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アクティブラーニング論の流れをよく知らない多くの学校関係者にとって、きっと「アクティブラーニング」と「アクティブ・ラーニング」の「・」(中黒)の有無がノイズになっていることと思う。この差異には理由があるので、このページでその疑問に答えたい。
しかし、本来問うべきは、「・」中黒の問題よりも、なぜactive learningがカタカナの「アクティブラーニング」「アクティブ・ラーニング」と訳されているのか、である。これについてもこのページで回答する。
端的に説明すれば、「アクティブラーニング」は私が「・」を取ってこだわって用いてきた用語であり、「アクティブ・ラーニング」は文科省の施策用語である。
私がアクティブラーニングについてはじめて書いた論文は、2006~2007年の下記の2本であった。タイトルを見ればわかるように、私も当時は「・」を入れて用いていた。
・溝上慎一 (2006). カリキュラム概念の整理とカリキュラムを見る視点-アクティブ・ラーニングの検討に向けて-. 京都大学高等教育研究, 12, 153-162.
・溝上慎一 (2007). アクティブ・ラーニング導入の実践的課題 名古屋高等教育研究, 7, 269-287.
ところが、2010年以降の河合塾と一緒におこなったアクティブラーニング調査、アクティブラーニングの普及活動においては、私は「・」を取って用いていた。下記の章タイトルはその証左である。
理由は大したものではなく、短く表現したかったからである。active learningのような連語を日本語に訳すとき、区切りに「・」(中黒)を入れるのは日本人の一般的慣習である。しかし、当時いろいろな訳語で「・」がうるさく気になっており、アクティブラーニングから取ったのである(溝上, 2014)。実際、カタカナ翻訳語を見渡して、「・」を用いない定訳は少なからずある(たとえば「シートベルト(seat belt)「アップルパイ(apple pie)」「レーザープリンター(laser printer)」「ピアレビュー(peer review)」など)。
2012年に『質的転換答申』(注1)が出され、「アクティブ・ラーニング」という施策用語が誕生し(詳しくは「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)、「・」がつけられた。私は「・」を戻そうかといったんは考えたが、結局「アクティブラーニング」をそのまま使い続けることとした。理由は、政府のアクティブ・ラーニングの定義や説明がいろいろある中の一つであり、目的に応じてさまざまに議論できる余地を残しておこう、学術的には自由な立場でアクティブラーニングを論じよう、そう思ったからである。私の定義や説明も一つの立場であり、政府のそれも一つの立場であるという考え方である。ほとんどのアクティブ・ラーニング論者はそうだが、政府の定義や説明が先にあって、その後で彼らの論が展開する。その立場を否定はしないが、私は私のもっとも納得する定義や説明を打ち出し、その立場から自由に物事を考えたい。政府の定義や説明も、公理として所与のものとするのではなく、自分の立場からどう理解されるかを示したい、そう考えたのである。ときに厄介な状況もあるが、この学者としての立場を維持しておかないと、議論が豊かに発展していかないと思ったのである。関係者を振り回して申し訳なく思うときもあるが、ここは学者の立場に固執したく、お許し願いたいところである。
なお、昨年末(2016年12月)に出された答申(注2)の「主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」を私が学術的にどう見るかは、「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」でまとめておいた。参考にしてほしい。
(注1)中央教育審議会『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて-生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ-(答申)』(2012年8月28日)
(注2)中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)
みなさんは文科省の施策用語としての「アクティブ・ラーニング」を用いられればいいと思う。教育現場のなかには、「アクティブラーニング」「アクティブ・ラーニング」さえ用いずに、「主体的な学び」とか「探究型学習」とか「学び合い」とか、言葉は悪いが、自分たちの好きな用語を勝手に用いて実践を推進している者や学校も少なくないのだから、こんなときだけ「・」があるかどうかで悩む必要は無い。文科省施策の引用をするとき以外は、自由であっていいというのが私の考えである。
次に、active learningがなぜカタカナで訳されているのか、である。これもこだわってきた点であり、説明しておく。
これまで多く訳されてきたのは、「能動的学習」や「積極的学習」「主体的学習」(以下、これらをまとめて「能動的学習」と一本化する)であろう。それをカタカナの「アクティブラーニング」で訳したのは、新奇性を打ち出したかったからである。これまで多く訳されてきた、馴染みのある能動的学習を用いて再定義、意義を主唱したのでは、示すべき新しいことに多くの者が耳を傾けないだろうと考えた。アクティブラーニング論は、少なくとも社会の変化に対応して、学校教育の社会的機能を問い直す学習論として発展してきたものである。単に望ましい学習形態を探し求めて、グループワークだ、プレゼンテーションだと唱えているのではない。学習(と成長)パラダイムへの転換、トランジション課題の問題解決をはかるのに、避けては通れない学習形態として唱えられているのである(詳しくは「(理論)アクティブラーニング論の背景」を参照)。だから、カタカナで表記して、教育関係者に「なんだ、それは?」、「能動的学習あるいは主体的な学びと何が違うのか?」などと、たくさん「?(はてな)」を飛ばしてもらいたかったのである。アクティブラーニングが必要な背景を考えてもらいたかったのである。
おそらく、私のこの企図は成功したように思う。多くの教育関係者がとにかく「?」をたくさん飛ばしてくれた。しかし、その「?」はあまりにも直感的で、素朴で、勉強を深くすることなく安易な理解へと流され、教育現場は混乱し、ときにこの学習論への批判にも向かっていった。残念な展開であった。昨年末の答申(注2)における「主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」も、教育現場の混乱と批判への対応の結果のものとも推測され、中教審、文科省の関係者のご苦労には頭が下がる思いである。
近い将来、アクティブラーニングという用語が用いられない日がやって来るだろう。学習(と成長)パラダイムへの転換やトランジション課題の問題解決が十分に進めば、きっとアクティブラーニングなどというのは当たり前すぎて、それを用いる必然的文脈を失うに違いない。それは喜ばしいことであるし、実際今でも、アクティブラーニングという用語をまったく用いずに、学習(と成長)パラダイムに乗っての学習論、学生を育てようとする授業デザインや学習戦略は数多く提出されている(たとえばAmbrose et al., 2010; Bain, 2004; Biggs, 2003; Biggs & Tang, 2011; Entwistle, 2009; Ramsden, 1992, 2003)。より一般レベルで、そういう日がはやくやってくることを切に祈っている。
Ambrose, S. A., Bridges, M. W., DiPietro, M., Lovett, M. C., & Norman, M. K. (2010). How learning works: Seven research-based principles for smart teaching (Foreword by Richard E. Mayer). San Francisco, CA: John Wiley & Sons.
Bain, K. (2004). What the best college teachers do. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press.
Biggs, J. (2003). Teaching for quality learning at university. 2nd ed. The Society for Research into Higher Education & Open University Press.
Biggs, J., & Tang, C. (2011). Teaching for quality learning at university. 4th ed. Berkshire: The Society for Research into Higher Education & Open University Press.
Entwistle, N. (2009). Teaching for understanding at university: Deep approaches and distinctive ways of thinking. Basingstoke: Palgrave Macmillan.
溝上慎一 (2014). アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換 東信堂
Ramsden, P. (1992). Learning to teach in higher education. London: Routledge.
Ramsden, P. (2003). Learning to teach in higher education. Second edition. London: RoutledgeFalmer.