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-理解したらALに取り組むという考え方では進まない v2
とくに高校やその部署をもつ教育委員会・センターなどに研修会の講師で招かれるとき、(校長や行政職などの)管理職との懇談でよく出る話の一つに、
「先生たちはアクティブラーニングの重要性を理解できないからやらないのであって、理解すれば(アクティブラーニング型の)授業をすると思うんですよ。」
というのがある。私は、この考え方は間違っていると思う。
たとえれば、それは「泳ぐことの重要性がわかるまで水には入りません」と言っているようなもので、そんなことで人は絶対泳げるようにはならない。管理職は、究極ではあるだろうが、
「水に入りなさい。そして泳ぐ練習をしなさい。」
と言うべきである。否、授業に練習はないはずだから、
「水に入って泳ぎなさい。」
「失敗をしていいからそこからコツをつかみ、より上手な泳ぎ手になりなさい。」
と言うべきである。
この1、2年のアクティブラーニング改革のなかで、「活動入れればいいんでしょう」みたいな開き直った態度で授業をおこない、活動の先に何があるかを考えようともしない教師が、全国に少なからず存在することが露呈した。水に入って泳いではみるものの、しっかり泳ごうとは端から思っていない。「しっかり」の意味も考えない。そういう教師が少なからずいることが露呈したのである。昨年末の答申(『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』)で、「アクティブ・ラーニングの視点」に“深い学び”が加えられたことはそのような教師たちへの牽制であったともいえる(「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」を参照)。
たしかに、「水に入って泳ぎなさい」なのだろうが、それで事がそう単純に進まないのは、まさにこれがあるからである。つまり、訳(理解)もなく、水には入ろうとしないし、仮に入ったとしてもしっかり泳ごうとはしないのである。
いまや、政府の施策として進められているアクティブラーニングである。それを理解したくないとする教師は、いわば会社の方針には従わない従業員のようなものであり、これは論外である。しかし、理解しようとしても実感としてなかなか理解するに至らない教師のことについては考えてみなければならない。
伝統的なチョーク&トークの授業は、教師が学生時代に受けてきた経験も下支えして、どのような授業が良くてどのような授業が問題かをイメージしやすい。目標や理想とする抽象的な方向性も、実際の体験や自身の授業経験からある程度概念化してイメージすることができる。教師はそれに向けての授業改善をおこなうことができるし、その枠内での新しい発展的課題にも取り組むことができる。
それに対してアクティブラーニング型授業は、多くの教師がイメージを作れるほどの経験を持っておらず、抽象度の高いところで概念的に理解するのが精一杯のものである。多少の例が示されることはあるにせよ、自身の具体的な実践にどのように繋げればいいかまで教えられることはまずない。多人数を対象とした研修で、そこまでは不可能だからである。その結果、自身の目指すアクティブラーニング型授業を生き生きとイメージすることが難しく、管理職の冒頭の言「理解すれば~すると思うんですよ」にもなかなか至らないこととなる。
この問題に絡むのは、教師の「授業観」であり、その変容の難しさである。「観(view)」とは、ゲシュタルト(部分の寄せ集めとしてでなく、ひとまとまりとしてとらえた全体の姿)的に仕上がっているイメージ・見方といえるものでもあり、カウンセリングでいえばロジャース(1967)の「自己概念(self-concept)」、ビジネスでいえばセンゲ(1995)の「メンタルモデル(mental model)」にも相当する。人の「私はこういう人だ(自己概念)」「会社は(仕事は)こういうものだ(メンタルモデル)」を変えるのはなかなか難しいという話である。しかし、それを変えなければ人の行動は変わらないし、会社や仕事のしかたも変わらない。授業も同じである。授業観を変えなければならない。
どんな教師でも、教師である以上、「授業とは」の授業観を持っている。授業観は、授業に関するさまざまな経験(自分の授業、他人の授業など)を、自身の理想や信念(たとえば「理想の授業とはこういうものだ」「授業はこうあるべきだ」など)によって価値づけ、一般化されたものとして仕上がっている。授業観を背後で支える価値は、他者(他の先生など)との意見交換、授業研究会での議論や講評などの他者との相互交流の機会を通して形成されるものである。他者との相互交流において、同じ価値であれば自身の価値を確認して維持する。異なる価値であれば、自身の価値を修正するか、他者の価値を異なるものとして排除する。長年この作業を幾度となくおこない、価値は一般化されたシステムとして仕上がっていく。学術的にいえば、さまざまな他者の価値をくぐり抜けて、社会構成的に形成された(social construction)システムである。個人の価値であっても、他者をまったく無視した独りよがりな価値ではないということである。授業観はこの価値に色づけられて形成されている。
こうして、授業観ならびにそれを支える価値を分解して理解すると、授業観を変えることが並大抵のことではないことを理解するだろう。冒頭の管理職の言のとおり、「理解すれば教師はする」というのは、教師の授業観を変えることを意味するわけだが、「観」の変容が、受け身の研修を1、2度受けたくらいで、あるいは教育雑誌や本などをぱらぱらと情報収集するくらいで簡単に起こらないことは、カウンセリングやビジネス研究や実践の歴史が物語っている。授業観を変えることは、これまで頑張ってきた自身の過去を否定することにもなるから、過去を否定されたような気になることもあり、この点も授業観の変容を邪魔する要因となっている。
授業観を変えるためには、教師がアクティブラーニング型授業をおこない、そこで自分自身が新たに考えたり感じたりする経験が必要である。自分自身の思考や感情を伴う新たな経験によって、自身の過去を相対化する必要がある。そうして、授業観は揺さぶられ変容していく。揺さぶられれば必ず変わるというものではないが、揺さぶられないことには授業観は変わらない。ポイントはここである。こうして冒頭の言、
「水に入って泳ぎなさい」
の話に戻ってくる。理解してから泳ぐのではなく、理屈抜きで「水に入って泳ぎなさい」。そして、「そこで考え、感じたことをもとに授業観を作り直しなさい」となるのである。
話はまだ終わらない。
水に入って泳いだとしても、うまく泳げなかったら、きっと泳ぐことをすぐやめてしまうことだろう。1回目からうまく泳げないのは仕方がないとしても、何度やっても向上が見られない、泳げるようになっているという実感が持てないということであれば、泳ぎ続けることは誰しも難しい。
ここで必要となるのが、泳ぎ続けるための「社会的フィードバック(positive social feedback)」をもらうことである。社会的フィードバックは、少なくとも2つある。1つは、生徒の反応である。もう1つは同僚からの励ましやコメントである。
生徒の反応は、泳ぎ続けるモチベーションをつくるのに、もっとも大事である。教師が生徒に対して、真摯に、格好をつけずに、なぜアクティブラーニングが重要かもきちんと説明をして、そして「頑張ってやってみようじゃないか」と説けば、生徒はけっこう頑張ってやってくれるものである。ある進学校の定年前の高校教師が、私の研修を受けて、翌日の授業で半信半疑ながらペアワークをやってみたという。そして、生き生きとペアワークをする生徒の姿に驚いた教師は、校長室に「あいつらやりますよ!」と駆け込んで報告してきたらしい。大げさだが、まるで生徒の生き生きした学ぶ姿を、はじめて見たかのような驚きだったともいえる。このような劇的なことはそう多く起こらないだろうが、象徴的なイメージはこれである。
同じことは、私が教育顧問として指導する桐蔭学園のアクティブラーニング型授業の改革でも起こった。2015年の4月、改革を始めた最初の週、先生も頑張ったが生徒も頑張ったのである。そして、お互いに「これはおもしろい」「これはいける」と確信したのである(「桐蔭学園のアクティブラーニング型授業の改革2015-YouTubeビデオの解説」を参照)。今から見て稚拙な点、内容的に不十分な点は山ほどあったはずである。しかし、そんなことではないのである。アクティブラーニングという学習を授業のなかに組み込む新たな経験に生徒も教師も手応えを感じ、そこから未来に希望を感じたのである。これがなかったら、桐蔭学園のアクティブラーニング型授業の改革はきっとうまく進んでいなかっただろう。よく思い出すワンシーンである。
同僚からの励ましや助言も重要である。自分がうまくできずに、言い換えれば負の社会的フィードバックを受ける場面(たとえば、生徒が期待するとおりにやってくれない)であっても、同僚から「なかなかよかったよ!」「自分もこういうことはあった」「自分はこういうふうにやって、そこをうまく乗り越えた」というように、励ましや助言をもらえれば、「次こそは!」と次の実践に進む希望を感じるものである。その意味では、社会的フィードバックは何もポジティブな反応、成功体験ばかりが重要ではなく、励ましや助言でもいいのである。どのようなものであっても、次の取り組みへと繋がり、未来に希望を持てるような社会的フィードバックであることが重要である。桐蔭学園では、お互いに授業参観をして、お互いに良かったところを少しでも見つけて褒め合ったり、経験を交換し合いながらアクティブラーニング型授業の改革を進めてきた。みんなで、次も頑張ろうと励まし合ったのである。
ロージャズ, C. R. (著) 伊東博 (編訳) (1967).パースナリティ理論 (ロージャズ全集8) 岩崎学術出版社
センゲ, P. M. (著) 守部信之 (訳) (1995). 最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か- 徳間書店