このページは、溝上の学術的な論考サイトです。サイトポリシーをご了解の上お読みください。            溝上慎一のホームページ

(講話)求められる教師エージェンシー

要約

教師エージェンシーは、児童生徒の育てるべきエージェンシーに対応して考えられるものである。少なくとも3つの点が求められると考えられた。

①教師自身が児童生徒に求める3層から成る主体的な学習(課題依存型・自己調整型・人生型)の教員版を、教員生活の中で実践することである。

②第二に、新しい経験へ開かれていることである。アクティブラーニングや外化、資質・能力に最も大きな影響を及ぼすパーソナリティ特性は「経験への開かれ」であり、その影響の大きさは高校生・大学生・社会人いずれにおいても共通した実証的な結果が示されている。

③第三に、ファシリテーション・スキルを身につけることである。児童生徒が主人公となる主体的な学びを実現するために、教師は生徒に寄り添い、生徒目線で、生徒の思考や理解を促す促進者であらねばならない。

最後に、最新の施策文書で示される教師に求められる資質・能力と関連づけて、教師エージェンシーが論じられた。

 

第1節 エージェンシーとは何か?

教師のエージェンシーについて論じる前に、エージェンシーについて確認しよう。

「エージェンシー(agency)」の捉え方にはさまざまな立場があるが、原義として共通するのは、第一に「行為主体(agent)」を問題とすること、その上で第二に、行為「主体」が「客体」(対象)との関係において優勢である状態、つまり対象に対して前のめりの状態を問題とすることである。カタカナで表記されても、その原義的な意は日本語で訳すところの「主体性」「主体的」に近いものであり、対象に対する行為主体の前のめりの姿を指すことに変わりは無い(注1)。新学習指導要領における主体的な学びの「主体的」は児童生徒の学習課題への前のめりを問題とし、よく知られるOECD・ラーニングコンパスにおける学習者エージェンシーの「エージェンシー」は、問題解決が多く予測困難な来る社会を問題とする(注2)。両者とも、原義においては同じように理解されるものである。

 

(注1)詳しい説明は、「(理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」まで」を参照のこと。
(注2)詳しい説明は、「(講話)エージェンシーとして理解される二つのライフ-OECDの「学習者のエージェンシー」をふまえて-」を参照のこと。

 

エージェンシーが単に対象に対する前のめりの状態を問題とするだけでなく、エージェンシー(agency)を作り出す行為主体(agent)との関係を問題とする点も重要な観点である。私は、このようなエージェンシーの行為主体を踏まえた特徴をわかりやすく示すために、対象(学習課題)への関わりを自己の観点から見て即自的から対自的へと3層から成る主体的学習スペクトラムとして提起している(注1)(新学習指導要領の「主体的な学び」と区別するために、「主体的な学習」としている)。図表1に示すように、課題のおもしろさに依存した場合でも、児童生徒の課題への前のめりの状態が認められる場合には、主体的な学習と呼ぶことができる。これは第I層である。他方で、課題がおもしろくてもおもしろくなくても、それに対して自身を方向づけたり自己調整したりする自己調整型(第II層)、人生の目標やアイデンティティ形成を伴った人生型(第III層)の主体的な学習もある。

すべての学校種の教師にとって、児童生徒が興味・関心を持って取り組めるような学習課題を設けることは基本的作業であろう。それはまず最初に、児童生徒に第I層の主体的な学習を期待することと相等しい。しかし、おもしろい学習課題の中にもおもしろくない部分はあり、また中学校・高校と学習の難度が上がっていくにつれ、課題のおもしろさだけで生徒を主体的な学習に促すことには限界が出てくる。好きな教科の中にも、おもしろくない、しかし理解して覚えなくてはならない基礎的な用語や概念、化学式などが山ほどあるからである。将来医者になりたいと思って医学部で学ぶ大学生が、興味のあるなしに関わらず、山ほど知識を詰め込まなくてはならないこともわかりやすい例の一つである。こうして児童生徒に求められるのが、第II層の自己調整型あるいは第III層の人生型の主体的な学習である。義務教育段階の教育で人生型まで期待するのは難しいであろうが、高校段階ではこのあたりまで視野に入れた主体的な学びが求められている。

 

 図表1 主体的な学習スペクトラム
                        *溝上(2018)の図表16(p.94)より

 

 

第2節 児童生徒のエージェンシーを育む

エージェンシーが行為主体の課題に対する前のめりの姿であるとするならば、児童生徒のエージェンシーを育てるということは、すなわち児童生徒が主人公の、学習者中心の学びを実現していくことに他ならない。新学習指導要領に向けた中教審答申(注3)においても、「何を教えるか」から「何ができるようになるか」への教授学習観の転換が説かれている。学術的には、教授パラダイムから学習パラダイムへの転換と呼ばれている(注4)

 

(注3)中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)
(注4)詳しい説明は、「(理論)教授パラダイムから学習パラダイムへの転換」を参照のこと。

 

学習者中心の学びと言っても、児童生徒が何でも好き勝手に学んでよいということではない。学校教育における学びである以上、学習目標を立てるのは教師である。教育や授業は学習目標の達成を目指して営まれるものであり、授業の起点は常に教師であるが、学びのプロセスにおいては児童生徒が主人公となる主体的な学び、すなわちエージェンシーが求められている。

新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」における主体的な学びは、「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動をふり返って次に繋げる学び」であると説明される。この説明には、下記の対応を示すように、図表1の主体的な学習スペクトラムの3層がすべて含められている。主体的な学びが、行為主体の自己調整や目標・アイデンティティ形成などを含めて捉えられていることが明らかである。求められる観点別評価の「主体的に学習に取り組む態度」においても、具体的な指標は「粘り強さ」「自己調整」とされ(注5)、第2層の自己調整型の主体的学習に焦点を当てていることも併せて押さえておきたい視点である。

 

    (1) 学ぶことに興味や関心を持ち(=課題依存型+自己調整型)
    (2) 自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って粘り強く取り組み(=人生型+自己調整型)
    (3) 自己の学習活動をふり返って次に繋げる学び(=自己調整型)

 

(注5)国立教育政策研究所『学習評価の在り方ハンドブック(高等学校編)』(2019年6月14日)

教師が設定した学習目標へ児童生徒を到達させることが学校教育の本質的な営みであり、他方で、その学びのプロセスにおいては児童生徒が主人公となるような主体的な学びの意義を説いた。しかし、ただ学習目標に到達させればそれで良しとしていないところに、新学習指導要領の難しくも新しい主張がある。つまり、ここまでであれば、前学習指導要領(2008年改訂)とさほど変わらない主張となる。新学習指導要領の新たな主張は、学びのプロセスに対話的な学びや深い学びを加えて、児童生徒に自身の考えや理解、疑問などを外化させる活動を強く求めていることである。対話的な学びや深い学びを通して児童生徒が外化活動を行えば、教師の予想しない児童生徒の考えや発言が縦横無尽に飛び出る。自分の言葉で外化するということは、それぞれの児童生徒が個性的に持っている関連する知識や考え、信念、価値観等を表出するということである。一定程度の文章や長さをもった外化であれば、教師の意図に関係なく、外化の内容が個性的になることは必然である。こうして、一方では学習目標の達成を目指しながら、他方では、学習目標の枠を越えた児童生徒一人ひとりの個性的な学習成果も目指されることになる。

学術的には、図表2で示すような構造で説明される。学習目標の達成は、全員が教授パラダイムの枠に到達することである。他方で、学習パラダイムとしての個性的な学習評価は、その枠を越えたところにある。学習パラダイムへの転換を説いたJ. タグ(Tagg, 2003)は、教授パラダイムと学習パラダイムは決して二項対立の関係にあるものではなく、学習パラダイムは活動の場を拡げ、教授パラダイムを越えたところに私たちを移動させるのだと述べる。

 

 
図表2 学習パラダイムは教授パラダイムの枠を越えた個性的な学習成果を作り出すことである

*溝上(2020)の図表31(p.154)より。

 

教師は、児童生徒のエージェンシーを育てることが求められている。そのエージェンシーには、児童生徒が学習課題に前のめりに取り組めばいいというだけでなく、学習者(行為主体)自身の自己調整型や人生型といった主体的に学ぶ態度や力まで含まれている(「第1節」を参照)。しかも、教授パラダイム(学習目標)の枠を越える個性的な学習成果まで求めるのが、エージェンシーでもある(本節)。個性的な学習目標の最たる活動は探究的な学習であり、新学習指導要領では、総合的な学習・探究の時間としてその活動を強化している。資質・能力(とくに思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力・人間性等)が新学習指導要領の前面に出て重要性が謳われるのも、とどのつまりは、それらが児童生徒のエージェンシーの基礎力として必要不可欠だと見なされているからである。

 

 

第3節 「教師エージェンシー」を考える

教師エージェンシーは、言うまでも無く、児童生徒の育てるべきエージェンシーに対応して考えられるものである。私は以上の論を踏まえて、教師エージェンシーとして少なくとも3つの点が求められると考える。

第一には、教師自身が図表1の3層から成る主体的な学習の教員版を、教員生活の中で実践することである。教師自身がこれを実践できないということでは、児童生徒のエージェンシーを育てることはできない。児童生徒と同様に、教師生活の中のさまざまな職務に興味・関心を持って主体的に取り組むことがまず基本である(第1層)。中には興味・関心を持てない職務もあって当然であるから、その場合には自身を方向づけたり自己調整したりする第2層の主体性が求められる。そして、自身が(近い)将来どのような教師になりたいかという教師アイデンティティを確立する第3層の主体的取り組みが求められる。

第二に、新しい経験に開かれていることである。これは児童生徒が主体的な学習、とくに枠を越える個性的な学習や探究的な学習を進める上で求められる態度であるが、教師にも同様に当てはまるものである。「ビッグファイブ」(Big Five:パーソナリティ5因子特性)と呼ばれる、人の性格を5つの因子に集約した論が心理学で研究されているが、その中の「勤勉性」「外向性」「経験への開かれ」因子が、現代社会において学校教育で育てる、あるいは職場で求められる態度や能力に対応していると考えられている。この中で、アクティブラーニングや外化、資質・能力に最も大きな影響を及ぼす因子は「経験への開かれ」であり、高校生・大学生・社会人いずれにおいても共通した実証的な結果が示されている(注6)。「経験への開かれ」とは、“好奇心が強い”“想像力に富んだ”“進歩的”“臨機応変な”などのパーソナリティ記述への評定から算出される因子であり、既知の世界に満足することなく、世の中の新しい課題や正解が一つとは限らない開かれた問題などに積極的に関心を示し取り組む態度に対応している。アクティブラーニングで与えられる開かれた問題への取り組みや探究的な学習を有意義に行うときに必要となるパーソナリティ特性であると考えられ、上記の実証的結果はこの見方を支持するものである。

(注6)詳しい説明は、「(データ)パーソナリティ特性から見る社会人の職場適応や能力(その1)」~「(データ)高校生の学びと成長をパーソナリティ特性から見る(その4)」「http://smizok.net/education/」の「データ」のページを参照のこと。

 

第三に、「ファシリテーション・スキル」を身につけることである。児童生徒が主人公となる主体的な学びを実現するために、教師は生徒に寄り添い、生徒目線で、生徒の思考や理解を促す促進者であらねばならない。図表3はファシリテーションの構造を示したものである。教師は学びの「プロセスをデザイン」し、参加型の活動、対話的学び・深い学びを通して外化される児童生徒の「意見を触発させかみ合わせる」。枠を越える個性的な学習成果は求めながらも、最低限、全員が達成すべき学習目標に向けた「場のコントロール」を行う必要がある。

 

図表3 ファシリテーションの構造
                *武田(2014)、図4.8より作成

 

 

第4節 エージェンシーの対象の拡がりとまとめ

私の理解では、エージェンシーはあくまで個人における対象に対する前のめりの姿を指すものである。しかし、その対象は決して個人だけで取り組む課題に留まらず、広く人びとや共同体・社会で共有する課題まで拡げて考えられるべきものである。たとえばOECDの学習者エージェンシーでは、エージェンシーを発揮する課題の中に価値観の異なる人びと・異文化を対象としたものを含め、co-agencyという用語が提起されている。新学習指導要領においても、主体的な学びと対話的な学びは連動して営まれる場合が多く、そのことはエージェンシーの対象の中に他者との対話・協働が含まれていることとして理解される。探究的な学習には、グループで取り組まれるものもあろう。地域連携として取り組まれるものもある。

教師エージェンシーについて直接述べられたものではないが、現在最新の施策文書として、『教師の資質能力の向上等について』が示されている(注7)。そこでは、教師に求められる資質・能力を以下のように述べている。この中のとくに「探究力」「自主的に学び続ける力」「教科に関する専門的知識に留まらない生徒指導」「豊かな人間力や社会性」「コミュニケーション力」「同僚とチームで対応する力」「地域や社会の多様な組織等と連携・協働できる力」は、すべてエージェンシーに結びつけて理解することができるだろう。

 

 

(注7)文部科学省総合教育政策局『教師の資質能力の向上等について』(2020年11月17日)

 

文献

溝上慎一 (2018). 学習とパーソナリティ-「あの子はおとなしいけど成績はいいんですよね!」をどう見るか- 東信堂

溝上慎一 (2020). 社会に生きる個性―自己と他者・拡張的パーソナリティ・エージェンシー- 東信堂

白井俊 (2020). OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来-エージェンシー、資質・能力とカリキュラム- ミネルヴァ書房

Tagg, J. (2003). The learning paradigm college. Bolton, Massachusetts: Anker.

武田正則 (2014). 学習ファシリテーション論-アクティブラーニングにおけるファシリテーション導入の方策と課題- 学事出版

 

 

Page Top