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(講話)現場の改革に繋げよ!-学習指導要領改訂(案)に対するコメント v3

要点

  • 「文部科学大臣告示」という形式で出される行政文書としての学習指導要領(案)において、主体的・対話的で深い学びが説かれ、「アクティブ・ラーニング」が記載から外れたことはまことに残念である。しかし、答申では明確に示された「アクティブ・ラーニング」である。主体的・対話的で深い学びと説明されるときには、その背後に「アクティブ・ラーニング」の用語があると理解していいのではないか。
  • 「主体的・対話的で深い学び」では、この改革でもっとも訴えなければならない講義一辺倒の授業を脱却する、あるいはチョーク&トーク一辺倒の授業を脱却するというメッセージ性が弱いという問題がある。アクティブラーニング論は、何より講義一辺倒の授業を脱却するところに最大の出発点があり、そのうえで「アクティブ」な学びを特定してきた学習論である。とくに高校、大学の関係者は、今一度アクティブラーニング論の基本に立ち返って、施策推進を充実させる現場の教育実践に注力してほしい。
  • 今回の学習指導要領改訂の趣旨は、高校教育、そして大学入試、大学教育を絡めた高大接続改革にあるといわれる。学校から仕事・社会へのトランジション課題に取り組むための改革ともいえる。学習が、学卒後の仕事・社会に向けてなされることを、授業・教育活動レベルまで落として、大学だけでなく幼稚園・小学校・中学校・高校等まで拡げて見直すことに大きな意義がある。その意味では、「アクティブ・ラーニング」という用語が学習指導要領で示されなかったことよりも、私たちの教育改革の背後で進んでいる日本全体にとっての学校教育の課題、すなわち、トランジション課題に取り組み、そこでの問題を解決することのほうが重要である。あらゆる学校段階の関係者がここを理解できるかに、今回の教育改革の成功はかかっている。
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    *【付記】2017年6月に出された小学校・中学校の『学習指導要領解説・総則編』では「アクティブ・ラーニング」の記載は戻っている。学習指導要領での記載が難しいかもしれないが、解説書では記載されるとも聞いていた。ここに記しておく。 (小学校学習指導要領解説・総則編)

     

     

    第1節 学習指導要領の改訂(案)では「主体的・対話的で深い学び」に

     2017年2月14日、パブリックコメントの実施にあわせて、(とくに小学校・中学校の)次期学習指導要領(案)が出てきた。改訂のポイントのなかで、「アクティブ・ラーニング(の視点)」に関する事項は2つ目に、下記のとおり、書かれている。「主体的・対話的で深い学び」が前面に出て、「アクティブ・ラーニング(の視点)」は残念ながら記載されなかった。まずは、記載を確認したい。
     なお、以下「 」で表される「アクティブ・ラーニング」は、文科省の用語を指すものとする(「アクティブラーニングとアクティブ・ラーニングの違い、なぜカタカナ?」も参照)。

     

    2.知識の理解の質を高め資質・能力を育む「主体的・対話的で深い学び」
    「何ができるようになるか」を明確化
     知・徳・体にわたる「生きる力」を子供たちに育むため、「何のために学ぶのか」という学習の意義を共有しながら、授業の創意工夫や教科書等の教材の改善を引き出していけるよう、全ての教科等を、①知識及び技能②思考力、判断力、表現力等③学びに向かう力、人間性等の3つの柱で再整理。
    (例)中学校理科(生命領域): ①生物の体のつくりと働き、生命の連続性などについて理解させるとともに、②観察、実験など科学的に探究する活動を通して、生物の多様性に気付くとともに規則性を見いだしたり表現したりする力を養い、③科学的に探究する態度や生命を尊重し、自然環境の保全に寄与する態度を養う。

            (「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領

             案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について」2017年2月14日)

                                > 関連資料『幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領等の改訂のポイント』

     

     

    第2節 溝上のコメント

    (1) 主体的・対話的で深い学びを「アクティブ・ラーニング」として受け止めればいい

     昨年末に出された中央教育審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(2016年12月21日)について好意的にコメントしたとおり(「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」を参照)、内容に大きな問題があるとは見ていない。現場が大変であるのは承知しているので、学校や教師が施策を推進するための教育・職場環境の改善は相当必要である。その上で、あらゆる学校が施策の内容を受け止め、積極的に転換・推進していかなければならない。
     「アクティブ・ラーニング」が記載されなかったのは残念であるが、学習指導要領は、政治家、学校や社会のさまざまな組織や団体、関係者との調整を経て、「文部科学大臣告示」という形式で出される行政文書である。しかも、これまでの学習指導要領、今回の「案」を読めばわかるように、教育基本法、学校教育法施行規則が冒頭にあり、それに従って書かれなければならない大きな制約がある。答申では大きな方向性を大胆に示せても、この大臣告示の行政文書ではどうしても形式張った表現にならざるを得ない場合があると聞く。
     答申では明確に示された「アクティブ・ラーニング」である。答申ではもちろんのこと、学習指導要領においても、主体的・対話的で深い学びと説明されるときには、その背後に「アクティブ・ラーニング」の用語があると理解していいのではないか。

     文科省の関係者には申し訳ないが、「主体的・対話的で深い学び」が前に立つのでは、この改革でもっとも訴えなければならない講義一辺倒の授業を脱却する、あるいはチョーク&トーク一辺倒の授業を脱却するというメッセージ性が弱いという問題がある。この問題を深刻に抱えるのは高校、大学であって、小学校や中学校といった義務教育まで対象としなければならない学習指導要領がこのメッセージを大胆に示せないことは、そもそもの限界からくるものともいえる。小学校と高校とを一緒のトーンで論じようとするところに、そもそもの無理があるといえる。
     アクティブラーニング論は、何より講義一辺倒の授業を脱却するところに最大の出発点があり、そのうえで「アクティブ」な学びを特定してきた学習論である(「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」を参照)。それをふまえると、講義一辺倒の授業を脱却する文脈もなしに、一生懸命何が「アクティブ」かと考えること自体がナンセンスである。文科省の施策は国の施策として進められるところを精いっぱい進めてきたと、私は高く評価している。その上で、とくに高校、大学の関係者は、今一度アクティブラーニング論の基本に立ち返って、施策推進を充実させる現場の教育実践に注力してほしい。


    (2) トランジション課題に取り組むための改革であることを確認して

     今回の学習指導要領改訂の趣旨は、高校教育、そして大学入試、大学教育を絡めた高大接続改革にあるといわれる。私はもっと大きくとらえており、「学校から仕事・社会へのトランジション」(以下、トランジション)の課題に取り組むための改革であると理解している。学習が、学卒後の仕事・社会に向けてなされることを、授業・教育活動レベルまで落として、大学だけでなく幼稚園・小学校・中学校・高校等まで拡げて見直すことに大きな意義がある。その意味では、「アクティブ・ラーニング」という用語が学習指導要領で示されなかったことよりも、私たちの教育改革の背後で進んでいる日本全体にとっての学校教育の課題、すなわち、トランジション課題に取り組み、そこでの問題を解決することのほうが重要である。トランジション課題における問題解決のほうが上位課題であって、最大のポイントである。あらゆる学校段階の関係者がここを理解できるかに、今回の教育改革の成功はかかっているといっても過言ではない。
     そもそも、何のために文科省がここまで資質・能力の育成を謳わなければならないのかを考えてみればよい。それは、出口を見据えた学校教育の社会的機能が、抜本的に見直されなければならないからである。国によって起こっている個別の問題はさまざまだが、出口を見据えた学校教育の社会的機能の見直しは、先進国が共通に抱える世界的な現況課題である。そして、見直されるべき学校教育の社会的機能、すなわち、それこそが学校から仕事・社会へのトランジションの課題なのであるが、それは学校でしっかり学び成長したとされる者が、仕事・社会に力強く出て行けなくなったところから始まった問題なのである。
     日本では、トランジション課題は、より上の学校段階(たとえば、高校よりは大学)、ブランドや競争力のある大学等を卒業すれば、将来安泰という人生の方程式が崩れたところから認識され始めた。まず、1991年のバブル経済崩壊以降2000年代初頭にかけて、高卒の就職率悪化から始まり、それがやがて大卒まで拡がり深刻な社会問題となった。大卒者のフリーター、ニートが問題になったのは2000年前後である。この段階では、トランジションの問題は、1コマ、2コマ程度で授業化するキャリア教育や正課外のキャリア形成支援によって解決されていた。ところが、2000年代半ばになると、OECDのキーコンピテンシーや経済産業省の社会人基礎力、文科省の学士力(汎用的技能)などの育成が大学教育に突きつけられ、就職だけでなく、学卒後の仕事・社会で求められる(現在の文科省の初等中等教育政策の用語を借りれば)思考力・判断力・表現力等、ひいては資質・能力の育成も課題となった。キャリア教育の一環として育成されることもあったが、やがて正課教育のなかで、教養・専門科目の授業のなかで育成されるべきだと考えられるようになった。というのも、仕事・社会で求められる思考力・判断力・表現力等が、知識や情報を媒介とする知的な操作を必要としていたからである。わかりやすくいえば、ふだんおしゃべりな者でも、あるいは団体競技の部活動でキャプテンを務める者でも、ある課題に関する知識や情報がなければその者は思考・判断をすることができないし、他者や集団に表現をすることができないからである。議論する力やコミュニケーション力などを育てるには、特定の知識や情報の理解、それを用いての活用力・探究力が必要なのである。こうして、仕事・社会で求められる思考力・判断力・表現力等の資質・能力は、正課教育のなかでも育成されねばならないと考えられたのである。2012年の質的転換答申で、資質・能力を育成するための教授学習法として「アクティブ・ラーニング」が施策用語となった背景を、私なりに説明するとこういうことになる。
     そして、2014年末、文科大臣から中教審へ諮問が出され、この「アクティブ・ラーニング」が初等中等教育まで拡げられる流れとなって、今に至る。ここから先は、「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」を参照してほしい。
     以上述べてきたように、資質・能力の育成を見ても、その本質的な方向性がトランジション課題への取り組みにあることがわかる。トランジション課題への取り組みは、学校と会社や官公庁、専門職機関、ひいては地域も含めた社会との関係のなかで、子ども・若者をどう育てるかという教育課題に取り組むことでもある。20世紀末から1世紀かけて創ってきた大きな柱を残しつつも、新たに必要となる柱を数本加えて、全体の教育機能を再構築しようとしているのである。国として仕事・社会に向けての人材育成機能を再構築しようとしているともいえる。それが、今日私たちがおこなっている、新しい時代に向けた教育改革の意味である。
     この作業の難易度は高いから、どの国も作業はかなり難航している。さまざまな事情でいち早く国を上げて着手できた日本が、今回の施策を通してしっかり改革を進められるように、私もできることを精いっぱいしたいし、学校現場を応援したい気持ちでいっぱいである。

     

     

    第3節 トランジション課題として取り組むのに必要な作業は卒業生アセスメントである

     今回の改革でもっとも重要なのは、トランジション課題への取り組み、その問題解決である。すでに述べたとおりである。小学校から大学まで、他の学校を含めて、あらゆる学校段階の関係者が共通の目的として、このトランジション課題を理解し、そしてそれぞれの学校段階で子ども・若者を精いっぱい先々の仕事・社会を見て育て、バトンを上へと渡していく。そんな「トランジション・リレー」がなされていかなければならない。しかし、この点に関して次のような現在の状況がある。
     たとえば小学校は、自分たちが育て送り出した卒業生が中学校でどうなっているか、あまり知らない。中学校も、高校もそうである。遊びに来る卒業生の姿や、風の便りで聞こえてくる○○さんや△△君のその後の姿は知っているが、卒業生の多くが中学校や高校でどういう姿になっているかを、組織的に調査している学校はほとんどない。否、大学もそうである。全卒業生の就職結果をしっかり情報収集して、公表するところまではどの大学でもおこなっているが、職場で、初期キャリアと呼ばれる3~5年をどのように仕事しているかまでを調査している大学はない。大学教育の目的は、職業人養成だけではないので、理想的には家族、市民、地域や国際社会といった大人としての社会的役割をうまく採れているかまで卒業生調査の対象としたほうがいい。いずれにしても、そのような卒業生の姿を追跡調査している学校は小学校から大学まで見渡してほとんどないのが実情である。学校とはそういうものだったと理解して、これまでは良しとしよう。
     しかし、今回の学習指導要領の最大の課題である「何ができるようになるか」という、思考力・判断力・表現力等、ひいては資質・能力の育成がある。この資質・能力は、基本的には積み上げで段階的に発達するという見方が重要である。積み上げができなかったら、その後の人生ではもう育てようがないということはない。それは、エリクソン(2011)の発達のライフサイクル論における漸成図式の考え方(「(用語集)エリクソンのライフサイクル論における漸成図式」を参照)からも理解できる。しかし、前段階の資質・能力を大きな基礎として、次の段階の資質・能力が育っていくという発達的力学は無視できない現実である。たとえば、大人になってゼロベースでコミュニケーション力を育てられるわけではないといっているのである。
     小学校で、たとえばグループワークを積極的にしない子供が、中学生になって積極的にするようになるだろうかと問うてほしい。多くの子供はそのまま行くのではないか(注1)。否、思春期や青年期の発達的な状況をふまえると、ネガティブイベントや反抗も起こりがちであるから、以前できていたことができなくなるという資質・能力を低下させる子供も少なからずいると考えられる。この話は、中学校から高校にかけても同じである。この学校段階の移行、発達段階の移行を相当意識しないと、学習指導要領改訂で出されている課題「何ができるようになるか」をしっかり進めることはできないだろう。「何ができるようになるか」をほんとうに育てようと思うならば、小学校から大学までの各学校段階が、それぞれの段階でできる精いっぱいの教育をして、上の学校へとバトンを渡していくトランジション・リレーが必要である。


    (注1)高校から大学については、大規模なデータの結果がある。「高校生の半数の資質・能力は大学生になってもあまり変化しない-10年トランジション調査」を参照のこと。

     

     そのためには、上述した卒業生調査を小学校から大学まで、それぞれの学校段階がおこなう必要がある。トランジション課題に取り組む教育成果の決定的なポイントはここである。つまり、在学時に成績の良かった(悪かった)○○さん、△△君が上の学校に行って、働くようになって・・・となっている。発言や対人関係が弱かった(良好だった)○○さん、△△君が・・・となっている。このような自分たちが育てた生徒の卒業後の姿をデータで収集するのである。そして、それを個票としてデータ整理し、自分たちの教育や指導がトランジションの観点から見てどの程度うまくできていたか、改善点があるのかをアセスメントするのである。この意味で、卒業生調査は単なる調査ではなく、学校教育のあらゆる活動を見直す「(卒業生)アセスメント」である。小学校から大学までのそれぞれの学校段階が、トランジション課題を理解して「何ができるようになるか」を推進するということは、最終的には卒業生アセスメントをおこない、その結果を受けて今おこなっている教育活動を見直し、問題があれば改善するというPDCAサイクルを回すことに他ならない。この改革の最後に待ち受けている大きな作業である。
     大学は、エビデンスベースの教育改革が抜本的に進み、IR(Institutional Research)や第三期評価サイクルで課せられている学修成果・内部質保証の流れで、入学時から在学時の学習や生活、キャリア形成などのデータを収集し、さらに卒業後の初期キャリアまでを追跡調査して、4年間(6年間)の教育改善に繋げるPDCAサイクルを構築し始めている(詳しくは「(講話)大学教育(教える・学ぶ)は変わってきているのか-高校関係者向けの説明」を参照)。まだまだ完成に至らない大学がほとんどだが、2016年度は3ポリシー(AP・CP・DP)の(再)策定、2年後に控える第三期の教育の認証評価をにらんで、この作業をずいぶんと進めている。これの小学校・中学校・高校版が近い将来求められると考えられる。

     

     

    最後に-現場の改革に繋げよ!

     「(講話)答申が出たいま現場に求められる作業は? -「現場の理論」を構築して個性ある教育実践を示すこと!」で論じたように、政府の施策文書やアクティブラーニングをはじめとする学術的な論というのは、いわば、ローカルな文脈をもつさまざま個別事象に共通する点を一般化して「概念化」し、他の事象や概念とある理屈をもって関連づけ、筋道立てて「理論化」したものである。
     答申が出て、学習指導要領案も出て、いま学校現場に求められる作業は、理論を学び、それに基づいて教育実践を創り出し、理論と実践とを往還し、そうしてローカルな文脈をふまえた「現場の理論」を構築することである。「グラウンディッドセオリー(grounded theory)」の構築ともいえる。
     子ども・若者を直接教育・指導するのは学校現場にいる教師である。ここが教育の基本である。国の施策はガイドラインである。学術的な理論・概念も、ローカルな文脈を捨象した抽象的・一般的な見方である。それを、これからの将来の日本を支える子ども・若者にどのようにぶつけていくかは、個々の学校現場が考えていかなければならない問題である。意欲のある現場は、この理論と教育実践との往還を幾度となくおこなっているし、意欲のない現場は、ただただこれまでの伝統と慣習にしたがった惰性的な実践を続けているだけである。お上(文科省)がいえば、多少は「振り」もするが、本気ではない。一人でも多くの子ども・若者が、一歩でも二歩でも上に向かって力強く育っていくように、私たち教育関係者は全力を尽くしたい。いま、学校現場からの実践的応答が切に求められる。

     

    文献 

    エリクソン、E. H. (著) 西平直・中島由恵訳 (2011). アイデンティティとライフサイクル 誠信書房

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