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習得・活用・探究(注1)のあらゆる授業において、教授パラダイム(注2)を基礎としながらも、教授パラダイムの枠を越える学習パラダイム(注2)の活動が求められる。ただし、図表1に示すように、習得と探究を比べたときそのウェイトは異なっている。
教科書的な理解を進める習得の授業において、一般的に教授パラダイムが主となるのは当然のことである。教授パラダイムから学習パラダイムへの転換を説いたTagg(2003)自身も、学習パラダイムとは教授パラダイムの枠を越えることなのだと説き、教授パラダイムを決して否定してはいなかったのである(注2)。しかし、習得の授業においても、アクティブラーニングや各教科における見方・考え方(注3)を利用した深い学びを行うことが求められている。深い学び(注3)は教授パラダイムで行えるものではない。アクティブラーニングや各教科における見方・考え方を少しでも導入しようとすれば、どのように行ってもそれは学習パラダイムに基づく学習とならざるを得ない。
他方で、探究的な学習は学習パラダイムに基づくものと極端に説明されることがあるのも問題だと感じられる。探究の授業では、生徒主導の学習活動(学習パラダイム)に大きなウェイトが置かれるものの、だからといって教授パラダイムの時間がまったくないわけではない。問いの立て方や情報や資料の収集・整理の仕方などを教師が講義する教授パラダイムの時間は、探究的な学習の授業においてさえ認められるのである。
教授パラダイムか学習パラダイムかと二項対立的にとらえるのではなく、図表1のように、習得から活用・探究へと、教授パラダイムのウェイトが下がり、学習パラダイムのウェイトが上がっていくと捉えられるべきものである。
(注1)詳しくは「(用語集)習得・活用・探究」を参照。
(注2)詳しくは「(理論)教授パラダイムから学習パラダイムへの転換」を参照。
(注3)各教科における見方・考え方については、「(理論)深い学びとは」の第2節 深い学びを施策的に見る-主体的・対話的で深い学びにおける「深い学び」- を参照。「深い学び」についても詳しくはこのページを参照。
溝上慎一 (2020). 社会に生きる個性―自己と他者・拡張的パーソナリティ・エージェンシー-(学びと成長の講話シリーズ3)東信堂(印刷中)
Tagg, J. (2003). The learning paradigm college. Bolton, Massachusetts: Anker.
(お断り)
厳密には、学校種によって「(大)学生」「生徒」「児童」といった呼称の使い分けがなされるべきであるが、内容によっては小学校と高等学校、ひいては大学も含めて同時に議論するような箇所もあり、表現が難しい。本ウェブサイトでは、原則「生徒」と表現し、内容によって「児童生徒」「生徒学生」「学生」等と表現することとする。読者の所属する学校種に応じてうまく読み取ってほしい。