要点
話すことや発表することが学習の一部であることを生徒学生に伝える。これを授業づくりの基本としてとらえる。指導のタイミングの基本は、コースや学期の「始め」にあるが、「繋ぎ」の指導や介入も重要である。それでも話をしない生徒学生に対しても、授業内の場面、タイミングで当該の生徒学生に指導・助言をする。
話をするのが苦手な生徒学生には、クラスのなかよりも、個別に指導や支援をするほうがいいかもしれない。できれば、生徒学生から目標を挙げてくるのを辛抱強く待つ。授業で「今日はどうだった?」とときどき声をかけてあげることも大事である。
一教員が授業や個別指導で取り組むには限界がある。学校(大学、学部学科、高校、中学校)がさまざまなチャンネル(機会)を通して、生徒学生、教員を鼓舞し推進していくことが求められる。ガバナンスの機能が力強く求められる。
はじめに
「
(講話)『あの子はおとなしい性格だから』は無責任!(Part 1)」では、おとなしい、議論もできないような性格では、生徒は学校から仕事・社会へのトランジションを十分に乗り越えられないだろう。いくらテストでの成績がよくても受験学力が高くても、学力の三要素(「
(用語集)学力の三要素」を参照」に照らせば、対人関係の弱さは学力の低さと同義である。あたたかく関わりながらも、生徒の社会化を一歩でも二歩でも促すべく、指導や介入をしなければならない。そう論じた。
それでは、対人関係の弱い生徒学生に対して教師はどのように取り組めばいいだろうか。あくまで私見であるが、たたき台として考えを述べたい。
この問題は、次の3つに観点に分けて取り組まれるべきだと考える。
(1)授業での学習目標として明示化し、参加者全員の問題とすること。
(2)Part 1のエピソードで紹介した生徒学生のレベルは、個別指導で対応すること。
(3)学校で組織的に取り組むこと。
以下、それぞれについて考えを述べていく。
第1節 授業での学習目標として明示し、参加者全員の問題とすること
まず、(とくに話す・発表するなどの)アクティブラーニングとそこで生じる対人関係は、(アクティブラーニング型)授業に参加するあらゆる生徒学生にとっての学習であり、それを(学習)目標として明示することが第一の作業である。対人関係の弱い生徒学生への対応を考える場合でも、まずは教授学習の問題として捉えることが重要である。というのも、ここでは対人関係の育成を、トランジションに繋がる学校教育の目的・目標とし、そのためのアクティブラーニング型授業で求める課題として検討しているからである。対人関係の弱さそれ自体が問題であるなら、カウンセリングやコーチングなどの方法で個別に支援すればよい。ここでは学校教育の問題として、教授学習の問題として、この問題を検討しているのである。ここはしっかり分けて、押さえたいポイントである。
実際、対人関係を苦手としなくても、協働の作業を面倒くさがる生徒学生は少なくない。親密圏に近い仲の良い友だちとは協働の作業に取り組めても、そうでない他の生徒学生とは取り組めないという人もいる。その結果は、対人関係の弱い生徒学生が協働の作業に十分に取り組めないという話と同じである。アクティブラーニングにおける対人関係の問題は、このような生徒学生まで含めて、授業に参加する全員の問題(学習目標)としなければならない。
大枠をこのように設定できると、次の問題は、それをどのように生徒学生に伝え共有していくかである。
学習目標(対人関係)として設定されるものであるから、まずはシラバスへの記載である。その上で、学習目標をコースや学期の始めの授業で伝える。大学の授業における私語への対応を例にして、説明しよう。
私語で教室全体がすでに騒がしくなってしまっている授業で、「うるさい、静かに!」といくら怒鳴っても、それで静かになるのはせいぜい10分か15分である。時間が少し経てば、また騒がしくなる。また怒鳴る。これを繰り返す。教師は授業に集中できない。「最近の学生は~」と学生のせいにすることもある。学生の私語は問題だが、学生のせいにするだけではこの問題は解決しない。
私が問題だと指摘したいのは、当該の教師が、コースはじめの2~3回くらいまでの授業で、少数の学生が私語をするのを見逃してきたことである。火は小さいうちに消さねばならない。火が大きくなってから「うるさい、静かに!」といくら怒鳴っても手遅れである。わかりやすくいえば、その教師はすでに学生たちになめられているのである。私もかつて非常勤先の大学の授業で、この手の問題を経験したことがある。もちろん、なめられてしまったからといってそれで注意しない選択肢はないが、すでに負けている戦(いくさ)をひっくり返すのは並大抵のことではない。
私語で騒がしくなることがわかっているなら、コース初回の授業で、学生たちに授業内でのルール、求める学習内容や予復習のしかたなど、しっかりイントロダクションをしておくべきである。それにしたがって、私語をしているのを見つけた場合にはひるまず、間髪入れずに注意をする。ここが肝である。これくらいはいいかと見逃していると、火が大きくなって、始末できなくなるのはすでに述べたとおりである。
本章で問題にしている、アクティブラーニングの対人関係に関する「話す」「発表する」についても、考え方は同じである。「話す」「発表する」が当該の授業で学習目標となっていることはもちろんのこと、学力の三要素の一部であること、深い学びに繋がること等々を、コース初回の授業でしっかりイントロダクションしておくのである。高い能力や知識、考えをもっていても、話すこと、発表することが苦手だ、他者の考えをふまえて考えるのが苦手だというのでは、
Part 1で述べたように、大学で、あるいは仕事・社会で苦労する確率が高いことも伝えればよい。
繋ぎの説明も実践的ポイントとなる。始めはよくても、2~3週すると、生徒学生はだれてくるか、モチベーションが落ちてくる。
私の授業では、イントロダクションでは少し時間をかけて、話すこと、発表することの意義やアクティブラーニングのできることが学力の一要素であることを説く。将来求められる力であることはもちろんのこと、授業内の学習においても有効な学習法であることを説く。話すことで、他者の理解や考えに触れることで、自分が理解しているかどうかを確認でき、自分の頭の中を整理していくことができると説くのである。
イントロダクションで用いた説明つきのスライドを、私は毎回授業の冒頭かアクティブラーニングをする手前のタイミングで示して確認するようにしている。同じスライドなので、示して確認する時間はせいぜい1分である。おとなしい学生が努力しているときには大げさにほめるようにしている。おとなしい学生の話を聞き出してあげることが、議論やリーダーシップの力になることもさまざまなタイミングで伝える。前に出てきて発表のときには、発表者には、議論の3分や5分が長かったか、短かったか、議論ができたか、どのように過ごしたかなどを訊き、話してもらう。取り得るあらゆる機会を利用して、質の高い話し方や発表の仕方を目指すことを促し、動機づけるのである。
コースの3分の1や真ん中では、話すこと、発表することについてのグループワークを1、2回入れるようにしている。話すときに工夫していることがあるか、つまずきをどのように克服したかなどを学生同士で共有させるのである。話すこと、発表することが得意な学生でも、内容によってうまくできないことがあるから、そのようなときにどうしているのかを出してもらうのである。
グループワークで議論されたことは、ふり返りでワークシートにまとめてもらう。次の授業でいくつか有用なものを選んでフィードバックし、全体で共有する。学生自身の工夫やつまずきの克服、その姿勢は、教師の一般的な説明以上に学生たちには響く。こうして学生は少しでもうまく話すこと、発表することを目指して努力し、そのために授業内容により集中するようになる。授業外学習も課しやすくなる。いろいろな学習が連動してきて、理想的な学習状況となる。
第2節 話をするのが苦手という生徒学生への個別指導
話そうという意思はあるのだが、話をするのが苦手で聞いているだけ、あるいは話をしようとしても議論に入っていけない、そのような性格が問題となる生徒学生がいる。Part 1(「
(講話)『あの子はおとなしい性格だから』は無責任!(Part 1)」を参照)のエピソードで紹介したような生徒学生である。ここでは、第1節の授業論をふまえた上で、彼らへの対応を考えたい。学力の三要素やトランジションが標榜される以前は、多くの場合、見逃されていた生徒学生である。そもそも話したり議論したりする機会が授業の中では少なかったから、彼らのそのような問題はほとんど露呈せず、たとえ露呈する場面があったとしても、「成績が良い」「おとなしい性格を認めてあげたい」といった理由で、教師は確信犯的に見逃していた。
このような生徒学生に、全体の場で名指しで指導したり助言したりするのは控えた方がいいだろう。その生徒学生が極度に不安を覚えたり苦しくなったりすることは、授業が安全・安心の場であるべきだという考えに照らして望ましいものではなく、教室全体の雰囲気も悪くなる。
だからといって、ある講師が研修会で説いていたような、
「話すのが苦手な生徒、イヤな生徒は、無理しなくていい。ひとりグループもありです。」
という対応でもないだろう。参加の教員たちはこれを聞いてほっとしていたようだったが、私は「違うだろう」とのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。しかし、この考えはこの講師に限らず、ときどき耳にする。「教室が生徒にとって安全・安心の場である」というフレーズがその根拠として示されることもある。間違えていると思う。学校のなかでは「ひとりグループもありだ」と言ってもらえても、仕事・社会でそれをいってもらえる場は多くない。
まずは、第1節で述べた授業の学習目標として、参加者全体を鼓舞していくのが基本だと思う。これで、対人関係の弱い生徒学生が少しでも努力して話したり発表したりするようになれば、教室全体でそれをある程度認めることができるならば上出来だろうと思う。「話すことが苦手な人の考えを聞いてあげよう。引き出してあげよう。それも議論する力、リーダーシップの力になるよ」と説いて、生徒学生がそれをうまく理解して取り組んでくれればなお申し分ない。おとなしい生徒学生のいることが他の生徒学生の能力発達にもつながる。仕事・社会にはいろいろな人間がいるのだから、この状況は教育的に決してマイナスのものではないと考えたい。
その上で、授業やクラスの中で指導・助言することが難しい場合には、機会を見つけて当該の生徒学生を個別に指導や支援することが考えられる。中学校・高校であれば、問題なくできるだろう。大学でも、小さな学部・学科などの学生と顔の見える関係があるなら、可能だと思う。生徒学生の状況を受容的に聞き、小さなことでいいから前へ進むための努力をするような指導・支援をするのである。できれば、生徒学生から目標を挙げてくるのを辛抱強く待ったほうがいい。教師はすぐ助言をしてしまう悪い癖がある。授業で「今日はどうだった?」とときどき声をかけてあげることも大事だと思う。
もちろん、生徒学生の事情をふまえて、「この子は今は学校に来ているだけでも十分」「今はこの子に指導すべきタイミングではない」という現場の判断は重要である。「機が熟する」ではないが、無理に指導や支援をしていくことがいつも重要だという考えを私はもっていない。現場の判断を尊重したい。
しかし、対応を控える状況はいつまで続くのか。トランジションに向けたその生徒学生の学びと成長への関わりは次いつやってくるのか。そのまま卒業してしまったではないか。こう聞き返したくなるような状況があることも事実である。難しい問題である。
第3節 学校で組織的に取り組む―ガバナンスの機能
第1節、2節では、対人関係の問題について、一教員が授業や個別指導で取り組めることを示してきたが、本来的にその前提として、学校(大学、学部学科、高校、中学校、以下同様)がさまざまなチャンネル(機会)を通して生徒学生、教員を鼓舞し、推進していくことが求められる。ガバナンスの機能が求められる。
生徒学生を教員個々人で育てるのではなく、組織的に育てるのが学校教育である。一部の教員だけが取り組んでも、それだけで生徒学生が学校の教育目的・目標(対人関係を含む、以下同様)に向かって努力するわけではない。学校全体で取り組まれる雰囲気の中で、生徒学生は努力し成長するのである。この体制をつくり運営していくのは、学長や学部長、学校長をはじめとする管理職である。その意味でのガバナンスである。
難しいところだが、20年教育改革に関わってきた経験から考えて、力強いガバナンスだけで学校が変わっていくことはあまりないだろうといわざるを得ない。学校を変えるには、生徒学生を直に教育・指導・支援する前線に立つ個々の教員が、このガバナンスに乗って本気になることが必要である。生徒学生は学校教育の主役だが、このレベルの議論では個々の教員も主役である。彼らが、学校の教育目的・目標との関連において、本気で生徒学生と対決していかなければ、とてもではないが、たとえば本章で問題としている対人関係の弱い生徒学生に対応していくなどできはしない。
学校の管理職と個々の教員が同じ学校の教育目的・目標を目指して、ガバナンス、カリキュラム、個々の授業といったさまざまなレベルで、経験や成果を共有し議論していくことが必要である。管理職も個々の教員も、それぞれの立場で学校の教育目的・目標の達成に向けて、一丸となって努力していくことが必要である。どちらかだけでは十分ではない。双方の努力がともに必要である。
対人関係の弱い生徒への対応にとどまるものではないが、以上をふまえた組織的な取り組みを具体的に考えてみよう。
大学であれば学部や学科で、中学校や高校であれば学年単位で、オリエンテーションをしっかりおこなうことがまず重要である。
溝上(2018)では、庄内総合高校の学校全体で取り組むアクティブラーニング型授業の改革を紹介した。生徒は入学してきたときから、校長、学年主任から学校の教育改革、アクティブラーニング型授業の推進の説明を受けてきた。それを生徒だけでなく、他の教員も聞いて、学校の取り組みとして理解し、そうして(アクティブラーニング型)授業が開始した。その手前の教員研修はもちろんおこなわれてきたが、このような組織的な牽引が管理職によって明示的になされてはじめて、生徒学生、教員一同が頑張って取り組んでいける。対人関係の弱さを少しでも克服しようというメッセージも、この一環で発せられていい。
大学のオリエンテーションで有名なのは、立教大学の経営学部である。入学するとすぐに、一泊二日のウェルカムキャンプと呼ばれるオリエンテーション合宿が実施される。経営学部でなされるビジネス・リーダーシップ・プログラム(BLP:Business Leadership Program)の授業形式(たとえば、グループワーク、相互にフィードバック、ふり返りなど)に慣れることが目的である。プログラムの作成・運営はほとんど先輩の学生がおこない、授業も彼らが中心となって参画している。
もちろん、この体制を構築し運用しているのは学部であり、教職員スタッフである。それを背後で方向づけているのは、学部の学位授与の方針(ディプロマポリシー)であり、それに基づく教育目的・目標である。財政的な支援も相当なされている。その意味では、学部の組織的な教育活動としてなされているのであって、学生たちだけでつくってきた活動ではない。
高校生は、立教大学が先にあって経営学部を志望するのではなく、また経営学部が先にあって立教大学を志望するのではない。BLPを実施している立教大学経営学部を志望して受験してくるのである。いま立教大学経営学部は、関東のトップ私学に並ぶ偏差値になっており、偏差値が高ければいいというものではないが、少なくとも高校生がとても入りたい学部の一つになっていることは確かである。
オリエンテーションはあくまで導入なので、学校生活が始まってからの授業やカリキュラムなどで、組織的なメッセージが随所に生徒学生に発信されねばならない。第1節で示した、授業半ばでの「繋ぎ」と同様である。
大学であれば、コースシラバスに対人関係を含めた資質・能力を授業目標として記載し、アクティブラーニング型授業を実施する。パフォーマンス課題やルーブリックを用いたアセスメントをおこないながら、授業目標に基づいた成績評価をおこなう。カリキュラムマップを作成し、学生の対人関係を含めた資質・能力を4年間(6年間)でどのように段階的・体系的に育てていくかを、科目間の構造化を通して図る。学位授与の方針に基づく学修成果の可視化を、学年ごとにアセスメントする。このように、授業・カリキュラム・アセスメントなど、さまざまなチャンネルを通して学生を育てるメッセージを組織的に発していく。
キャリア教育も重要である。キャリア教育においては、キャリアデザイン(将来の見通し)だけでなく、資質・能力(社会人基礎力)の育成も課題となっているから、キャリア教育の観点からも学生の対人関係を含めた資質・能力を育てていく。
中学校や高校でも、授業、カリキュラム、キャリア教育についてはほぼ同じである。それ以外にも、ホームルームや学校行事(文化祭・体育祭・研修旅行など)もチャンネルの一つとなろう。第2節で紹介した個別指導も含めて、中学校、高校の独自の生活空間がある。この度の学習指導要領改訂の用語を重ねれば、学校の組織的な取り組みは「カリキュラム・マネジメント」(「
(用語集)カリキュラム・マネジメント」を参照)の観点から推進が求められているものでもある。