このページは、溝上の学術的な論考サイトです。考えとサイトポリシーをご了解の上お読みください。 溝上慎一のホームページ
active learningという用語は、1980年代に米国の高等教育のなかで用いられるようになり、1990年代に入って定義され概念化された。大学をはじめとする高等教育は、この用語を用いて講義一辺倒の授業脱却を目指し、資質・能力をはじめとする学生の学びと成長パラダイムへの転換を推進してきたのである。このようなactive learningは、日本の高等教育改革のなかで「アクティブラーニング」としてカタカナとして紹介され、後に『質的転換答申』(2012年)で「アクティブ・ラーニング」として国の施策用語となった(詳しくは「(理論)アクティブラーニング論の背景」「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)。
「アクティブ・ラーニング」が、高等教育のみならず、初等中等教育にまで下りて用いられる方向で検討され始めたのは2014年11月のことである。下村博文前文科大臣より中教審へ諮問され(注1)、「アクティブ・ラーニング」が学習指導要領の改訂の目玉の一つとなったのである。2016年8月26日には中教審教育課程部会から『審議のまとめ』が出され、主体的・対話的で深い学びとしての「アクティブ・ラーニング」の視点としてまとめられた。12月21日には『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(以下、答申)が出され、年度内に幼稚園の教育要領、小学校・中学校の学習指導要領が改訂、高校では2017年度に改訂となる予定で作業が進められている。
(注1)文部科学大臣下村博文 諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」(2014年11月20日)
(1) 答申の説明
まず、答申の説明(pp.49-52)から、「主体的・対話的で深い学び」の実現(「アクティブ・ラーニング」の視点からの授業改善)がどのようなものかを理解しよう。引用形式を採らないが、本項での説明は、答申の説明や用語をできるだけ引用しておこなっている。
答申ではまず、主体的・対話的で深い学びの実現とは、人間の生涯にわたって続く学びという営みの本質を捉えながら、子供たちに求められる資質・能力を育むために必要な学びを考え、授業の工夫・改善を重ねることである、と説かれる。ここで、生涯にわたって求められる本質的な学び、資質・能力の育成に繋がる学びとは、と考えて打ち出されるのが、「主体的・対話的で深い学び」そして、「アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善」である。それぞれは次のように説明される。
定義 学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動をふり返って次に繋げる学び。
意義 子供自身が興味をもって積極的に取り組むとともに、学習活動を自らふり返り意味づけたり、身についた資質・能力を自覚したり、共有したりすることが重要である。
②対話的な学び
定義 子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める学び。
意義 身につけた知識や技能を定着させるとともに、物事の多面的で深い理解に至るためには、多様な表現を通じて、教職員と子供や、子供同士が対話し、それによって思考を広げ深めていくことが求められる。
③深い学び
定義 習得・活用・探究という学びの過程のなかで、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連づけてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見出して解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう学び。
意義 子供たちが各教科等の学びのなかで身につけた資質・能力の三つの柱を活用・発揮しながら物事を捉え思考することを通じて、資質・能力がさらに伸ばされたり新たな資質・能力が育まれたりしていくことが重要である。教員はこのなかで、教える場面と子供たちに思考・判断・表現させる場面を効果的に設計し関連させながら指導していくことが求められる。
図1は、主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングの視点)を、育成を目指す資質・能力の三つの柱「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」(注2)と関連づけ、「学びの過程」として図式化したものである。ポイントは、「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」の三つの視点それぞれが相互に、かつ全体として影響し合うものであり、その結果、資質・能力の三つの柱を育てていくというものである。そして、この学びの過程を、各教科・教育活動等を有機的に関連づけることで、その総体としての学校教育全体で取り組んでいくことが、今回の改訂・学習指導要領の主張である「社会に開かれた教育課程」、各学校における「カリキュラム・マネジメント」を実現するものとなる。
図1 「アクティブ・ラーニング」の3つの視点からの学びの過程
*中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)の補足資料より
(注2)資質・能力の三つの柱は、いわゆる「学力の三要素」(学校教育法第三十条第二項)、
① 基礎的な知識・技能
② これらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力その他の能力
③ 主体的に学習に取り組む態度
に対応するものでもある。つまり、資質・能力の三つの柱を育てるということは、新しい社会に向けての真の学力をつけることに他ならない。
(2) 「深い学び」の追加について
答申に至る最初の中間まとめとして出された教育課程企画特別部会『論点整理』(2015年8月26日)では、アクティブ・ラーニングは「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」だと説明されていた。これは冒頭に述べた、学習指導要領改訂の作業の発端となった下村前文科大臣の中教審への諮問(2014年11月)、翌月に出された『高大接続答申』(2014年12月)(注3)での「アクティブ・ラーニング」の説明をほぼそのまま踏襲したものであった。
ところが、各教科の作業部会での検討を経て1年後の『審議のまとめ』(2016年8月26日)では、「協働的な学び」が「対話的な学び」に置き換えられ、新たに「深い学び」が加えられた説明となった。協働的な学びの上位概念が「対話的」で置き換えられても、「協働的」という言葉は、対話的な学びの説明のなかに残されているので、その意味では最大の変更点は、「深い学び」の追加にあるといってよい。
(注3)中央教育審議会『新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について-すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために-(答申)』(2014年12月22日)
「深い学び」が加わったのは、「主体的・協働的な学び」としてのアクティブ・ラーニングでは、教科学習の理解の質が落ちるという懸念が、中教審委員、文科省事務方に大きくもたれたからだと推察される。「活動あって学びなし」「活動主義」「はい回るアクティブ・ラーニング」といった批判への対応ともいえる。『論点整理』においても、アクティブ・ラーニングを通して目指される学習として「深い学び」が補足説明されており、ただただ主体的・協働的な学びであればそれでよいなどとは論じられていなかったはずだが、最終的にはこのようになっている。私たちが押さえておくべきは、深い学びの「深い」とは基本的に何を指すもので、その上で答申の「深い学び」はどこまで求めるものなのかというその概念の拡がりである。
学術的に見て、「深い学び(deep learning)」が、学習の理解の深さを問うときに用いられることが多かったことをまず押さえよう。その代表的なものとして、マルトンら(Marton & Säljö, 1976)の「学習への深いアプローチ」やマクタイら(McTighe & Wiggins, 2004)の「理解の6側面」がある。マルトンらは、知識を既存の知識や経験などと関連づけながら学習することを強調し、マクタイらは理解を「説明」「解釈」「応用」「パースペクティブ」「共感」「自己知識」の側面から総合的に捉えた。いずれにも共通するのは、知識が単独で棒暗記のように記憶されることではなく(これが「浅い学び(surface learning)」の定義である)、さまざまな知識や経験、考えとの関係のなかに位置づけられ構造化されることである(注4)。しかも、このような学びの過程は、改訂版タキソノミーの用語を用いれば、「記憶する」「理解する」「活用する」「分析する」「評価する」「創造する」といった認知的な操作を駆使することにもなる(石井, 2011, 2015)。この認知的な操作を駆使する過程、すなわち「学びの認知プロセス」こそがとくに思考力や判断力に関わる資質・能力を育成する原資となる。逆にいえば、資質・能力を育成するには、深い学びが必要だということである。もちろん、先に述べた理解の深さが最初にあったうえでの話である。
(注4)深い学びが浅い学びを対立項として(対比されるかたちで)定義されている構造も読み取ってほしい。アクティブラーニングが、単に「アクティブ」の指す特徴だけを定義してきたのではなく、講義型授業での「聴く」を受動的学習と操作的に定義し、それを乗り越える意味での「アクティブ(能動的)」を定義してきたことと似ている(詳しくは「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)。
答申での「深い学び」は、この学術的な「深い学び」をしっかり踏襲していると考えられる。「習得・活用・探究という学びの過程のなかで、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連づけてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見出して解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう学び」における下線部は、前述した、さまざまな知識や経験、考えとの関係のなかに位置づけ構造化する、その過程で認知的な操作を駆使するという学びの認知プロセスを指しているからである。
その上で、各教科の特質に応じた深い学びを、より具体的に「見方・考え方」として発展させる。学術的な深い学びは、各教科の特質まで考慮して説明されるものではないが、答申は学習指導要領の改訂と連動しているので、各教科の特質まで考慮し、初等中等教育課程の細部にしっかり対応するものとなっている。各教科の「見方・考え方」のイメージが、答申の別紙1に示されているので、表1としてここに示しておく。
表1 各教科等の特質に応じた見方・考え方のイメージ
言葉による見方・考え方 | 自分の思いや考えを深めるため、対象と言葉、言葉と言葉の関係を、言葉の意味、働き、使い方等に着目して捉え、その関係性を問い直して意味付けること。 |
社会的事象の地理的な見方・考え方 | 社会的事象を、位置や空間的な広がりに着目して捉え、地域の環境条件や地域間の結び付きなどの地域という枠組みの中で、人間の営みと関連付けること。 |
社会的事象の歴史的な見方・考え方 | 社会的事象を、時期、推移などに着目して捉え、類似や差異などを明確にしたり、事象同士を因果関係などで関連付けたりすること。 |
現代社会の見方・考え方 | 社会的事象を、政治、法、経済などに関わる多様な視点(概念や理論など)に着目して捉え、よりよい社会の構築に向けて、課題解決のための選択・判断に資する概念や理論などと関連付けること。 |
数学的な見方・考え方 | 事象を、数量や図形及びそれらの関係などに着目して捉え、論理的、統合的・発展的に考えること。 |
理科の見方・考え方 | 自然の事物・現象を、質的・量的な関係や時間的・空間的な関係などの科学的な視点で捉え、比較したり、関係付けたりするなどの科学的に探究する方法を用いて考えること。 |
音楽的な見方・考え方 | 音楽に対する感性を働かせ、音や音楽を、音楽を形づくっている要素とその働きの視点で捉え、自己のイメージや感情、生活や社会、伝統や文化などと関連付けること。 |
造形的な見方・考え方 | 感性や想像力を働かせ、対象や事象を、造形的な視点で捉え、自分としての意味や価値をつくりだすこと。 |
体育の見方・考え方 | 運動やスポーツを、その価値や特性に着目して、楽しさや喜びとともに体力の向上に果たす役割の視点から捉え、自己の適性等に応じた『する・みる・支える・知る』の多様な関わり方と関連付けること。 |
保健の見方・考え方 | 個人及び社会生活における課題や情報を、健康や安全に関する原則や概念に着目して捉え、疾病等のリスクの軽減や生活の質の向上、健康を支える環境づくりと関連付けること。 |
技術の見方・考え方 | 生活や社会における事象を、技術との関わりの視点で捉え、社会からの要求、安全性、環境負荷や経済性等に着目して技術を最適化すること。 |
生活の営みに係る見方・考え方 | 家族や家庭、衣食住、消費や環境などに係る生活事象を、協力・協働、健康・快適・安全、生活文化の継承・創造、持続可能な社会の構築等の視点で捉え、よりよい生活を営むために工夫すること。 |
外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方 | 外国語で表現し伝え合うため、外国語やその背景にある文化を、社会や世界、他者との関わりに着目して捉え、目的・場面・状況等に応じて、情報や自分の考えなどを形成、整理、再構築すること。 |
道徳科における見方・考え方 | 様々な事象を道徳的諸価値をもとに自己との関わりで広い視野から多面的・多角的に捉え、自己の人間としての生き方について考えること。 |
探究的な見方・考え方 | 各教科等における見方・考え方を総合的に活用して、広範な事象を多様な角度から俯瞰して捉え、実社会や実生活の文脈や自己の生き方と関連付けて問い続けること。 |
集団や社会の形成者としての見方・考え方 | 各教科等における見方・考え方を総合的に活用して、集団や社会における問題を捉え、よりよい人間関係の形成、よりよい集団生活の構築や社会への参画及び自己の実現と関連付けること。 |
*中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)、別紙1より
(3) 主体的・対話的な学びを基礎とした深い学びへ
アクティブ・ラーニングの視点に深い学びを加えたとき、予想される負のインパクトは、深い学びが先に来て、主体的・対話的な学びが後回しにされることである。とくに大学進学者の多い高校では、大学受験もにらんで、教科内容を理解させることへのプレッシャーが大きい。深い学びを最優先しないと、生徒の学習の質を大学受験に通用するものにしていくことが難しく、主体的・対話的な学びが後回しになってしまう可能性が高い。事実、半期に1、2回授業のなかで議論や発表を入れました、という、申し訳程度の主体的・対話的な学びを加えた実践報告を聞くことが少なくない。
もちろん、この理解は間違えている。答申で、「深くて、主体的・対話的な学び」となってはおらず、「主体的・対話的で深い学び」という順序で説明されていることに大きな意味があると理解しなければならない。それは、主体的・対話的な学びを基礎としつつ、その上で深い学びを実現することが目指されているからである。この順序が逆転するようでは、あるいは前2つの学びが軽視されるようでは、今回の学習指導要領改訂の苦労は、結局高校のチョーク&トークを主とした講義一辺倒の授業を本質的に変えられないという意味において、水の泡と化する。学校から仕事・社会へのトランジション課題における問題を解決するための改革ともならない(注5)。
今回の学習指導要領改訂の焦点が、高校教育段階、ひいては高大接続にあることをふまえて、北米で概念化されてきたアクティブラーニング(active learning)の概念が、何よりも講義一辺倒の授業を脱却することを第一義として主唱されてきた文脈を、今一度確認してほしい(「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)。
(注5)学習パラダイムと相まって発展しているアクティブラーニング論の新たな主張点は、対話的・協働的な学びにある(「(講話)アクティブラーニングはなぜグループワーク、プレゼンテーションを強調するか」を参照)。
(1) コメント
私は、今回の答申におけるアクティブ・ラーニングの定義・説明について、3点注目すべき点があったと思っている。
第一に、何といっても、「深い学び」をアクティブ・ラーニングの視点の1つに加えたことである。「主体的・対話的な学び」だけでは、教育現場で「活動あって学びなし」「活動主義」「はい回るアクティブ・ラーニング」という憂慮すべき状況に陥る可能性が高く、そこに「深い学び」を加えることで、落とし込むべき学習成果の重要性を強く訴えたわけである。主体的・対話的な学びだけで済んではならないというメッセージである。これによって、「活動あって学びなし」「活動主義」「はい回るアクティブラーニング」を、「それはアクティブ・ラーニングではありません!」と一瞬で否定していくことができる。これは教育現場にはわかりやすくていい。
第二に、学習指導要領の改訂に向けた今回の答申は、資質・能力の三つの柱(「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」)の育成を前面に打ち出して、議論が構成されている。アクティブ・ラーニング(の視点)は、この資質・能力の三つの柱に直結するように定義されるべきで、その観点で見たときには、「主体的・対話的で深い学び」という定義はかなり全うなものであるという印象を受ける。とくに深い学びにおける「学習の認知プロセス」(上述)は、各教科の学習を通しての思考力や判断力の育成に直結するものであり、主体的・対話的な学びだけでは不十分な資質・能力の育成を補っていると見て取れる。
第三に、「主体的な学び」の説明のなかに、自己のキャリア形成の方向性との関連が言及されていることである。「「キャリア・パスポート(仮称)」などを活用し、自らの学習状況やキャリア形成を見通したり、振り返ったりする」という説明も見られる(答申の補足資料より)。これは、アクティブラーニング論が学校から仕事へのトランジションを課題とするなかで発展していることに繋がるもので(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)、単に学習課題に対して前向きであればいいということのみならず、キャリア・人生形成のための前向きな学習にもせよ、という期待をも込めた説明となっている。
(2) 学術的な定義とのすり合わせ
私は北米の論者の定義や説明をふまえて、下記のとおり、アクティブラーニングの定義を世に示してきた(「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)。
一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセス(*)の外化を伴う。 |
*認知プロセスとは、知覚・記憶・言語・思考(論理的 / 批判的 / 創造的思考、推論、判断、意思決定、問題解決など)といった心的表象としての情報処理プロセスのことである。
定義自体は異なっていても、「主体的・対話的な学び」の部分には直接的な重なりがある。それぞれの説明される内容まで含めれば、両者の本質的な違いはないといえる。
私のアクティブラーニングの定義に「深い学び」という言葉はないが、第1節(2)で説明した学びの認知プロセスに相当する「認知プロセスの外化」が含まれている。最近の研究(溝上ら, 2016)からは、私の定義に基づく「活動への関与」と「認知プロセスの外化」をしっかりおこなっている学生が、そうでない学生と比べて学びが深いという実証的な結果も示されている。さらなる検討は必要であるものの、このことは、活動への関与と認知プロセスの外化だけで定義されるアクティブラーニングをしっかりおこなう者が、実質的に深い学びにも至っている可能性を示唆している。また、仮に「認知プロセスの外化」が深い学びに相当するものではないとしても、私のアクティラーニング論は、アクティブでありディープ(深い)な学びとしての「ディープ・アクティブラーニング」(松下, 2015)を先に見据えながら論じてきたという経緯もある(溝上, 2015)。「深い学び」という言葉を中に入れるか(主体的・対話的で深い学び)、実質的に相当するものが中にあると見なすか(活動への関与、認知プロセスの外化)、はたまた外の概念と繋ぐか(=ディープ・アクティブラーニング)の違いはあるにしても、いずれも目指すところに実質的な差はない。
このように考えて、学習指導要領改訂に向けた教育現場への説明として「主体的・対話的で深い学び」という答申の定義には、個人的に十分満足している。(2014年11月の)前文科大臣の諮問からの約1年半、アクティブラーニングに対する教育現場の混乱を、この定義は一定程度回収していくことと期待している。
なお、答申で示される「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングの視点)」には、アクティブラーニングの多くの論者が第一義としてきた、講義一辺倒の授業の脱却が明示されていない。講義一辺倒の授業など考えられない、小学校の教育までを対象とする学習指導要領を改訂するわけであるから、答申の限界だといえる。あるいは、現行の学習指導要領で言語活動の充実が推進されているはずであるから、書く・話す・発表するなどの活動という点でほぼ同じものを指す言語活動をしっかり推進していれば、講義一辺倒の授業はすでに脱却されているはずである、次期学習指導要領でわざわざ謳わなくてもいいはずだ、という見方もある。いずれにしても、講義一辺倒の授業の脱却は文章では明示されていないが、答申の補足資料の図を見れば、アクティブ・ラーニングの視点が講義一辺倒の授業を対象とするものでないことは明々白々である(図2を参照)。
図2 主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」の視点)
*中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)の補足資料より
(3) 学習パラダイムとトランジションの観点から理解する
最後に、主体的・対話的で深い学びとしてのアクティブ・ラーニングの視点を、ただ理想的な学習論を提唱するといった小さなものではなく、教授パラダイムから学習パラダイムへの転換を促す学習論として、さらにはトランジション課題における問題解決のための学習論として大きく理解しよう。
第一に、学習パラダイムへの転換を促す学習論としての主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングの視点)である。
高等教育に関する文部科学省の施策(注6)では、2008年の『学士課程答申』で教授パラダイムから学習パラダイムへの転換がはかられ(山田, 2009)、『質的転換答申』(2012年)で学習パラダイムを実現する実践的な教授学習法としてのアクティブ・ラーニングが紹介されたと考えられている。
(注6) 中央教育審議会『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて-生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ-(答申)』(2012年8月28日)
今回の答申でも、教授パラダイムから学習パラダイムへの転換に相当する考えが至るところで示されている。たとえば、次のような説明に典型的に認められる。
図3に示すように、学習パラダイムは教授パラダイムを基礎として、教授学習活動を豊かに拡張、発展させるものである(「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)。両パラダイムは決して二項対立的なものではない。したがって、スローガンとしては「教授パラダイムから学習パラダイムへの転換」だとしても、そこでの学習パラダイムは教授パラダイムを基礎としていることには留意しなければならない。答申では、両者の関係性と重要性がうまく記されている。
図3 教授学習活動における教授パラダイムと学習パラダイムの関係
第二に、トランジション課題における問題解決のための学習論としての主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングの視点)である。
いま我々が取り組んでいる学校教育の抜本的改革の背後に、知識基盤社会、情報化・グローバル化、2030年の社会をはじめとする社会の変化への対応、言い換えれば、学校から仕事・社会へのトランジション課題がある(「(講話)施策の「社会が変わった」という説明を教育現場は繋げて理解していない」を参照)。生徒を仕事・社会に力強く送り出していくために、学校教育での育成が見直されているのであり、その大きな一つとしてのアクティブラーニングである。高等教育だけの問題ではないし、初等中等教育だけの問題でもない。両者が仕事・社会の出口を共ににらんで、それぞれの教育段階でできることを、下と上の段階もにらんでリレーして取り組んでいくことがなにより重要である(=トランジション・リレー)。高等教育と初等中等教育とが同じ「アクティブ・ラーニング」という用語をもって、トランジション・リレーを意識するきっかけになればと願う。
千々布敏弥 (2021). 先生たちのリフレクション-主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣- 教育開発研究所
石井英真 (2011). 現代アメリカにおける学力形成論の展開-スタンダードに基づくカリキュラムの設計- 東信堂
石井英真 (2015). 今求められる学力と学びとは-コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影- 日本標準ブックレット No.14
松下佳代 (2015). ディープ・アクティブラーニングへの誘い 松下佳代・京都大学高等教育研究開発推進センター (編) ディープ・アクティブラーニング-大学授業を深化させるために- 勁草書房 pp.1-27.
Marton, F., & Säljö, R. (1976). On qualitative differences in learning—II: Outcome as a function of the learner’s conception of the task. British Journal of Educational Psychology, 46, 115-127.
McTighe, J., & Wiggins, G. (2004). Understanding by design: Professional development workbook. Virginia: ASCD.
溝上慎一 (2015). アクティブラーニング論から見たディープ・アクティブラーニング 松下佳代・京都大学高等教育研究開発推進センター (編) ディープ・アクティブラーニング-大学授業を深化させるために- 勁草書房 pp.31-51.
溝上慎一・森朋子・紺田広明・河井亨・三保紀裕・本田周二・山田嘉徳 (2016). Bifactorモデルによるアクティブラーニング(外化)尺度の開発 京都大学高等教育研究, 22, 151-162.
山田礼子 (2009). はしがき 山田礼子 (編) 大学教育を科学する-学生の教育評価の国際比較- 東信堂 pp.i-iv.