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(講話)「深い学び=深い理解」とは限らない

 

講演や研修で、必ずしも「深い学び=深い理解」とは限らないと説くと、驚かれる教員や教育関係者が少なからずいるので、ここで説明しておきたい。

 

1.深い学びとは

図表1に示すように、子どもがアクティブラーニング(外化)を通して、頭の中にある知識や事象を他の知識や事象と繋いだり関連づけたりするところに、深い学びの原義がある(注1)。その意味では、書く・話す・発表する等の外化がなければ、深い学びをさせることはできない。もちろん、この繋ぐ、関連づけるプロセスに資質・能力の育成もあるから、外化がなければ資質・能力を育てることもできない。

 

(注1)詳しくはウェブサイト「溝上の教育論」における「(理論)深い学びとは」「(講話)アクティブラーニングも主体的・対話的で深い学びもポイントは外化にあり」を参照。

 


 図表1 深い学習の原義は繋がりや関連性にある

 

 

2.深い理解との関係

教科学習の視座に立つとき、深い学びが必ずしも教科的な正しい理解であるとは限らないことを確認しておく。

たとえば、ある事象を説明するA、B、Cという知識があり、子どもがA→B→Cという順序でその知識を繋ぎ事象を説明したとしよう。この時、子どもはA、B、Cという関連の知識を外化しそれらを繋いで事象を説明しているのだから、その説明が正しかろうが間違っていようが、それは立派な深い学びである。たとえA、B、Cというそれぞれの知識の理解が間違っていても、あるいはA→B→Cという説明の順序が論理的に正しくなくても、である。誤解を恐れずに言えば、たとえそれらが正しくなくても、将来の仕事・社会で大人が行っている説明や議論は多かれ少なかれこのようなものである。世の中の正解とされることにとらわれすぎず、自分が正しいと信じる知識や事象を外化して、繋げて説明する作業がとても重要である。それが深い学びを促すことはもちろんのこと、思考力・判断力・表現力等の資質・能力を育てることにもなる。

他方で、教科学習は、社会で共通して知識や事象をこのように理解しましょうという前提のもと編成された、基礎的な知識・理解を習得する活動である。ある知識に関して人びとの間でいろいろ理解の仕方があるにしても、社会ではその知識をまずはこのように理解しましょうと共通理解を図り、それを基礎的な知識としているのである。教科学習はそのような基礎的な知識・理解を習得する活動である。その意味において教科学習では、A、B、Cというそれぞれの知識の理解の正しさ、A→B→Cという説明の論理的な順序(論理的思考)を重要視するのである。

 

 

3.教授学習パラダイムに関連づけて

図表2は、学校教育における教授パラダイムから学習パラダイムの転換を説明するときに用いている図式である。この議論を教授学習パラダイムの観点からも見直しておこう。

端的に言って、教授パラダイムは「教師主導(teacher-centered)」、学習パラダイムは「生徒主導(student-centered)」であることを特徴とする。教授パラダイムにおける典型的な授業形態は教師から生徒への一方通行的な講義であるが、ここではもっと広くとって、教師が設定する学習目標に向かって行われるあらゆる教授学習の活動とする。それに対して学習パラダイムは、生徒自身の観点で取り組まれる学習を指す。

学習パラダイムは教授パラダイムに相対する概念として提示されたものであるが、提唱者の一人であるJ. タグ(Tagg, 2003)自身が述べるように、両パラダイムは決して二項対立の関係にあるものではない。教授パラダイムに基づき、教師主導で生徒に知識を伝達する講義の時間はあってよく、その時間は学習パラダイムによって否定されるものではない。タグが「学習パラダイムは活動の場を拡げ、教授パラダイムを越えたところに私たちを移動させるのである」(pp.37-38)と述べるように、学習パラダイムは教授パラダイムを基礎として、教授学習活動を豊かに拡張・発展させるものである。その特徴を示した図式が図表2である。

前学習指導要領から習得・活用・探究の学びの過程が求められているが、それも教授学習パラダイムを用いるとその意味がよくわかる。すなわち、一般の教科における習得の授業では、教授パラダイムとしての講義を基礎として、学習パラダイムとしてのアクティブラーニングが補助的に求められる。すなわち「アクティブラーニング型授業」が求められる(注2)。他方で、探究的な学習の授業では、生徒主導の学習活動(学習パラダイム)に大きなウェイトが置かれるものの、他方で教授パラダイムの時間がまったくないわけではない。問いの立て方や情報や資料の収集・整理の仕方などを教師が講義する教授パラダイムの時間は、探究的な学習の授業においてさえ認められるからである。教授パラダイムか学習パラダイムかと二項対立的にとらえるのではなく、習得から活用・探究へと、教授パラダイムのウェイトが下がり、反対に学習パラダイムのウェイトが上がっていくととらえられるべきものである(図表3を参照)。

 

(注2)詳しくはウェブサイト「溝上の教育論」における「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照。

 


図表2 教授パラダイムに基づき、その枠を越えるところに学習パラダイムに基づく個性的な学習成果の空間がある
*溝上(2020)、図表31(p.154)より

 


図表3 習得・活用・探究の学びの過程で教授パラダイムから学習パラダイムのウェイトが上がっていく
溝上(2020)、図表32(p.154)より

 

文献

溝上慎一 (2020). 社会に生きる個性―自己と他者・拡張的パーソナリティ・エージェンシー-(学びと成長の講話シリーズ3) 東信堂

Tagg, J. (2003). The learning paradigm college. Bolton, Massachusetts: Anker.

 

 

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