なのはいうまでもなく、内化と外化のカップリング、内化-外化-内化の往還が重要である。
  • 深い学び、思考力等の資質・能力を育てるために、外化としてのアクティブラーニングがないことは考えられない。外化プロセスをイメージできることで、アクティブラーニングの意義をより深く理解できる。
  •  

     

    第1節 アウトプットとしてのアクティブラーニング

     アクティブラーニングとは、講義一辺倒の授業を脱却するという文脈で誕生し、「聴く」という受動的な学習を乗り越えて、学生自身の活動(書く・話す・発表するなど)を学習に組み込むことである。インプットとしての「聴く」を受動的学習と操作的に定義するところから始まり、その受動的学習との対比において、アウトプットとしての「書く」「話す」「発表する」などの活動を「アクティブ」な学習と見定めたのである。活動は、具体的には「ペアワーク」「グループワーク」「プレゼンテーション」などとも呼ばれる(詳しくは「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)。
     ほかにも「アクティブ」の定義のしかたはあっただろうが、少なくとも今世の中でアクティブラーニングと呼ばれて普及しているものは、このアウトプットとしての「活動」(書く・話す・発表するなど)の考え方にしたがって提起されている。アクティブラーニングへの代表的批判に「活動あって学びなし」とか「活動主義」といったように、「活動」という言葉が用いられるのも、このことと密接に関連している。

     

    第2節 外化(アウトプット)としてのアクティブラーニング

    (1) 内化・外化の定義

     学術的には、「インプット」「アウトプット」という言葉は「内化」「外化」にそれぞれ対応させて用いられることが多く(たとえば、松下, 2015; 溝上, 2014; 森, 2016)、言葉が入り乱れるので、このページで整理しよう。もっとも学術的にといっても、「内化」「外化」は厳密に定義して用いられているわけでもないので、ここでは以下のように定義しておく。アクティブラーニングはもちろん外化を強調するものである。

    ・内化(internalization =インプット) 読む・聴くなどを通して知識を習得したり、活動(外化)後のふり返りやまとめを通して気づきや理解を得たりすること。

    ・外化(externalization =アウトプット) 書く・話す・発表するなどの活動を通して、知識の理解や頭の中で思考したことなど(認知プロセス)を表現すること。可視化とも呼ばれる。


    (2) 内化・外化のカップリング

     アクティブラーニングが外化を強調するからといって、これまで充実させてきた内化との関係を放棄するのは浅はかである。これまでの教授学習(講義や内化)にアクティブラーニング(外化)を組み込んで再構成し、新しい授業をつくっていかなければならない。たとえば、「アクティブラーニング型授業(講義+アクティブラーニング)」という概念も、この考え方のもと提起されている。
     また、松下佳代の「ディープ・アクティブラーニング」の提起(松下, 2015)も同様に理解される。アクティブラーニングが強調されるばかりに、深い学び(ディープラーニング)が軽視される風潮に警鐘を鳴らしている。松下は、ディープ・アクティブラーニングの意義を論じるのに「内化」「外化」の用語も用いているので、紹介しよう。
     ダメなアクティブラーニング型授業のポイントの一つは、内化と外化との関係が十分にデザインされていないことである。たとえば、生徒学生は十分に理解していないのに、いきなり外化が求められる授業は代表例である。これは授業者の授業デザインが悪いのであって、これをもってアクティブラーニング論を批判するのは見当違いである。もちろん、外化を先におこない生徒学生に当たりをつけさせ、そこから内化に展開させていくといった授業デザインであるのなら、まったく問題はない。授業デザインにおける内化と外化との関係がとにかく重要である。松下(2015)は、「”外化のない内化”がうまく機能しないのと同じように、”内化のない外化”もうまく機能しない。内化なき外化は盲目であり、外化なき内化は空虚である」(p.9)と述べている。

     

    (3) 内化→外化→内化の往還

     森朋子は、大学におけるアクティブラーニング型授業(とくに習得型の科目)を参与観察して、基本的な授業デザインや学生の活動の様子は同じでありながらも、そして思考力や表現力などの資質・能力は伸びているにもかかわらず、成績が格段に伸びる授業とそうでない授業とがあることを明らかにしている。その原因の一つが、この内化の不足である。
     外化としてのアクティブラーニングを通して理解を深めたり、議論する、発表する能力を育てたりすることは喫緊の課題である。しかし、内化と外化のバランスを学習プロセスのさまざまな場面でデザインしなければならない。森(印刷中)は、内化-外化-内化の往還が重要であると説く。
     ちなみに、私は桐蔭学園の実践を通じて、この内化-外化-内化の往還を、「個-協働-個の学習サイクル」(関谷, 2016)と呼んで説いてきた。指すところはまったく同じである。個の学習(内化)と協働の学習(外化)の組み合わせやバランスが重要なのであって、いずれか一方だけでは、今社会から求められる生徒学生の育成課題を克服していくことにはならないということである。欲張っているように聞こえるだろうが、こう説かないと現実的ではない。

     

    第3節 外化のプロセスからアクティブラーニングの意義を理解する

     ここでは、「外化」と一言で呼んで済まされるものを、もう少し開いてそのプロセスをイメージできるようにしよう。このイメージをまさに内化して、外化の意義を理解できるようになれば、きっと外化なしで深い学びを実現したり思考力を育てたりすることが不可能だと思われてくるに違いない。アクティブラーニング(外化)に批判的な者にはたくさん出会ってきたが、浅い学習(知識の棒暗記のこと。詳しくは「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び」の深い学びに関する説明を参照)で十分なんだ、思考力育成なんて必要ないんだ、と述べる者には出会ったことがない。両者の関係は密接にして不可分であることを、外化のプロセスから理解してほしい。
     図1の左は、基礎的な知識や考えを習得する学びにおける外化プロセスを示す図である。教師は、本日の問いや問題を与えて、正解とされる正しい知識や考えの理解に向けた説明を論理的(一直線的)におこなう(正解に一直線に至る色つきの●と太い矢印)。
     しかしながら、人の頭というのは、外(教師)から与えられた説明の筋道を、訳もなく一直線的に理解できるというようにはなっていない。ワークシートで外化させるとすぐわかるように、一人ひとりの頭のなかには、関連する知識や考え、疑問が遠近いろいろ存在するものである(矢印の周辺にある○)。関連して思うことを徹底的に外化する作業が必要である。そして、一人では外化できないことでも、他者や集団とのグループワークのなかで「そういうこともあるな」「これはどうだろう」と新たに気づいて外化されることもある(矢印から離れた点線の○)。ここに、個人の学習では及ばない対話的・協働的な学びの意義がある。両者のバランスが重要である。
     関連する遠近存在する知識や考え(点線・実線・太線の○)を繋いで自らの筋をつくり、外化(表現)する。そのたどり着く先が教師の期待する正解であるならば、それが正しい理解のプロセス(筋道)となる。このプロセスにおいて、正解に至るための必要な知識(色つきの●)が欠落していると理解不足といわれ、必要な知識や根拠(色つきの●)を飛ばしたりすると、論理の破綻、論理的思考の弱さといわれる。もちろん、私たちが育てたい論理的・問題解決的思考というのは、この筋のつくり方、つくるプロセスに表れるものであり、ひいては創造的思考というのも、このプロセスのなかで新たに気づく「ああ、そういうことがあるか」「これもあるんじゃないか?」といったことを原体験とするものである(点線の○で「発見・創造(イノベーション)」と書かれている部分)。このように理解できるならば、(論理的・問題解決的・創造的)思考力を育てたいと思うとき、外化なしの学習などあり得ないことがわかる。また、表現力を育てたいと思うときには、この外化のプロセスを取ることがまずは基本であるが、発展としては、「(左上の)○(知識や考え)を加えて筋をつくりたいが、説明が冗長になるからやめよう(点線の矢印)」といった思考のプロセスが取られることもある。結果として説明に加えなくても、頭のどこかでこのことを念頭に置いて、そしてこの○をスキップすることがある。表現力としては上級編であるが、それも外化の活動があってこそ育つものである。
     右図の、解が複数出るような実社会・実生活への活用型学習、探究的な学習についても同様である。この場合でも、まず関連して思うことを徹底的に外化し、解に至る筋を自らの論理でつくることが重要である。必要な知識や考えが思い浮かばなければ、調べて知識や情報を得る。自分ひとりでは必要な知識を外化することができない、その場合には情報収集する、調べ学習をする、という作業が、活用型学習・探究的な学習を自らのものにしていく上で重要である。他者や集団とのグループワークのなかで、新たに気づいて外化すること(対話的・協働的な学び)ももちろん重要である。 実社会・実生活の課題に正解はないといわれることがあるが、筋をつくるプロセスで正しい知識をできるだけ用いるように指導すれば、解はそんなに多くはならないはずである。
     時間が無限にあるなら、すべての問題や課題に対してこのような外化の活動をおこない、生徒学生の頭のなかにある知識や考え、疑問などを徹底的に出させるほうが望ましい。そこに他者や集団との対話・協働的な学びはできるだけあったほうがいい。この外化プロセスを内容を見ながらしっかりおこなえば深い学びとなるし、このプロセスを通して思考力や判断力、表現力等も育てられる。授業時数は限られているので、理想と現実の「間」が模索される。アクティブラーニングの実践的難しさに直面する瞬間である。難しいだろうが、生徒学生の未来への成長を見据えて、頑張って挑戦してほしい。

     

     

    図1 アクティブラーニングに見られる「外化」のプロセス

     

    文献 

    エンゲストローム, Y. (著) 松下佳代・三輪建二 (監訳) (2010). 変革を生む研修のデザイン-仕事を教える人への活動理論- 鳳書房

    松下佳代 (2015). ディープ・アクティブラーニングへの誘い 松下佳代・京都大学高等教育研究開発推進センター (編) ディープ・アクティブラーニング-大学授業を深化させるために- 勁草書房 pp.1-27.

    溝上慎一 (2014). アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換 東信堂

    森朋子 (2016). アクティブラーニングを深める反転授業 安永悟・関田一彦・水野正朗 (編) アクティブラーニングの技法・授業デザイン 東信堂 pp.88-109.

    森朋子 (印刷中). 「わかったつもり」を「わかった」へ導く反転学習の学び 森朋子・溝上慎一 (編) アクティブラーニングとしての反転授業 [理論編] ナカニシヤ出版

    関谷吉史 (2016). 国語におけるアクティブラーニング 溝上慎一 (編) 高等学校におけるアクティブラーニング:事例編 東信堂 pp.153-171.

    Page Top